ケーキ会
■■
──光の中。
女性の声と、幼い少女の声。
『お婆ちゃん』
『あのね、ジエリア姉さんは……』
(誰だ? ……ジエリア?)
『お婆ちゃん、目を開けて……お婆ちゃん、このくらいの傷、お婆ちゃんなら簡単に──っ』
『ああ、リル。失ってしまったものは、直らないの。ジエリアはあなたに教えなかった?』
『わかんないよ。私、誰より強い魔女になる。そしたら、絶対お婆ちゃんだって──』
『リル、やめなさい──!』
『私の名前は、リルじゃないよ。私の、名前は────』
<font size="5">Episode6.少女の幻影</font>
「さっきのおまじないは、なんだったんですか?」
コトが聞くと、キャノはふふっと小悪魔っぽく笑って「自己暗示。力をちょっと、引き出し易くしたの」と言った。
「はあ、そうだったんですね」
あの流れで試してみるかというからてっきり──いやいや、てっきり、なんだというのか。
頭を振る。
ああどうも、おかしい。最近の自分はやけに。
コトは自分がどうかしている、と考えてから、キャンディを思い出した。
そうだよあいつだ。
あいつがハーレムがどうとかいうからだ。意識なんか、それまでぜんぜんしたことなかったのに。
一度考えてみたら、なんだかキャンディに全て原因がある気がしてきた。
しかし、まあ、落ち着こう。コトは一旦自分を雑に落ち着かせる。キャンディに八つ当たりしても仕方がないことは、本当は分かっている。
(だって、そもそも、クルフィさんがあんな────)
「あの」
「ん?」
「つまり、こうですか」
コトは、さきほど、様々な後処理の中でキャノに聞いた話をまとめて、繰り返した。
力の強い魔族は代々女性であり、しかしその長だけは男性に変異する。
そして、力はあまり無いが限られた範囲内にだけ、少し特殊な効力を持てる魔族は最初からの男性。こちらは、ときどき女性に成り変わり、魔女入りするらしかった。
そして魔族は力の強さが第一なので、強ければ一夫多妻でも一妻多夫でもいいらしい。
ここまで整理して……キャノが何が言いたいかは、コトにも、薄々分かってきた。
(やっぱりこの人たちの価値観、自由過ぎる……!)
あんなにクルフィが大好きなキャノが、そもそも、初対面よりは、コトにそこまで敵意を剥き出しにしないのも、あんなことがあっても平然としているのも、それが理由なのだ。
クルフィがそれほどに「強い」から、候補が一人増えたくらいでどうということはない、と。
(おれは、ライバルどころか、そういう風に受け取られたのかよ……!)
いや、まず仕事に就きたいんだけど。
頭の痛くなる話だった。
「おーっす、お疲れさん」
打ち上げしようぜと、呼び出されて近くの喫茶店に来ると、既に来ていたクルフィが陽気に手を振って出迎えた。
この暑いのに長い髪を、下ろしていると思ったら、ほどけてきたから結び直してんだよと言われる。
朗らかに笑う彼女とは違い、コトは、上の空だった。
外を遮る大きなガラスは一部が色つきで、キラキラした模様が彫られている。吊るされたオレンジ色の照明が、眠気を誘う。赤い色のチェア──クルフィはなんでカウンター席に?
他の席も空いてるだろ、あの騒動で、通りの近くにあるここも、ガラガラなんだから。
ああそうか、一人であの席を利用してたら、他の客の邪魔かなと思ったからカウンター席に?
