違反の存在
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「おい──起きろ」
水色のネグリジェ姿のキャノは、いつものホテルの一室で、近くに寝ていた少女に起こされた。
「……ん、なに。リル……お化けは出ないから大丈夫だよ。トイレはすぐ右の──」
「いつの話してんだ……じゃなくて。本当に、起きろ」
「なあに、もう……」
眠い。彼女はぼんやりした視界のまま、隣にいた少女を見つめる。わあ、相変わらず綺麗な顔立ち──じゃなくて。そうじゃなくて。
なんだって、こんな時間に起こすのだろう。
「お前、何か聞こえないか?」
そう言われて、はっとして辺りを見渡す。まさか。
ロックされたドアの向こうで、何やら声が聞こえた。「寝てるだろ」「いや、わからんよ」
複数の男の声──痴漢などではないと、思いたいが、一番の可能性からすると、ついに、この場所が《ばれた》ということだろう。
にやついていそうな、どこか冷静を保ちつつも弾んだ声。寒気がした。
まだ距離はありそうだが、階段を上ってくるのは時間の問題だろう。
「どうしよっか」
「……逃げるか?」
「うーん……後始末が面倒だよ」
「いっそのこと『私は何もやってません!』って、前に出て答えたらどうだ? 報道機関とかにさ──」
「そんなの、私がどう言ってもうまいこと編集されるに決まってる。どうなるか、わかったもんじゃないわ」
「そういうもんなのか」
幸い、宿代はいくらか前払いしてあった。彼女は、目の前の少女を少し見てから
「でも、うまく行けば彼らの『方向性』がわかるチャンスではあるよね」と呟く。銀髪を二本抜いて、近くにあった箒に巻き付けると、ノリで、ぴららろらーん! と、昔やった魔法少女役のドラマの呪文を呟く。呪文自体は作り物で意味は無いのだが、『彼ら』にちょっとした皮肉を込めていた。
箒がみるみるうちに、人体っぽい光を纏い、人体っぽくなって、はた目からは、キャノの分身を作り上げた。
「私、ヨロシク──」
そう言い残し、ちらりと窓を見る。遠目から見ても、やはり車が何台か待機している。一見普通車だが、駐車場に停めていないのに、何も言われなさそうだ。
「じゃ、行こ、リル」
「わかった」
二人は手を繋ぐ。
ここで転送魔法を使うと、波動の揺れが動きすぎて、すぐにリミッターに感知されるだろう。
なので、そうでない力を使う。加害になりそうな魔力しか規制が追い付いていないことは、昨日、一部証明された。二人の間に陣が出来て、どこかに──恐らく建物の地下にあるリミッターを動かした。
しかし、それは何の意思もない、エネルギーの塊だった。ただ波があるだけ。ただ意思のない現象が、意味を持っているだけ。
何にも属さない強大なその力は、やはりどう処理していいか、リミッターにはわからないらしい。
制限の速度を、強度を、徐々に緩める。
一気に壊すわけにはいかないが、これで少しは、楽になるはずだ。
「……まあ、いつまで気付かれないか、わかんないけどね」
「だな……」
「あーあ、なんか、悪いことをしてるみたいだよね。生まれついただけなのにさ。なんで、逃げてんだろ」
「そうだな……本当は誰も、真実なんか求めちゃいないのかもな。自分が納得できる展開だとか、面白ければ、それでいいってな」
「そうかも」
クスクスと笑い、二人の魔女は姿を変えた。
瞬間移動を転々としても良かったが、着地点に罠があれば、詰んでゲームオーバーなので、危険な賭けになってしまう、と、二人とも諦めて──鳥になって、窓から抜けた。
全身を鳥にするのは大変だし、飛んだあとは腕が確実に筋肉痛になるのだが、仕方ない。
二人は無事、逃げ出した。
その日の朝──『はにゃにゃん』が再び容疑者として、テレビに出ていた。珍しく自宅に居た父は驚いていたが、それは箒だと、自宅に居たコトにはわかった。
「二人とも──」
彼は、なぜか、昨日から未だ見つからない暴走者について、考えを巡らせていたところだった。
何があったのだろう。
