魂の透度
ステイン王立学院は、オルハ王国の王族・貴族の子息令嬢が通う学校だ。一応、貴族の端くれである私もこの学校に通っているのだけど、男爵令嬢であり、容姿も地味、学力も並みで目立たない私にとって、この学校は決して居心地がいいものではない。
オルハ王国において男爵という爵位は一番序列が低く、序列上位の貴族の生徒からは馬鹿にされたり、小間使いのように使われることが多い。
この学校においてスクールカーストは、自らの家の地位とほとんど同等の関係にある。男爵の生徒がスクールカーストの上位に立つためには、よほど何かが秀でてなければならない。私には優れている部分がないので、当然のことながら、家の地位=スクールカーストとなっている。
ステイン王立学院において、スクールカーストの絶対的な頂点に君臨するのは、オルハ王国の王族――つまりは王子様だ。
今、この学校には、王位継承権第一位――第一王子であるフリッツ様が在籍している。フリッツ様はただ王族であるだけではなく、文武両道、眉目秀麗、性格も穏やか、と同じ人間なのかと疑ってしまうほど、優れたお方だ。
すごく俗な言い方をするなら、フリッツ様は『超優良物件』である(この表現は、公爵令嬢であるエイミが言っていたものだ)。
フリッツ様と交際すればスクールカースト最上位に君臨すること間違いなしだろうし、結婚すれば将来の王妃だ。
フリッツ様に告白する子は、もちろんたくさんいる。とてつもないくらい、たくさん。けれど、フリッツ様は今のところ誰とも付き合っていない。告白してきた人に対して、その全員にお断りをした。
噂によると、フリッツ様には好きな女性がいるらしい、とのこと。
誰だろう?
そんなことを考えながら、学校の中庭を歩いていると、前方からやってきたエイミが話しかけてきた。
「あのさあ」
『おはよう』も『こんにちは』も『ごきげんよう』も言わない。私には挨拶する価値がないと思っているのだろう。
爵位の序列は下で、なおかつスクールカーストにおいても私のほうが下ではあるけれど、『ステイン王立学院の生徒』という同じ立場、なんだけどな……。
「はい、なんでしょう?」
私は丁寧に言った。
「私、お腹空いてるんだけど……」
「はい」
「『はい』じゃなくて、『何を買ってきましょう?』でしょ?」
私のことはただのパシリとしか思っていないようだ。
エイミは公爵令嬢、容姿端麗、頭もよくて、でも性格は悪かったりする。だから、陰では悪口を言われていたりする。もちろん、表立って悪口を言う人はいない。
性格面を除けば、エイミがこの学校で一番、フリッツ様の恋人としてふさわしい。それは誰しもが思っているだろうし、私もそう思っている。
「……何を買ってきましょう?」
「サンドウィッチ」
やれやれ。
そう思いながらも、私は購買にサンドウィッチを買いに行くのだった。情けない限りである。
◇
「ねえ、セシルさん。ご存じです?」
「……え、何が?」
私はヘレンに尋ねた。
ヘレンは私の友達であり、同じ男爵仲間である。といっても、家の爵位以外はすべての点において、私より優れているが。
「エイミさんのことですよ」
「エイミがどうかしたの?」
私は小声で尋ねた。
「ついに告白するらしいですよ」
「告白? 誰に――あー、いや、フリッツ様ね?」
それ以外に選択肢はない。エイミにとって、次の王様になるだろうフリッツ様以外の男子は、まったくもって眼中にない。王妃になるのが目標なんだろう。野心的だとは思うけれど、それは悪いことではない。
「その通りです」
案の定、彼女は頷いて肯定。
「堂々と、人前で告白されるようです。大胆ですね」
「フリッツ様が絶対に自分の告白を受け入れてくれる、って自信があるんだね」
「まあ、エイミさん以外のめぼしい方は既に告白されて、玉砕していますからね」
学校にはエイミと同等――まではいかないものの、かなり美しいかわいい綺麗な子が何人もいる。その子たちも、みんな同じように振られたのだ。
「ヘレンは? 告白しないの?」
「私には愛する婚約者がおりますので」
そう言って、ヘレンはにっこりと微笑んだ。
そういえばそうだった。ヘレンには親同士が決めた婚約者がいるのだ。親同士が勝手に決めた婚約、でも当人同士も好き合っているので、まったく問題はない。幸福な婚約だと言える。
「そう言うセシルさんは? セシルさんはフリッツ様のこと、お好きなんですよね?」
うっ、と思う。
私も他のたくさんの子と同じように、フリッツ様のことが好きだ。フリッツ様と喋ったことは一回もない――わけではないのだけれど、そんなにはない。彼の周りには常に人がたくさんいる。ボディーガードみたいに。だから、私が話しかける機会はない。
