アイス
「よーし! チョコミント食うぞー!」
と、外に出るなり、ミライちゃんは足早にアイスの販売車の列に駆け込んで行く。
その後ろを歩いているコトは、落ち着かない感情をどうにかしようと必死になっていたが、しかし思いだした記憶の断片がどうしてもそうはさせてくれない。
(虹を作る、政府の協力、それに、母さん……)
ひとつの綻びから、幼いころから覚えていた違和感が確信に向かおうとしている。これまで自分を構成していた世界が少しずつ崩れていく。
(母さんが、口止めされてるとしたら……俺の、例えば虹を作るのに必要な情報を、何処かの会社に意識的に提供しているとしたら……
狙われたのがその口封じだとしたら……すべて、俺だけが何も知らされていなくて、全部、工作員に囲まれていて……あの場所だって。
俺が出ていくのを拒んだのは虹として利用する生徒が減るからで、他の生徒もあの中では成績の良い方だった俺が虹になれば、自分たちが助かるって思っていた。だから引き留める為にヒステリックになったんじゃないか――)
考えれば考える程悪い方に、しかしそうだろうと納得しやすい方に思考が広がっていく。まるで柱だ。現代でも人柱が存在する。
……けれどそうか、自分は最初から何処にも誰の中にも居なかったんだ。
最初から素体でしか無かったんだ。
誰かが、オリジナルを名乗る為の。
「なんで。こんな大事なことを忘れていたんだろう。みんな俺が虹になる方が良かったんだ」
「アーイースー!」
肩を小さく揺さぶられる。
「うわぁっ」
らしくない取り乱し方をしてしまった。
「ほら、どれにする?」
ミライちゃんが、目をキラキラさせてコトを見ている。
気が付くと既に列の先頭まで来ていた。
「えっ……えっと」
テンションの落差に咄嗟についていけない。
っていうか内心パニクっている。
俺はいいや、と抜けてくるつもりだったのに、混乱のおかげで思わず財布を出してしまった。
「こ、こういうお店のアイスなんて、久々だな」
苦笑いしかけて、ズキッと心の奥が微かに痛む。
あの日の、何故か道に迷っていたた少女の面影が、見えた気がして。
(ほんと、何処に行っちゃったんだろう……彼女に一体何があったんだ?)
「お決まりですかー?」
感傷に浸る間もほとんどなく、店員さんは笑顔でフレーバーを補充したりする仕草を繰り返し、少し待ってくれている。
「チョコミント? チョコミント? チョコミント?」
ミライちゃんの目がわくわくとコトを見つめた。眩しい。
「えー……、じゃあ、この抹茶のやつで」
置いてあるメニューを指さす。
ぬあー!とミライちゃんが謎の鳴き声を上げる。
店員さんはやはり笑顔でそれを手渡してくれた――けれど、それを即座に食べる事は出来なかった。
「ぁ……」
アイスを手に持ったまま、固まる。
「どうしたの?」
ミライちゃんが聞いて来る。
「それ。抹茶じゃなくって紫芋だよ」
「……」
さらにダメージ。
なんとなく、そんな予感はしていた。
具体的な心像を描けていないんだろうなって。
「ほんどだ……」
確認すると、その通りだった。
そもそもおかしいのだ。急にやってきた移動販売車の中身など、コトの頭の中には存在しない。
いや、そんなのは今更か。
虹が自分から生まれるのであれば、オリジナルは自分自身の筈で、だというのに心像を描くことが出来る程の基盤が残っていないのだった。
つまり単語と要素のみを覚えているだけで、それを指さすことが既に困難なのだ。例え視力として見えていたとしても、頭の中に映像を描くことが出来ていなかった。
(はぁ。なんでこんなことも出来ないんだろう。思い込みが激しいだけなら、勘違いとして笑えたかもしれないのに……)
笑われるかと思ったが、ミライちゃんは心配そうにコトを見ているだけでとくに笑ったりしなくて、その態度がなんだか心に沁みる。
前に医者?が言っていた言葉を思い出す。