ひとまず朝食を取ろうとしたコトの横で、家の電話が鳴る。
誰も受話器をとらないので、仕方なく出てみると、フローからの連絡だった。なぜ番号を知っているかは、今さらどうでもいい気がする。
なんとなく冷めた気持ちで、通話ボタンを押した。
「はい……」
「あの、コトさんですね。驚かずに、聞いてください」
フローは、やけに落ち着いた声で言う。逆に不安を煽った。
「実は──────」
聞かされた言葉は、あまりに現実感のないものだった。
「キャンディが、死んだ……」
自分で繰り返して、呆然とする。
まだ、知り合って一日だが、あんなに熱く、生命力に溢れた彼が、そんなことになるなんて、想像出来ない。嘘だろうとさえ思う。
「僕も信じられません。けれど、死体が運ばれて行きました」
「どこに?」
「──それは。病院です。闇の、ですが」
「痛み止めを処方していたのも、そいつか」
「え? ええ……知り合いですか? あの闇医者と」
「魔族はときに痛み止めが必要になる重症を負うことがあるだろう。しかもそれは魔力でしか補えない傷だ、ただ手術するのでは治らないのではないか? ──だからそういう闇医者がいるとは思っていた。そいつの話を聞きたい。魔女狩りについて、何か知っているだろう。キャンディの遺体をどうするのかも気になるところだ。葬儀に出すのか、それとも──?」
「悲しまないんですか?」
「……悲しいさ」
「どうして、そんなに冷静なんですか」
「……何から悲しんでいいのか、わからないんだよ」
「今朝のニュース、見ました?」
「……」
声に、ノイズが混じる。
電波が僅かに乱れているのがわかった。
(……誰かが、盗聴している?)
「わかりました。では、病院にあたってみるということで、ええと、コトさん。また」
「なぜ、運ばれたのを見ている?」
「……ああ、そうでした。昨日の騒ぎで、彼が腹を立てて、会社で暴れて、処理されました。彼女たちが、あんなことになってて、混乱したんでしょうね」
「……そうですね。あんなことになってましたからねマネージャーとして心配ですよね」
「もちろん……電話は繋がらないし、気配も感じないので、心配です。コトさんも何かわかったら、連絡してください」
「わかりました」
通話を切ってから、コトは、自分の受話器を持つ手が、僅かに震えているのを感じとった。
処理されたって……つまり、会社に処理されたって意味か?
なんなんだ、あの場所は。誰が殺ったのかは知らないが、聞いたところで、憎悪が芽生えるのみで、なにか変わるわけでは無いのだろう。
やはり、異常だ。
『彼女』に、あれだけの結界が張られているのは、過去の出来事を知っている者の仕業か。
手紙が来たとも言っていたし……
あれだけ貼られては、リミッター制限に引っ掛かる魔力を使わない間も、相当な負荷がかかっているはずなのに、彼女は魔力自体を抑え込む魔力でなければ、苦痛を表さなかった。
つまり、自らの魔力自体で、ある程度の結界を中和している。恐ろしい人だ。
だからこそ、底知れない。彼女たちが。あのわけのわからない会社が。
魔女狩りからずいぶん経った、今になって、彼女が呼ばれたのは、どんな意味がある。
あの日、おれに出会ったのは、本当に、偶然か──?
コトは、混乱、畏怖、怒りで、背筋がさあっと寒くなった。
「運ばれたって、なんだよ。他人事みたいに……」
──いや、他人事には変わらない。こういう会社では、他人に同情しすぎる人間の方が、扱いづらく危険だろう。けれど、なんとなく寂しかった。
自分のことも最近、よくわからない。
クルフィが、炎のように熱い人なら、キャノは、音のように弾ける人で──自分は、どんどん冷えきっていく。
人格、感情と魔力は連動しているのかもしれない。
以前のような感情が、どこか薄れている反面で、今朝も、顔を洗おうとして、洗面器に、薄い氷を張らせてしまった。
もう、自分はただの人間では、なくなってしまった。
考えてみたこともなかったが、自分の父か母──または、祖父や祖母が、魔族なのだろうか?
