呪文返し
・・・・>>>>>>>>>>>>>
これからどうするかをみんなが話し合う中。
「すみません、先に戻りますね」
と、コトは一人その場を離れた。
AIも片付いたし、何の心配も無い筈だというのに、なんだかさっきからずっと妙な胸騒ぎがしている。
他人にあまり頼ったりしたことのない少年には、こういうときに、誰かの傍に居るだけでも自分の出来ない『頼る』という課題と、心の重みが同時に伸し掛かり、周囲から隔絶されたような感覚を覚えて辛い。
今のまま誰かと居ると、当たってしまいそうだった。
周囲が待てとか何とか言っていたけど、それでも、独りになる方がずっとマシだ。
黙ってエレベーターに乗り込む。
脳裏には母親の人格をベースにしたAIが口から血を吐くのが浮かんでいる。
あれがあのまま実際の母と同調してしまうのではないか、という漠然とした推測が膨れ上がっている。
(そんな……そんな、はずは。無いと、言いきれない)
動揺を押し隠しながら一人で地下室に戻った。
ドアを開けるところで、何処からかやってきたナナカマドと対面した。
「──来たか。中にレイメア……キャノも居る」
と、いきなりコトに着目したように言うので、コトはなんだか漠然とした嫌な予感を覚えつつ「そう、なんですか」とだけ振り絞って答えた。
他のメンバーもこれから各々、エレベーターで降りてくる筈だが、みんなに向けた話ならわざわざ此処でコトの方を向いて話し始めないだろう。勿論ただの世間話、という線もある筈なのに────
彼の、常に凛としたまっすぐな目が、楽しい雑談という予感を全然感じさせない。
どくん、どくん、どくん、どくん、
心臓が跳ねる。
緊張している。何故こんなに緊張しているのか。痛い。怖い。身体が微かに震えている。
「突然だが」
と、彼の視線がコトに向けられる。
「驚かずに、聞いて欲しい」
嫌な予感を漂わせたまま、わずかな沈黙の後、ナナカマドは改めて続けた。
「君の母親が、突然嘔吐し、入院したようだ」
「え……」
一瞬何を言われたかわからなかった。
「此処だ。後で病院に行ってみると良い」と、メモを渡される。
一応、おずおずと受け取りながらも、コトにはまだ信じられなかった。
「それと」
と、明らかに盗撮されたであろう、横顔の写真も手渡される。
「母さん……」
紛れもなく、それは患者衣に身を包んだ母の姿だった。
目を閉じ、ベッドで点滴を受けている。
「本人が、どうにか力を振り絞って119番通報をした。隊員が駆け付けたときにはぐったりしていたらしい」
いきなり指示メールが来たり、不倫裁判をしていたり、骨折で仕事が出来なくなったり、急に変わってしまった母さんが……
フレンチトーストとウインナー、と突然謎のメールを寄越した母さんが。
「原因は不明のようだが、見る限りどうも呪文返しを受けたらしいな」
「呪文、返し?」
「そうだ。呪文は通常、返されないように使うのだが……一定条件下で掛けた呪がそのまま本人に返ってしまうことがある。
他人に掛けたものと違い、本来本人を確認する為の──免疫……、意識チャネルが開いたままになるので防ぎようが無いまま、通常の倍のダメージを負ってしまう」
いや、説明はいい。
そんなことより、何故彼が知ってる?
母さんが呪文を返されたってなんでわかる?