『膨大な量の生体文字を事前に記憶していなければ、完全な景色を把握する事が出来ない』
その通りだ。
体が覚える、なんてのは起こらない。
ミライちゃん、は手にチョコミントを持っていたが、彼女はそもそもよくこういうのを食べていたらしく、間違えたりしないみたいだ。
少し、ショックで固まっていたが、深呼吸して改めて口をつける。美味しい。
「もー、しょうがないなぁ、私が買ってあげる」
食べようとしないコトを気遣って、彼女が言う。コトは慌てて止めた。
「いや、いいんだ、これで。間違えたの俺だし……」
あまり派手な味は好きでは無かったが、これはこれで、素朴な味で美味しい。
販売の邪魔にならぬよう、列から離れて少し街を歩く。
と言ってもタワーの周辺だけだ。どうせ戻ることになるからだ。
「コトちゃんはさ。オリジナルを取り戻したいって思う?」
意味もなくふらつきながらミライちゃん、は唐突に呟いた。
「え……」
「だって、私達が、心像を……具体的な映像を脳裏に描けないのは、生れたときから誰かが代理に使っているからなんだよ」
チョコミントを食べながら、しかし、どこか悲し気に彼女は呟く。
「文字だって書いて覚えられるのは書いたこととその出来栄えを感覚、経験として脳が記憶するから。
――子どもはそうやって繰り返した文字を覚えて、言葉を使う事が出来る」
「あぁ。そうだな」
一体、何の話だろうと、コトは呆然と聞いていた。
けれど、彼女は、ただ機械的に続きの言葉を述べているのみだった。
「でもね、それを……いつからか、
その為の経験をその文字を、
みんなが、他人の物を、他人の文字を、まるで自分の文字みたいに使ってる。
本当ならノートに『書いた文字によって個人の中に認識が定着する』筈なのに、『それをする前に国が使っちゃう』んだよ。
自分の生活に使う為の想像力が他人の情報と混ざってしまって、
『識別の為の記憶自体が困難』になってて……具体性を持つことが妨げられてる。ずっとね」
「代理に使うって……何の話?」
聞いてみたが、彼女はそうだな、と少し困った顔をするくらいだ。
「誰かが、この世界から、意思の源になるものを奪ってるって言ったら信じる?」
「何それ」
「……じゃあ、話すのが苦手な人間が、代わりに記憶が発達するって論文は知ってる?」
「それは、知ってる」
学校図書館にあった論文は新しいのが入るたびに大体読んでいた気がする。まぁ、今は読んで無いんだけど。
「そっか」
そう言った彼女はなんだか嬉しそうだ。
同じものを読んでいる、話が通じるというのが嬉しいのかもしれない。
「じゃあ、何かに代償が必要で、それと入れ替わりに能力を得られてるとしたらさ。魔女さんって何を奪われたんだろう」
「えっ……」
「あっ、ううん、そうだって言ってるわけじゃない。ただ、その視力って、生体文字……つまり名前や波形や……世界を覆っているはずの魔法文字を具体的なカタチの代わりに読める、んだよね?」
「あぁ、そう、だね。その人の成分表示みたいなものかも」
「それって、心像の代わりに、描ける範囲の推測される要素を脳が補ってるともいえるじゃない? 私は能力って本来そういうものだと考えて居るの」
「……味の推測は出来ないけどね」
腕に垂れて来たクリームを舐める。
甘い。
彼女が言いたいことがだんだんと飲み込めて来た。
能力が秀でている程、何かを代償にしている。
そうせざるを得なくなる。とはいえ、それがなんだというのだろう。
考えて居ると店舗の角で騒ぎ声がした。
誰かが言い争っているらしい。喚くような男性の声がする。
あの類はまだ存在しているのか、と何処か懐かしい気分になる
火の粉が飛んで来ないうちに戻るか、とミライちゃんの方を向い……
「――あれ?」
いない。
少し歩いて声の方向を探してみると、やっぱり其処に彼女は居た。
揉め事が好きなのだろうか。
「ちょっとだけ話を聞いて貰おうと思ってアンケートをしてるだけだろ!」