自分だけが、変異しているのか?
もともと、変異者とは、なんなのだろう。
誰しも持っていた魔力だけで、あの男のような、安定した暴走が起こるとは思えないと、キャノも言っていた。しかし、近頃のニュースで、そういう人物が度々現れてきているようだ。
作られた力であっても、それが取り込めるというのは、外部からのエネルギーを、内部で使えるように変換して、消費出来るということだ。
つまり外部的なシステムだけではなく、それに耐えられる『体』が、もとよりあるべきなのだ。
あの男からは『魔力』を感じなかった。
けれど、力の安定した暴走が起きた……
まるで魔族に、近づいてるみたいだ。
もし、魔女狩りから逃れた魔女たちが、人間との子どもを作り、その中間の人間が、社会に誕生していて、その体が、魔力を中和するのなら──
(……どうなるんだろう?)
そこまで考えて、コトは、急に、自分の暴走を止めたクルフィの顔が、思い浮かんだ。なにより、それが嫌ではなかった自分がいる。
彼女が何を考えているのかはわからないけれど、自分の感情をここまで乱している彼女は、今は少し憎い。
まあ、でも仕方ない。
あのビルに行ったらなにかあるだろうかと切り替えて考える。
「コト」
父が呼んだ。
「は、はい……」
コトは恐る恐る返事をする。仕事が忙しいとたまにしか帰らない父には、滅多に怒鳴りつけるわけでないが、無言の威圧感がある。
自宅でもスーツで無ければ、落ち着かないといい、休日も髪を整え、爪の手入れまでして、コーヒーを飲む父。
几帳面で、厳格な彼は、コトにも同じように、几帳面になることを望み、安定を願っている。
コトは彼がよくわからない。他のひとと違い、血縁の、身内だからだろうか……考えが、読めないのだ。
「近頃、よく、遊びに行くな。大学は決まったか。なんなら、海外にでも──」
「おれは、海外には行きません……それで、その。働きます」
「働く?」
「はい」
「大学は、出なさい」
コトは、黙ったまま少し考えた。
自分の住む町に、現代になりようやく飛び級制度が出来たからといって、利用者がさほど多いわけではないので、それだけ異端者という目で見られることになる。
むしろ、もう廃止の向きも出てきているほどで、和を重んじる社会にはバランスが悪いのかもしれない。
「……おれは、家を出たいんです」
「家を出て、どうする。だいたい、何をするんだ? いくら学力があっても、学歴には比例しないぞ」
それは、同じようなことが逆にも言えた。けれど、そんな指摘は無意味だと黙った。
なんだかんだで、結局『どこにいたか』の方が、未だに重視されている。
苦痛になって、さっさと学校を卒業したのは自分だったけれど、社会で仕事に就いても、結局同じような世界が続くだけだろうし、大学に入っても世代のギャップに悩むのだろうと思う。
そのなかではやけに若い自分のことを、きっと、誰も保証しないのだ。
教授などからも同期生からも『結局実力がどうより、コネかなんかなんじゃないの?』 という視線にさらされるに決まっている。
同級生だった時点で、卒業を宣言した瞬間に手のひらを返された人たちとも、先輩後輩の立場で再会するかもしれない。
そうなると、そのときに何を思うか、わからない。皆の、冷めた目を思い出して、コトはため息を吐く。『遺伝子ってずるいよな』というクラスメイトの発言に、ひそかに傷付いたことも、思い出す。
自分のなかでは、勉強も真面目にやっていたし、人並みにいろいろと頑張って出来たことも、たくさんあった。
