選択
ずきっ、とコトの頭に鈍痛が走る。
「戦争って」
今、何か思い出しそうになった。なんだったか、よく思い出せないけれど。
そう、大事な事だった気がする……のに。
ドキドキと心臓が暴れている。怖い。不安と恐怖の中、考える。
(俺は、何を恐れているんだ)
「じゃあー準備が出来たら出発するからな」
遠くではキャンディがいつの間にかそう纏めているのがわかる。
話し合いが解散、した後も、みんなはその場に残っていた。
コトも例に漏れずぼーっとしていると、テネが話しかけて来た。
「……どうするの?」
「何が、です」
「お母さん、具合よくないんでしょ?」
「ですね。なんか、いきなり、あんなことになっちゃって。これじゃあどんどん悪くなる一方かもしれない」
コトにもどうしたらいいのかわからなかった。
何から考えるべきだろう。
母さんが何をしていたのかも、どんな感情を抱けばいいのかも。
それに母は母で、つまり、家庭が、生活がある。
「入院費用は平均一日二万円だそうです」
「えっと。うん。それで、どうするの」
「うーん」
どうしよう。
数日分くらいならこの前のバイト代でも出せそうだけど、何度も同じように入院するようになったら。というかそんな予感もする。
戦ったりするだけでも疲れてすぐ寝てしまうので、少しまずい。
(父さんも最近あまりいないしな……)
そんな気持ちの一方で、両親を信用しきることも難しい。
いっそ、このまま自分一人に孤立した方が良いんじゃないのかと思いそうにもなる。父は居ないし、母も居なくなって――本当の意味で独りになって。
そしたら、どうやって何に成って生きよう。
でも、家が無いとあらゆる手続きに不便だ。
だけど、いつまでも此処に居たって何処にも行けない。
ミライちゃんは、そんなことを考えなかったのだろうか。
彼女は何処か家庭の話をしたがらない様子だったけど。
「此処に残るという手もあるんだよ?」
テネは真面目に言っているようだった。
コトはその発想はなかったので少し驚いた。
「残るってそんな、危ない場所なんでしょ、少しでも俺が行きたいです」
「そう。危ない場所に行きたいなんて変わってるね」
テネはふふっと穏やかに笑う。
「誰かに頼られる事って、今まで無かったから」
コトはまっすぐ頷いた。
――日常はいつも、自分を突き放す。
少し何かするだけで大騒ぎになって、みんなが冷たい目で見ていた。
家にいるときも、あのバイトの時も、日常には落ち着ける場所が無かった。
世界から否定されるような毎日だった。
そんな、自分が変だって思ってそれで負い目を感じる状況が、戦うときには心強さに変わる。
どんなに危険だと言われても、一人じゃないと思えるのは戦いの中だけだ。
「それに案外、父さんと母さんのことも、夫婦の問題であって、
扶養義務のある自分が此処から居なくなる方があっさり解決するかもしれない」
コトが告げると、テネは変わらぬ表情のまま優しく頷いた。
「わかった、君がそれで良いなら僕はそれで良い」
……どういう意味だろう? なぜそんな含みを持たせた言い方をする。
少し疑心暗鬼になりかけているのはやはり疲れているからなのかもしれない。
コトは何も言わずにエレベーターに向かう。
そのときエレベーターがちょうど開いて、中からナナカマドが出て来た。
「おぉ」
やや疲労を滲ませており、オールバックに整えた髪もやや乱れている。
ぶつかりそうになったコトに少し驚いたようだったが、彼は改めてコトに訊ねる。
「そういえば、君は最近誰かに、通って居た学校や保育施設の話をしたか?」
「え?」
――突然、これまた唐突な質問だった。
「いえ最近、特にそういう話をする人は居なかったですけど」
彼は、ふむ、と何か考え込んでしまった。
「何か……あったんですか」
どうも『この会社』は勝手に調べたんだかで、既にあらゆる情報が渡っているらしく今更話す事など無いわけだが(それもどうなのかと思っている)……
最近、わざわざ個人情報を誰かに話す事は無かった。
「叔父さんの香典返しの電話を終えた後、思いだした。病院を訪ねた際に妙な言葉を聞いたんだ。言葉というか。病室の一室から聞こえた。
誰かが、君の経歴を読み上げているような……何年、どこそこに滞在、というような言葉を、表でも読むように繰り返していたもので、なんだか気味が悪かった」
「最近……あっ!」
ある。心当たりが一つだけ。
履歴書だ。あそこからなら、誰かに売り渡したとしても不自然じゃない。
不特定多数に渡ることも出来る。
なるべく余計なことは書かないようにしたけれど、それでも何も書かないという訳にも行かなかったし……
それ以外で外に発言するような状況は無かったはず。
「私も時間のある時に周囲をあちこち見て回っているが、どうにも、君やミライさんの身辺を何者かが探っている気配がある。
母親だけではない、本格的に何者かが君の周囲に侵入を試みていると思った方が良いだろう。
まずは手当たり次第にそれらしき情報を拡散する事を目論んでいるのかもしれない。と、なんだかこちらも雲行きが怪しい――別に引き留めるつもりは無いが、本当に、残らなくて良いんだね?」
少し、考えてみた。
でも、残ってもどうするというのかわからなかった。
どのみちあの大きな鳥籠を持った魔女が来たら、コトには太刀打ちできないだろうし、母親の事だって、むしろ自分が居ない方が良いような気がする。
何か引き合いに出すような脅迫や揺さぶりを掛けられても、本人が不在の方が安全なような……
勿論、地面師事件のように、不在の間に第三者が成り済ます例外の心配はある。(でも、成りすましてどうするのか、って言われると、コトにそれほどの価値があるかは不明だ)
ひとまず頷くことにした。
「はい」
2023年8月13日19時40分