男性が叫んでいて、見知らぬ女性が戸惑っていて、ミライちゃんがその彼女の横に居る。
「嫌がっているのが解らないんですか!?」
「……はぁ」
――たぶんそうなんだろう。
軽いめまいを覚えながら、仕方なくそちらに向かう。
ひとまず彼女たちに声をかけてみると意外とあっさりとその場から逃げる事は出来た。偶々人目が多くなってきたのもあったのだろうけれど。
何度か頭を下げながら女性が雑踏の中に消えていく。
元居た地点まで戻る道中。
「あの人も無事帰って行ったし良かったね」
ミライちゃんは満足そうに微笑んだ。
コトは呆れながら聞いてみた。
「良く無いよ……、どうして突然争いに巻き込まれるような事をするかな。危ないでしょ」
「あれって、争いだったの? でも、呼びに来てくれたんだね。ありがとう」
ミライちゃんは不思議そうにコトを見つめている。
なんとなくイラっとした。
「……仲間を呼ばれたらとか、考えないわけ」
「え?」
「今は、運が良かったけどさ。運が悪かったらもっとガタイのいいやつに囲まれて、変なところに連れていかれるかもしれないだろ。そうなったら」
「変な? うーん……でも、なんかどうしてもあの人が、連れていかれたらいけないような気がして。でも、そっか、私も死ぬことってあるのか。全然気づかなかった」
優しいのか、馬鹿なのか。
そんな言葉が出掛かって飲み込む。
意味が解らない。自分も危険に曝される可能性くらい自覚して欲しい。
優しいというよりも異常だ。
まぁ結果オーライだよ、と彼女は嬉しそうに笑う。
「そんな事より、此処のアイス美味しいでしょ?」
「そんな事……」
でも確かに少し味は間違えたけど、これはこれで美味しかった。
間違えたのが毒だったらなんて、そうそう起こらないし。
バイトだったら、怒られそうだけど。
具体的に心像が描けない状態でも生きて行ける。
「美味しい。けど、今度は抹茶も買いに来ようかな。次は間違えないだろ」
言うと、ミライちゃんは苦笑いのような悲しい表情になった。
「……心像、欠けてるとうまく情報が入って来ないよね」
「そんなに深刻にならなくていいだろ? 今のとこ、困る事なんか無いかなって」
少し間違えても自分がちょっと不便なだけで、大した実害はない。
「私もそうだった」
彼女が即座に反応した。
「でも誰かと話すときに辛いよ。誰かを好きになったときに、あるいは嫌いになったときに。私達は具体的に視えているものの話を出来るのかな?」
「具体的に、視えているものの話?」
抹茶味が食べれなくても、なんとなく間違えても、何も見えなくてもまぁいいかって生きてるだけ。うさぎさんとくまさんとねこさんを間違えたところで、間違えたな、で終わるだけ。
「でもそれは、自分の中で過ごしているから成立してるんだよ。
そんな不気味な本性を隠して……何ら一貫性の無い自分を隠して、果たして私達は、他人に混ざれるのかな」
「……好きな人か、嫌いな人でも居るの?」
「どうかな。ふふふ。でもね、愛されたいなら愛が何か把握していなきゃいけない。それがどんなカタチなのか、どんな感覚なのか」
「えぇ……」
なんだか変わったことを言う子だ。
それとも、自分も変わっているのだろうか。
いや、もともと変わった子だったかもしれない。
蝉の声がする。うるさい。
でも、何か、何か……何を言えば良いんだろう。
――と。
「私は、怪物だからさ」
ふいに彼女は顔を逸らした。
意味も無く、あるのかもしれないけど、空を見上げる。
まだまだ暑い、夏の空。じきに夕方になるだろう。
「最期まで何にも解らなかったんだ、ただひたすらに怖くて、恐ろしくて……それがなんなのか解らなかった。見えなかった……イメージが出来ないの。
それをね――みんなの前で指摘されるのが私」
シャリ、とコーンを齧って彼女は言う。
「きっと、それだけが、私のオリジナル《心像》」
2023年8月25日1時40分