いや、マスターとかと話をしてたんじゃ────
様々な、目に映るものに意識を向けて、雑念を振り払おうと試みる。
上の空なコトだが、その耳には、二人の会話が聞こえ続けている。
「どしたんだよ? なんか、暗いな」
「もー、リルっちのせいだよっ!」
「はあ?」
「リルが適当過ぎるからこんなことに」
「意味わかんねぇよ……私の何が?」
「いっつもそうだよね! 私がこんなにこんなにこんなにこんなにこんなに愛を注いでいるのに」
「あっすみませーん、チーズケーキと、ヨーグルトタルトひとつ!」
「ちょっと話聞いてた!?」
「そーカッカすんなって。ほら、好きだろチーズケーキ」
「あぐっ」
「……ん、ヨーグルトとタルトの組み合わせは、微妙だな、せめてアクセントに一工夫欲しいっていうか」
「美味しい……じゃない! ご、誤魔化さないでっ」
「うるさいなあ。なんなの? あ、でもお前がうるさくなかったこと無いか……」
「わ、私、真面目な話をしてるのよ。真面目に聞いて欲しいの!」
「聞いてるだろ。でも、お前が肝心な部分を言わないから結局何を答えりゃいいかわからないんじゃねーか。お前自分の発言見直したことある? 必死に話したつもりでも伝わってる内容は『あれが、こーだったの!』でしかないぜ? そう言われても」
「伝わってよ、愛の力で感じとってよ。だからコトちゃんは、その、リルに────」
「あー! いいです、誤解です、自分でなんとかします!」
コトも、さすがに聞いてられなくなり、我に返って立ち上がる。
コトはクルフィの左隣。見方によっては、クルフィよりも前の席に座っていた。彼女が真ん中の席に居たからだが、出来たら端の方で、ぼーっとしていたかった気もする。別に、だからといってどうにもならないけど。
「お? どうかしたか?」
クルフィが不思議そうにコトを見つめる。こういう事態に慣れていないので、やけに顔に熱が集まってしまい、自分でもどうしていいかわからなくなった。
「べ……別に、なんでもありませんっ!」
逆ギレのように、いつの間にか届いたアセロラジュースを飲み干す。
「おいおい、酒じゃねーんだから、ゆっくり飲めよ」
不思議そうに、目を丸くして言うクルフィに、右隣に座るキャノが、呆れたようにこぼす。
「リル……別にお酒もそんなグイグイ飲まなくてもいいよ」
「そ、その──」
二人がかしましいやり取りをしているうちに、コトは考えた。
今聞くべきか否か──
後であらためて聞くには、きっと言い出しにくいだろう。せっかくキャノが流れを作ってくれたのだし──
そして、クルフィの方にしっかりと向き直る。
「クルフィ、さん」
「お?」
彼女は、不思議そうにコトを見てすぐに、彼の真剣な表情に戸惑いを浮かべたようだった。
「なんだなんだ」
「本名、教えてください──」
彼女の目に、光が宿る。ギラッと、まるで忌むべきものを見ているような目だ。
「最初に言ったはずだよな。名前は、名乗れない」
「どうしてなんですか!」
叫んでいた。
コトは、いったいなにに苛立っているかわからなかった。とにかく悔しい。なんだか、ムカムカして、止まらない。
クルフィは冷静に、カウンターに方肘を付きながら、頬杖で彼を見上げる。
「私が封印したから、さ」
「なんですか、それ……どうして、あなたは」
コトは自分でも、何が聞きたいのかよくわからなくなっていた。心臓が、バクバクと音を立てている。息が苦しい。意味もろくに把握せず、点数を取るための単語クイズとして、なんとなく受けてきただけの沢山の試験だって、こんなに緊張したことはない。
それなのに────
しらなかった。
《本当に真剣に向き合うもの》には、こんなに勇気が要るものなのか。
「あははははっ、そうか。お前には、見えてるのか! だったら仕方がないな」
突然、彼女が軽快に笑った。なぜ、今笑えるのだろう。
俺は真剣に聞いているのに──
「なあ、どこまで見えてる?」
笑う彼女の笑みは、これまでとは違って、少し、黒い、闇が見えた。
冷たい目だ。真っ直ぐで、真っ暗な目。
キャノとしていた話が頭を過る。
──どうにでもなってきたから──
──存在そのものを、消すことが出来る──
それから、いつだったか、どこかで聞いた話。
魔族は、表向き存在しなくなったけれど、多くが裏の世界に買われることがある。
もし、そんな力があったなら、殺すという行為さえも葬ることが、出来るなら────
欲しがる人間が、いくらいるだろうか?