「え、……っと、なんで、そんな、いきなり、そういうこと言うんですか」
「私が魔法の身体影響を調査するよう言われたからだ。それで先ほど、病院に赴いていた。
診察リストに羽浦という名字が見えたもので……」
「────」
まっすぐな目が、見下ろしている。
怖い。
反射的に、怒られる……と思ったコトは、
ぎゅっと目を瞑ったが、別に拳が飛んで来たりはしなかった。
「呪文を返したということは、呪文を使ったという事。だが君のお母さんは呪文を使っていたか?」
「──フレンチトーストとウインナー」
「は?」
「母さんが呟いたのは、フレンチトーストとウインナーくらいで……燃やせとか、leus estとかは入ってませんでした。それでも、呪文として返された、んですか」
ナナカマドは妙だな、とやや眉を寄せる。
「ふむ──潜在履歴にも単語しか残らず、呪文として認識されない、記述レベルでの発動の可能性か……」
「どうしよう、母さんは……、誰かに、操られてる。ずっと、誰かの指示を聞いて、その通りに動いてる……」
一度自覚してみると、堰をきったように不安や不満が溢れ出して自分でも止めようがなかった。
「俺を監視するような事ばかり言うようになって……時間や都合に構わずに変なメールや電話が来るし、すれ違い様に意味のわからないことを言う……母さん、リカちゃんを迎えに行くとか……不倫とか……俺……わからなくて……あぁ、メール、メールも、フレンチトーストとウインナーって、あれも、AIになって……呪文が、意識のつながりで発動するなら……単語だろうと、……いや、俺が」
ぼろぼろと、無意識のうちに、
大粒の雫と言葉が溢れてくる。
泣きたいとか慰めて欲しいわけじゃない。
ただ、この感情はなんなのだろう。
それに、自分が今、何を言いたいのすらかも、わからなかった。
「リカちゃんって何──? いや、そもそも、なんで? 俺……普通に目立たず生きたかったのに」
混乱したままのコトにナナカマドもやや驚いたようだったが、毅然とした態度を見せた。……下手な慰めよりも落ち着くのを待って、ゆっくり寄り添おうという彼なりの優しさにも思える。
それを見ているうちに、コトも少しだけ落ち着いた。勿論未だパニックではあるが、表に極力出さないよう制御する程度には。
「ふむ──リカちゃん。聞いたことがあるな。ヒグラシと組んで居た者がそうだったような」
独り言のように呟いた後、改めて言う。
「事情はわからないが、うちと折り合いが悪いあの会社の者達がなんらかの手段で間接的に君の意識に干渉しようとしている……というのは、充分に考え得る」
思い返してみる。
保険会社の入ったビルに母が入っていって、そこで軽トラが来て……
一瞬の出来事だった。
リカちゃんを迎えに行かないとと言っていたあの人も、母とつながりのある会社の人。だけど、そこが敵対組織や企業の可能性もあるんだ。
そう考えてみると、一体誰を、何を信用していいのかますますわからなかった。
(信用、か)
学校に居た時、友達が居ないわけではなかった。
でも、もうその友達とつるむことはない。
(だって、あのとき、全部置いて来たんだ……)
それに、こんな言い方もどうかとは思うが、そのときだって一緒に遊ぶ程度の友人は居ても『難しい話を出来そうな』、心の底から抱える問題や悩みを話せるような友人は居なかった。クラスの中でもずっとコトは浮いていて、一人だけ精神年齢が高いとすら言われていたのだから。
今はもう家族と、此処の人達くらいしか関りが無いなかで、数少ない人間関係から信用を失うという恐怖。
それは生活、人生そのものの崩壊と直結していた。
それが、誰かによって既に壊されようとしている。もう、始まっている。
「だが、なぜいきなり呪文が返されたんただ?」
「それは俺が、AIを叩いたからです」
コトは端的に述べた。
最上階にある謎の機械のこと。タワーに接続されていて、魔力を吸収しているようだということ。それはゲシュタルトを崩壊させ得るもので、先程起動してしまい、皆で倒したと言う事。
正確に言えば、ミライちゃんが記述を破壊したり、キャンディが記述を投げ入れたりしたけど、それも全て、自分たちの為で──
つまり、コトがやったようなものだった。
「やはり、君や母親の意識を利用して、指示語のような形で呪文生成されたということか」
ナナカマドはそこまで言うと、考え込んでしまった。
「……通常、魔法は指示語に沿って形成されるが……意識と単語だけでもあれ程に発動するとなると……彼女以来か……」
「なんの話?」
地下室のドアが開いて、中からキャノが出て来た。
7月18日AM4:13