けれど、そんなのもともと、誰も見ていないらしい。何もかもを『結局運だよな』と言われるのは、少し寂しかったのだけれど、きっと誰も共感してくれないだろう。
窮屈だ。
他人なんか見ずに、自分の行きたいところに行けばいいのに。他人のことなんかどうでもいいじゃないか。みっともないプライドなんか、砕けてしまえ。
引きずられるな。
お前の人生は、誰と仲良くしようが、どうせお前だけにしか保証できないんだよ──
心のなかで自分を奮い起たせる。
だったら。
あの日出会った、彼女たちのように──もともとの身の保証の期待さえもないけれど、そのぶん、窮屈でなく、自由で、愉快な、まるで自分自身を見ているような、闇の中──あの世界のなかに、いっそ染まってしまいたい。真っ暗になって、その視点からの光を見たい。
おれは。思ったんだ。
「この人なら──」
彼女なら。
こんな窮屈を、壊してくれるって。
──ただ純粋に、彼女が好きだった。
異性とか同性とかそういう隔ての問題ではなく、友愛でも、恋愛感情でもなく、ただ、あの日。
いいなあと思った。
前向きで、まっすぐで。
──たぶん、憧れだ。
強くなりたかった。
彼女は、強いなと、思った。
「この人? 誰だ」
父がまだ居たらしい。背後のキッチンで肘掛け椅子に座って、コーヒーを飲みながら聞いてきた。
「あ、いえ……なんでも」
「まさか、家を出ていくってのは、婿になるっていうのじゃ」
「違います!」
思わず全力で否定して、玄関に向かう。
ああ、もう、考えていても仕方ない。コトはそう考えて、外に出る。
とにかく、彼女たちに会いたかった。どこにいるんだろう……
っていうか、まだ結婚なんてしたくないが。そう考えてしまい、頭を振る。いやいやいや。落ち着け。
そういえば、彼女たちは、恋人とか居たのだろうか、なんて下世話な想像をしかけたが、さっさとビルに向かうべく、コトは前へ足を踏みしめた。
道端で、金色い、ポップな髪型の男に会った。なかなかの美青年だ。牙とかあったら吸血鬼かも、と思いつつ、コトは彼を無視してビルに向かう。
「ちょーっと! ストップストップ! 無視!?」
「……うるさい。なんで生きてるんですか」
キャンディが、自宅前で待ち伏せしていたようだ。変なトレンチコートに青い縦じまのセーターに黒い足首までのブーツで、なんか、海外のモデルみたいな格好をしている。
「おめー、知ってやがったな。俺さんが生きてんの」
「……はいはい」
無視してビルに向かう。
キャンディはめげずに付いてきた。
「男には冷たいのか!? アイスキャ──」
「黙れ」思わず言うと、本当にキャンディは固まった。
口をあんぐり開けたまま、身動きしない。
「え……えええ、あの、マジですか」
思わず、立ち止まり、彼の方へ戻る。ツンツンとつついてみたが、反応がない。頬を引っ張って、口の形を変えてみて、目の皮膚をぴろんと動かしてみたが、動じない。不謹慎にも、笑いそうになる。
「嘘……フリーズ?」
なんでだ。
コトはちょっと動揺した。けれどすぐに思う。
「ま、いっか」
改めてビルに向かおうとすると、待て! と言われた。
「なんだ、無事じゃないですか」
「からかってやろーと思ったのによぉ」
「……そうですか」
「ちょっとテストしたんだ。くたばったやつに、いちいち同情するようじゃ、この先やってけないからな」
「あなたの魔法ですか」
「あー……まあな。フローを《真似た》のは、そうだ」
ああ、やっぱり住所、氏名、電話番号と、個人情報保護法も、プライバシーポリシーもあったもんじゃない会社なんだなと思いつつ、コトは聞く。
「キャノさんも協力してました?」
「いや、あいつらを探してんだよ、俺も」