「……言いません」
コトは感情を悟られないように、真っ直ぐ彼女をみつめかえす。
「場合によっちゃ──こう、だぜ」
彼女も表情を変えなかった。
ただ、手を翳されたと思っていると、コトのトレードマークだった長い前髪が、ぱさりと、二ミリほど、目の前で焼かれた。
「な、なにする──」
「なんてな! まー、言えないことは、誰にだってあるんだよ。覚えとけ。お前が何を見ているかも、私にはわからないが、私は知らない方がいいかもな」
「すみ、ません……」
なんだ、この、威圧感。コトは初めて彼女に、寒気を感じた。
いや、初めて、か?
自信がない。何故だろう。ずっと前から薄々気付いていたようにも思う。
「ちなみにキャノに聞いても無駄だぜ──?」
「はい……聞きません」
「そうか。ならいい。で。お前はどうして、いまさらみたいにそのネタで絡んでくるんだ?」
コトは再び、大魔女に会った話をした。
それから、やや迷ったが、クルフィの過去を少し覗いたと言った。
「そうか……」
「ごめんなさい、勝手に、その────」
「いや──そうか、そうだな……」
クルフィはやや考える顔をした。彼女がたまに見せる、けれどめったに見せない、真剣な顔だったので、少しドキドキしてしまう。
何故だろう。
魔族にとっては、強い魔力が、魅力に繋がっている、というのなら、強い子孫を残すため、そういう魔族にはとくにフェロモンのようなものがあるのかもしれない。
最近は、コトも、やや、顔を洗う洗面器を凍らせてしまったり、魔族に出てくるような兆候が、現れてきている。
影響をより受けているのだろうか。
「……ん、どうした? そんなに美人に見えるか」
「いえ、クリームをつけっぱなしなので見てました」
「えっ、取れよ!!」
「嘘です」
「なんだよそれ……」
「大魔女に、心当たりはありませんか? あなたを知ってるようでした」
「その記憶の持ち主は、ばあちゃんの、妹だ──私の親戚。その類いの幻影は、使い手の想像力が、相手の最も望む形で映され、神経に一時的に影響を刻み、与えるものだ。強力ではあるが、だからこそ、力が裏目に出たというやつだな。自分の視点を共有させてしまったのかもしれない」
「言い切れるの?」
しばらくちびちびと、頼んだらしい、カプチーノを飲んでいたキャノが、ガタッと席を立って乗りだしてきた。
「あ。そうだな。お前に会わないと思ってたから、言わないまま忘れていたけど、これ。今少しだけ『読んで』くれるか」
クルフィが、いつも持ち歩く手紙を、キャノに渡す。
「ん……わかった、でも、ここだと、ちょっと」
人目につく。
口だけで言われて、クルフィが頷く。
コトはふと、足もとを見た。店内の床板からは、なんだか嫌な波が飛んでいるようだった。
魔力そのものを、押さえつけるような、忌々しい力────
こういったものに、前より過敏になったかもしれない自分に驚く。
それから、軽い食事を終えて三人ともカフェの裏側に移動した。
「じゃあ……」
キャノが何かを唱えて、手紙を軽く撫でると、文字がぼんやりと、空気中に人の形を作る。
今更ながら、魔女っぽいなと、コトは思う。
ここでいう魔女は、古い絵本に出てくるものではなく、もっと現代的な、『魔法少女』とも言えるような、スタイリッシュなものだったが。
時代とともに、魔女も変化を遂げているのだろう。
やがて、便箋から、誰かの声がし始めた。
聞いたことのあるような、ないような、声。
リル。リル。愛しいリル────
「……!」
声。そして、熱い。
何が熱いのかわからないが、コトはそう感じる。なんだか、手紙のまとう空気が、ぼんやりと熱い。
熱くて、燃えるようだ。クルフィはその『声』に釘付けになっていた。
何かを、思い出しているのだろうか。
「……これって、なんですか?」
「書いた人を再現して読んでいるの。時間逆行理論の応用編ね。音声から当時を再現してくれる」
「はぁ……」
「今度、本貸してあげようか! 時間再現に必要な要素についての」
キャノが嬉しそうに提案してくるが、コトはいいです、と言った。
