彼女の名前
キャンディが立っている。
手には見覚えのあるぬいぐるみを持っている。
「あっ! メロちゃんと、ニワトリさん」
そういえばいつの間にか居なくなったと思っていたが……
元気な時は歩いてきたりするものの、身体自体は不安定なようだ。
「途中のフロアで倒れていたから連れて来た」
キャンディはそう言うとミライちゃんに二人(?)を手渡した。
「ありがとうございます」
受け取った彼らを抱きしめながら、ミライちゃんは微笑む。
「それで――」
その様子を一瞥すると改めて、キャンディは言った。
「こっちも大体の準備は整ったから、二人を呼びに来たんだ」
彼らしく、明るくハキハキとした発言。
僅かに漂いかけていた不安の影をさりげなく照らされているような気がして、なんだか根拠もなく安堵してしまう。
自分は、明るく盛り上げたり場を和ませるような振舞が苦手だ。
コトは少し羨ましいと思った。
「……わかりましたけど、準備、って、食料とかですか」
とりあえず間から口を挟むとキャンディは彼の方を見て答える。
「あー、食料は重たいから、大半は転送してもらうか現地調達。でもゲートが開かない時の為にいくつか持っていく感じかな」
とにかく行こうぜ、と彼はエレベーターに先に向かっていく。
コトも後に続いて乗り込む。
「それじゃ、出発~」
気の抜けた合図とともに、彼がボタンを押す。
稼働し始めたエレベーターの中でキャンディは言った。
「そういえば、リルの事、今も大切に思っているか?」
「……え?」
ぼんやりと、流れていくガラス越しの景色を見ていたコトは、思わずぽかんと口を開けた。
なんで、そんなことを聞くんだろう。
「そりゃ、今までもずっと、一緒に活動してきた仲間ですから」
「じゃあ、彼女が、この町、この国に来るまでに何をしていたか聞いているか?」
――まるで、尋問だ。
彼には時々こういった面があった。
どうして突っかかろうとするのか、あるいは、そう感じてしまうのか。
「……どうして、貴方がそんな事を」
「彼女に最初に会ったとき、『何』を感じて居た?」
「だからっ」
どうして、今聞くんだ。
彼女が居なくなっている今、彼女をどう思っているかなんて確かめて、
それで気でも変わったらどうするんだ。
変わるようなものなのか。
わからないけど、確かめるのが怖くなるような事を今言わなくたって。
「お前は、こう感じたはずだ。 激しい憎悪、血のにおい。悍ましく禍々しい力。まるで――」
何人も葬って来たかのような。
「けれど、お前は何度も自覚していながら見ないふりをした。異変にも違和感にも気づかないようにした。彼女の傍に居続けた、何故だ?」
「なんで、今そんなこと言うんですか、どうして俺に聞くんです」
絞り出した声。
なるべく威嚇するように喋りたかったけれど、か細くて頼りない声が出て余計に不安になった。
彼は、真剣に答える。
「今じゃないと聞けないからだよ」
じっと見つめてくる碧い目が彼が冗談を言っているわけでは無い事を物語っている。
「……っ」
どくん、どくん、と心臓が高鳴る。
頭の中が真っ白になりそうになる。
知っている、わかっていた、勿論、自覚している。意識しないようにしていた。
「そうじゃなくて、どうして、貴方が気になるんですか。彼女について、貴方が、何を知っていて――」
「あいつが、どうして自分から名乗らないか知っているか」
「え……名乗ったらまずい理由があるって」
「それだけ、か」
「はい」
キャンディは思い詰めたような深い息を吐きだし、
「俺たちは幼馴染だからある程度の事は知っている」と言う。
それから「彼女が言ってないなら、本来言うべきでないんだけどな、まぁ、あいつにも、俺たちにも責任はあるし――」
と、しばらく逡巡した後に答えた。
「俺たちは、魔法使いだ」と。
「はい?」