「じゃあ、クルフィさんもいないんですね……」
「なんで、あいつがいると思ったんだよ」
「いえ……あの。盗聴されてるみたいで……もしかして、父さんが仕掛けたのかな」
「どんな家族だよ」
漫才みたいな会話をしていると、パラ、と、コトの頭上になにか降ってきた。
「ん?」
思わず、拾い上げる動作をして、驚く。髪だ。自分の前髪が、数ミリ、焦げている。
コトがあわてて飛び退くのを見て、キャンディも異変に気付いた。
火の玉が、追ってくる。
「これ夜中の墓場イベントだろ!」
「知りませんよ!」
とにかく逃げなければ。二人して、ビルのある方に向かって、さっきよりさらに急いで走った。
遠隔操作で魔力に吸い寄せられるというおもちゃ──いや、おもちゃと呼ばれているが、実際は悪質なイタズラグッズの、炎を身に纏うバージョンらしい。
──キャンディが、炎を避けながら言ったとき、同じように避けながら走るコトは目が回りそうだった。こんなものが当たったら、たまったものじゃない。
何か、力が使えればと思うが、コトは、今のところ、うまく意識して強い力を引き出せなかった。これまでは、無意識なのだ。
「……あー、どうしようか」
だんだん余裕のなくなってくるキャンディが言う。
あっちこっち向かううちに、二人とも、どこに向かっているのかよくわからなくなっていた。
「……そうだ。確か、キャノさんが、自分の縄張りがあるところの様子は、遠くからも見られるって言ってました」
「そうだが」
「キャンディさんも、なんかそういうのでパパっと探してくださいよ」
「うわ、無茶ぶりだなお前……」
「出来ないんですか、なーんだ」
「俺さんにだけやっぱり鬼だよなお前」
キャンディが少し思案してから、近くの電柱まで歩いていく。ひょい、と高く跳んで、電線に軽く触れるようにして、着地する。 そして、すぐに、叫んだ。「あああああああああああっ!!」
なるほど。
どうやら、生身で空に上がるほどに、魔力均衡の影響を受けるらしい。
飛びながら使えば、場合によっては死ぬのかもしれないと、痛みに悶える彼を見ながら学ぶ。
□
『リル』
誰かが、自分を呼んでいたと思った。返事をしたいが、息が苦しくて、咄嗟には出来そうにない。
『リル。大丈夫か──お前は、いつも、無理をするな』
ゆっくり呼吸を整えるうちに、少女はその声を、ぼんやりと思い出してきた。
「サンディ……サンディなのか!」
クルフィ、と呼ばれた少女の、かつて、最も親しかった異性であり、異種族。それがサンディだった。
使い魔にするには惜しい、それだけの知性と魅力を兼ね備えた彼。本人は百年前は、人間だったのに、呪いをかけられたのだと言っていたが、実際はわからない。
『ははっ、相変わらず、いい女だ』
「──お前は、どこにいる? 相変わらず、いい猫なのか」
彼女には、サンディの姿が、見えなかった。
『おれは、もう居ないよ──』
声だけが、なにか、残酷なことを告げている。
「なんだよ……なんで、お前──」
彼女は、なにか、言いたかった。けれど、何を言いたかったか、わからない。
「サンディ……」
胸が痛い。苦しい。何故だろう、ひどく悲しい。
「おーきーろー!」
「うわっ!」
ひっくり返るようにして起きると、キャノがすぐ横に居た。ここは、森の中のようだ。
「おかしいな、目的地と違っている」
「……全くもー、サンディサンディサンディって! ずっとうなされてたよ。そんなに故郷の森が恋しかったの? サンディと会った場所だもんね……でもそれはここじゃあないよ」
ぼーっとした頭で、横で拗ねているキャノを見つめる。……なぜ、森に居る?