どうせ読めないと思う。コトは魔族の字は、現代語より複雑で難解だというのをテレビで見たことがあった。
かなり力を持つ文字なので、人間を狂わせるらしい。あまりに難解で、理解しようとした学者が気を狂わせ次々亡くなっているという都市伝説まであるのだ。
「この世界は、言葉が書き換えている。文字や言葉は、魔力の基本なの」
キャノが、誰かに──たぶん、コトに囁くのが、ふと、耳には入る。
「だから、『名前』も『神から与えられたものを受けとる』儀式の意味合いが、私たちには、強い。リルが直感的に言葉を選んだのなら、名前を変えることは誰にも出来ない。勿論、本人にも」
「ちなみに、魔女がほうきに乗る絵って多いけどこれは諸説あるものの、ほうきは魂をかき集めると言われていたり……まあいろいろとね。特別な力を持つようなイメージがあったんじゃないかなって────」
「何が、言いたいんですか」
「……私たちは、あらゆるものに縛られているって、ことかな。そういう儀式とか、制約とかがあるからこそ、力を授かっている。魔女が書く文章は、だから、魔力みたいなものなのね。その人の意思そのものだから。
人間だってそうでしょう? 自分が強く起こると確信し続けたことが本当になっちゃったり、さ。言霊というものがあるように、言葉に宿る何かは確実にあるんだよ」
キャノはそう言ったが、コトはやはり、いまいち彼女の言いたいことがわからない。
視界の隅で、クルフィが紙に指をかざした。
「…………」
「どう?」
キャノが、クルフィに短く聞くと、クルフィは頷いてみせた。
「お前の増幅は、やっぱりすごいな。現物の人間レベルには達しないけど、だいぶん差出人の情報がわかりやすくなった」
クルフィが紙をつかんで、そっと指でなぞると、空気中に浮かぶ人形のなにかが光を発しながら崩れ、一本の波形を作り始める。
魔力の波は、ひとりひとり違っている。これで魔女を特定するのかもしれない。
「なんかあれですね、音声分析みたいだ。波をクリアにして、増幅させて、ノイズを処理して────」
コトが言うと、彼女たちは、不思議そうに首を傾げた。よくわからないらしい。コトも説明しない。
「……数値が高い」
触れ幅を見て、グラフを描き、キャノは呟く。クルフィは少し考える顔をして、コトに聞いた。
「なあ、コト」
「なんですか」
「お前が見たおばさんは、どんな感じがあった?」
コトは、少し間を置いて、思い出す。
「強い力を、持っている。けれど、小さな頃のクルフィさんが、今の自分の力が弱いから出来ないだけだ、というタイプの《確信》を持つのとちがい、死者は生き返らない、と言い切れる……平均的に、平均以上の力を持つけれど、彼女は自分の限界を知っている」
おそるおそる、コトは口にした。
「そう、私より彼女は弱い」
頷いたクルフィが答える。及第点らしい。
理屈はよくわからないが、《確信をもつ》言葉が魔女たちの力なら、彼女の限界は、クルフィより下なのかもしれない。
「言い切ったね……」
キャノは曖昧に微笑む。クルフィは、平然と、続けた。
「まあ。でも、普段からの《力》で言えば、の話だけどな」
「どういうことですか?」
「精神力が強い。だから、パワーが少ないけれど、力の使い分けがしやすくて制御が効くんだ。私には、あのセンスは無いな」
クルフィは、何かに呆れたような、諦めたような表情で、肩をすくめた。キャノが、付け加える。
「でもまあ、この便箋みたいに、手紙からの《波形》は、《素》の力を表す。対人目的での制御はいらないよね。つまり、この高い数値は、リルより弱い《彼女》のものじゃない」
だとしたら────
だとしたら?
「私をリルと呼んだのは、同級生と、身内の知り合いだけだ。普通、名前自体教えてないからな。その中で強かったのは、おばさんと、母、ばあちゃんを除くと────」
そこまで言って、クルフィは黙る。
「どうしたんですか?」
コトが聞いてみるが、彼女は、ぼうっと考え込んで、ただ呟いた。
「いや……何でも、ない」