いきなりどうしたんだ、何の話が始まったんだ、と戸惑うコトに、キャンディは続ける。
「俺たちには、そいつを構成している言葉がそいつの魔力の基礎になるという考えがある。その為、村では生れた子ども自身が自らの名前を決定し、その言葉を背負って生きる事が多い。大抵は、名前のついたカードを選ばせたりする」
「なるほど」
「ちなみに、俺たちが普段名乗っているのは愛称だ」
「そうなんですか」
コトは自分の名前の由来を思い出してみる。
確か祖母が決めていたような気がする。
「此処でだが」
と、キャンディは言った。
「親もまた、言葉を与える意味では子どもの基礎になるわけだな」
「はぁ」
何を話すつもりなのかと落ち着かないコトに対し、なんと伝えたものか、とやや唸りながら、彼は言った。
「端的に言うと、彼女の選んだカードは『世界を根絶やしにしろ!』という意味の呪文そのものだったらしい」
「え」
なんだか、話が大きくて上手く頭に入って来ない。
まるであの『椅子の話』のようだ。
あるいはバニラちゃんのようだった。
「凄い、名前ですね」
「あぁ、世界を滅亡させる名前だからな。魔法に関わらず、政府には名乗れないよ」
けれど、それが、彼女の運命を決めた。
自分の名、自分を構成する力を自ら選んだ。
キャンディは、生れたときから豪快なやつだよなとなんだか楽しそうに苦笑する。
「子どもが決めた名前には、親ですら逆らえない。法律でも決められているし、言葉を大事にする国では普通はそんな名前の候補が存在しない。だから滅多にない事だった。前例も無かった。それで、どうなったと思う」
「どう、って……」
「孤立だよ。そりゃそうだ。
名前を呼べば、世界を滅ぼしてしまうかもしれない。だから誰も彼女だけは呼びたがらないし、世界の方も彼女にだけは近づかなかった」
世界中から弾かれて、それは世界にとっては必要な事。
孤独、孤立、排除を、国の都合で国が認める存在。
罪を犯したかどうかなんて関係が無く――
「幸いにも、俺さんたちは二つ名が認められている。ほとんど本名を書く機会も無い。普段はそれで良いわけだけれど……それでも、彼女の本質は変わっていない」
あぁ。
なんだか、ようやく、分かってきた気がする。
「だから……」
『あの時』の彼女を思い出して、コトは小さな声で何かを呟くと、少し笑う。
「やっぱり確信しました。俺は、変わらないって」
彼女が何をしていても、何を思っていても、もう一度彼女を守る。
だって俺たちが本当に恐れるべきのは、神や魔法使いじゃない……
例えばああやって、無慈悲に、理不尽にバニラちゃんを連れ去った誰か。
静かに確実に、何も悪く無い一人を犠牲にする政府の命令。
奇跡なんかよりよっぽどたちが悪く、しかも確実に危害を加えてくる。
自分だけでは収まらない国際問題にまで発展する。
「俺には……理不尽な世界の方がよっぽど恐ろしいように感じるんです」
小さい頃読んだあのお伽話を思い出す。
ただの幼気な少女が、上位層が生き延びる為だけに売り渡され、社会のほとんどの仕組みから隔絶される。国民の為の贄になる。
彼らがあの街の中で最初に作った「魔女」。
古来からずっと、魔女を生み出すのは他の追随を許さぬ程の孤独だ。
世界そのものが敵に回る程の――国の政治、宗教、ときにはあらゆる法則をひっくり返す覚悟も無しに存在を否定出来ない。
「そうか」
キャンディはそれだけ答えた。
「それなら。俺さんも協力出来そうな事はするし、頑張れよ」
コトは考える。
……彼は、そう言えばそれだけを言いたかったのだろうか。
考えて居ると
「あれ。そういやお前、何持ってるんだ」
キャンディが急に尋ねて来た。
コトは手元に抱えて居た本を見せる。
「世界書、のようです。内部に置いてくるように言われています」
2023年10月4日14時04分