少し考えてみると、徐々に思い出した。
「上空への規制が厳しくて、安定しなかった結果、墜落したんだっけ」
そうだった。空を飛ぶことは、たぶん最も禁止される魔力で、そのぶん上空の規制が厳重にされていてもおかしくなかったのだ。
「横に、私がいるのに!」
キャノは、墜落したことよりも、自分が夢に出なかった方を気にしている。
身体は痛く無いのだろうか。クルフィは、少し、上半身を中心に、身体に鈍い痛みを抱えながら、とりあえず一言呟いた。
「居たらなんなんだよ……」
「あー、そんなこと言う! 知らない、リルが傷付かないように、私がギリギリで着地させてあげたのに! リルって勢いよく飛ぶのは得意なのに、止まるのは苦手だもんね」
「ああ、そうだった、悪い」
「それよりっ、あの性悪猫と、まだ別れてなかったの?」
「うーん。お前には、関係ないだろ」
クルフィが素っ気なく答えると、納得のいかないキャノが頬を膨らませて、さらに拗ねる。子どものようだ。
「関係あるよ……! あるんだもん……」
「あー、はいはい、悪かった。ほら、よしよし」
クルフィには、細かい人間心理(特に色恋沙汰)が、めんどくさい。
しかし、さらに拗れてもめんどくさいので、すごく適当に慰める。それこそ、小さい子どもを慰めるように、ポンポンと背中を軽く叩きながら、抱きしめた。
「しょうがないなー」
キャノは機嫌がなおったらしい、すぐに落ち着いた。彼女とサンディは仲が悪かったから、名前をだしたのが、よくなかったのかもしれない。クルフィは考える。
……というか、昔はよくサンディが一方的にキャノをからかっていたような気がする。
「にしても、森か────確かに、懐かしいな」
膝のほこりをはらい、辺りを見渡す。ありふれた森林だった。それなりによく日差しも入る。手入れもまあまあされているだろう。
クルフィが、キャノの声が返って来ず、静かだなと思ったときには、彼女は、耳にはめていたイヤリングから、何かを聞き取っていた。あれは受信機だったのか。よく見てみると、確かに、何か聞こえている。
「なんだ、それは」
「……電話」
キャノはそういいながら、身体のあちこちを確認して、特に破れたりしていないとわかると、森の中へと歩き出した。クルフィも慌ててあとを追う。
クルフィは森の中を歩きながら、そうだ、サンディは、死んだのだと思った。肉体を失った存在は、本来現実に居てはならない。
「……ははっ」
まだ、忘れきれていないんだなと思って、忘れようとしていたことに気付く。
「なんで────今さら」
あいつは、燃やしたじゃないか。私自身が。そう思って、悲しくなった。
と。そのときだった。
『リル』
どこかから声が、聞こえてくる。
『リル』
──それはどうやら、夢ではなかった。キャノも、聞こえたらしく、やや青ざめている。
「なんだ、これ──」
『リル。ここに、戻って来たんだな。嬉しいよ。ここが滅んだとき、お前は魔女狩りから逃げていて、それどころじゃなかっただろう。まさか、生きているリルに再び会えるなんて夢にも思わなかった』
「滅んだ──?」
『ああ。死者の森は、跡形もなく消え、その後に、この都市が出来たんだ。空気が汚れている』
「滅んだ、って。じゃあ、ここは? お前の声は、どこから────」
『俺はどこにもいないよ。知っているはずだ。お前の意識の中にしか存在しない。死者でも、肉体みたいなものを持てる方法があるんだが、それが──』
「意識の、中でなら、死者も、肉体を持てる────?」
『あ、さっき肉体って言ったか、実体だったな。実体を持てるんだ。なら、死者であろうと、生き続けられるんだよ。しかし本来の肉体のような実感の伴う影響力はない』
「そんな話を、私に、なぜするんだ。ここはどこだ。お前は────」
『イメージしてくれ、そうしたら、実体を持てる』
彼女は、咄嗟にサンディを思い出す。サンディは、やや大型の(厳密には猫ではないらしいが)猫科の生物だった。黒い、艶のある長めの毛並みがふさふさと揺れて、大きな耳は、ピンと立っている。
──彼が、そこに、いつの間にか存在していた。
「……サンディ」
「リル、久しぶりだ。俺は、もう居ない。けれど、こうして話せるのは、お前が小さな頃に暮らしていたこの、変わり果てた森で────ずっと、待ち続けていたからだ」
「そうか──私は、昔、ここに、居たのか。確かに、ばあちゃんと二人で、一時期、森に来ていたことがあったっけな。別荘があったんだっけ。薬品を煮るには、人里を離れた別荘にしないと、苦情がくるとか言って……誰も来ない呪いの森に、ばあちゃんが家を建てた。お前は、そのときから、よく飯をねだりにきていたな」
「リルは、昔、おばあ様を生き返らせようとしたことがあったよな」
「ああ──そう、だな」
でも、不可能だった。
きっと、限りある尊い命の中で生きるものたちに、そんな技術があり得るべきではないのだ。大人になって、今はそう思う。
「大切な存在を失ったとき、いくらかの人は、失った存在を認められないまま、狂ってしまう。例え、これまでどんな立派な大人だったとしても、ふと道を踏み外す」
「何が、言いたい」
「人間たちはずいぶん昔から魔力のことを、『奇跡』と例えて呼んだ。奇跡ってのは、めったに起こらない不思議なことさ。つまり、それがあるなら、死者をも生き返らせるだろうと、考えたんだ」
「そうだとしたら、ずいぶん勝手な話だな。散々迫害をしておいて」
「そうだな。けれどやつらの言い分はこうだ『それでも、大切な存在をなくしたら誰だって、この気持ちがわかる。不思議な力にでもなんでもすがりたくなるはずだ』」
「──いや、さ。自分を正当化する理由に、どんな感情を持ってきたって、悪いことは悪いことでしかないし、それは変わらないじゃないか。そいつらは、なんでいちいち話をそらして同情を引こうとしてるんだ。私には、理解出来ないな。どんなにつらかろうが、結局そこで踏みとどまらず決断したのが悪いだろうに。子どもと一緒だな」
「……じゃあ、少し前にあった魔女狩りは、そのために、魔女を研究する目的?」
しばらく黙っていたキャノが、ぽつりと溢した。
人間は既に、魔力に似たものまで、生み出し始めている。技術が追い付くのは、そう遠い未来の話ではないだろう。
「……そうだな、そうかもしれないし、違うかもしれない──何にしろ、あいつら人間は、表面しか見ていないからな。不思議な力だとか、奇跡とか、都合のいいように並べ立てはするが、中身の仕組みのことなど、これっぽっちも知らないし、興味がない。楽ばかりしようとして、みんなで泥沼に足をつっこむ。んであとは、お決まりの、みんなで責任の擦り付け合い──呆れる。もともとこの世のあらゆる力で、リスクが無いものなんて、無いのにな」
クルフィも、キャノも、何も言わなかった。
そうかもしれないし、そうと言いきれないかもしれないが、そんなところを考えれば考えるだけ憂鬱でしかない。
何しろ、あの魔女狩りは、その表面の観念的な思想に捕らわれた人間が犯したのに変わり無いのだから。
「……リル。魔女狩りのときにね──私、もう、こっちに頻繁に来て居たのだけど、間近で、見てて──何にも出来なかった。テレビを観るのも雑誌を買うのも結局、だからこそ、欲にまみれた──人間なんだもん」
「そうだな」
「……リルが、居るかもって思ったし、知ってる仲間が居るかもって、いつも探した。会えるまで、本当はいつも不安で、怖かったよ──」
「ああ……」
「でね、それで何も出来ない間に、大魔女が人間と協定を結んだ噂が耳に入った。『魔族は魔力を制限すれば、人間にさほど脅威にならない』と彼女がおっしゃったって。彼女自身が、制限のしかたを考え、手を貸した。魔女たちの住んでいた土地の多くが人間に荒らされて、生き抜くには、人間と共存するしかなかったから。人間との区別は、常人には難しくなり、魔女狩りは表面的には、沈静化した」
その仕組みを利用して、人間は、リミッター以外も、作ろうとしている。
「待てよ。前から疑問だったんだが──その大魔女とやらは、人間と戦おうとは、しなかったってのか?」
「……そうだね、まるで、何かを、待っているみたいだと、思う。協定は、表向きで」
「表向きか……そんな、気もするな。そして魔力があるかどうか、見分ける技術がある人間も、生まれている──?」
「んー、でも、コトちゃんみたいなのは、珍しいタイプだと思うよ。今のところ、彼くらいしか聞いたこと無いし。だからこそ、あんまり、知られないほうが良い」
「……病院」
二人の声に、ぽつりと、サンディが割って入る。
「え?」
病院? クルフィが聞き返す。キャノは黙ってサンディの幻影を見た。
「……病院だ。そこに行け。魔族には、魔族にしか治療出来ない、特有の病気がある──抗リミッター症──つまり、抑圧制限無理症候群とか、な。魔力が強い、主に女性、魔女に現れやすい。魔力が強い魔女を、集めるのには好都合だと思わないか」
「待ってくれ、どうしてそもそもそんなに知ってるんだよ──お前は──」
「俺が、ここに呼んだからだよ」
役目を果たしたとばかりに、サンディが消えてゆく。
「待って……!」
クルフィが、追おうとしたが、いつの間にか、そこはただの薄暗い森だった。
「聞きたいことが──まだ、たくさんあったのに」
呆然とする。キャノは、なぜだかその横で、少し不満そうにしていた。
◆
──抑圧制限無理症候群。魔力の高い、主にこの世界の魔女に多い症候群で、魔力が高いほど、リミッターに制御される魔力が大きすぎて、影響を多大に及ぼされ、心身ともに狂ってしまうというもの。
※魔力が高い魔女は、体温や、血圧など、魔力のエネルギー成分の割合で調整して保っていることが多い。
リミッターが調整機能を狂わせてしまうことで、魔力によって補われていた身体の抵抗力、免疫力、人によっては平衡感覚や視力などが働かなくなる。
■主な症状
・慢性化した筋肉痛のような鈍く激しい痛み。
・心臓発作
・身体中に現れる、棘のような痣(魔族の血管の横にあるエネルギーの通っている管だと思われるが、そこの流れがせきとめられたりした影響による、内出血)
・目の色素の変化(安定しなくなり、虹色がかったまだら模様になる。マーブルと呼ばれる)
・体温調節が狂うことによる震え、吐き気、発熱。
・狂気
魔力の何割かを失ったことで、自分のなかでのこれまでの自己の位置付けが保てなくなり、自我が崩壊する。
血を欲したり、酷く暴れまわったり、自分が、何者であったのかわからなくなる。
そのため魔力を使えなくなってしまったり、『もともと魔力のない人間だった』と思い込むことで、現実から逃れようとするものもいる。
──魔力は自我そのもの。
──魔族は、そう生まれてきただけ。
──存在していた格差は、誰かを押し潰し、狂わせて、平等になるものもある。『種族』の意義が、失われ始めている。『個性』の意味が、狂い始めている。
もはや大きな世界の、歯車としての位置づけ意外は、認められない。
歯車の形は問わないが、歯車以外になることは、社会に許されない。
社会の上層部に、もはや魔族や、他種族は踏み入れ難くなっている。
『歯車以外』の形をしている者を、個性よりは厄介者として社会が拒んでいる理由のひとつでもあるが──上にいくほどに、そのような立ち位置の存在が居ないため、理解が及んでいないのが現状だ。
出る杭は打たれはしない代わりに、綺麗に引っこ抜いて、もともと、存在していなかったことにされる。
そんな存在があるわけがない、とこれまでの歴史は重んじられ…………(略)