「……私なんかが告白しても、どうせ振られるに決まってるから」
「そんなことはないと思いますよ。セシルさんはとっても魅力的です」
「えー、どこが?」
私は純粋に疑問で首を傾げた。
「私、全然かわいくないし……」
「人の魅力は見た目だけじゃありませんよ。セシルさんの内面はとっても魅力的です。まあ、私はセシルさんの見た目もかわいいと思いますけど」
「……ありがと」
私は友達の褒め殺し攻撃に、思わず赤面した。
「どういたしまして、です」
そう言うと、ヘレンは立ち上がった。時計を見る。
「エイミさんは3時に中庭で告白されるようですよ。私たちも野次馬として見に行きませんか?」
「うん、行ってみよっか」
◇
中庭にはたくさんの生徒が集まっていた。まるで、これから何かのイベントが始めるかのよう。……まあ、実際に、エイミがフリッツ様に告白するという一大イベントが始まるんだけど。
ぐるりと人の輪ができていて、私とヘレンもその輪の構築物となっている。
輪の中には、フリッツ様とエイミ。
もちろん、フリッツ様もエイミが自分に告白することはわかっているはずだ。表情からは、告白にどういう返事をするのかよくわからない。フリッツ様のダイヤモンドのような煌めく美しい両目は、どこか遠くを見つめている。
フリッツ様は顔を動かした。人の輪をぐるりと見やる。誰か探しているのかな?
私の目と彼の目が合った――ような気がする。気のせいかもしれない。いや、でも、フリッツ様は私のことを見つめている、よね……?
私は左右、後ろを見た。
「どうされたんですか?」とヘレン。
「いや……」と私。
フリッツ様はエイミのことを見た。
「エイミさん、僕に用があるというのは、一体?」
わかりきっているけれど、ある種の慣例として尋ねた。
「はい、実はですね……」
エイミはいつもより丁寧な口調で、か弱い猫を演出している。実際は、猫を被った獰猛な虎なんだけどね。
「私、フリッツ様のことがずっと、ずっと好きでした。どうか私とお付き合いしてください!」
「すみません」
一切の間を置かずに、フリッツ様は振った。一瞬たりとも迷わなかった。やはり、好きな女性がいるという噂は本当か。
「ど、どうしてですか!?」
「どうして? 君のことが好きではないから。好きでもない人と付き合うのはどうかと思うんだ」
「心に決めた人がいるんですか!?」
詰問口調のエイミに、フリッツ様はこくりと頷いた。
「どなたですか? この私よりも美しい女は、この学校にはいないはず……」
「人の美しさは、外見だけじゃないよ」
咎めるフリッツ様に、エイミは不機嫌そうに歯を食いしばった。しかし、フリッツ様に意見することはできず代わりに、
「フリッツ様の好きな女性は、一体どなたなんです?」
その場にいる全員が気になっているだろう。私ももちろん気になっている。
エイミの言う通り、外見だけなら彼女に敵う人はいない。
フリッツ様は決心したのか、大きく深呼吸をすると、周囲をじっくりとゆっくりと見回して――――。
私のことを見た。
そして、私を指差して
「僕が好きなのは、彼女――セシルさんだよ」
「はっ!?」
と、驚嘆の声を上げたのは、エイミ一人だけではなかった。
私ですら、ありえないくらい驚いていた。これは夢か、夢なのか? もちろん、現実なんだけれど、そのことを実感したくて、頬をつねってみた。結果はもちろん痛い。
隣でヘレンが微笑んでいる。嬉しそうに。
「ど、どうして、セシルなの? こんな女のどこがいいのよ!?」
「すべてだよ」
フリッツ様は答えた。
「僕はね、人の魂の透度が見えるんだよ」
魂の透度???
フリッツ様の告白に、私以外も疑問符を浮かべている。
「何ですか、それ?」
エイミが代表して尋ねる。
「その人の魂が透明なほど清らかで、魂が濁っているほど薄汚い人間というわけだ。つまり、僕には人の内面の美しさがはっきりと見えるんだ」
はっきりと言うのだから、本当のことなんだろう。普通の人にはない特殊な能力を持った人が、この世の中にはごくわずかだけど存在する。
フリッツ様のダイヤモンドのような瞳には、私たち『一般人』には見えない特殊な世界が広がっているのだろう。
「セシルさんの魂は濁りがなくて、とても美しい。これほどまでに透き通った魂を持つ人に、僕は今まで出会ったことがない」
「……つまり、フリッツ様はこの女の――セシルの魂に惚れた、と?」
「そうだね。でも、それだけじゃない。僕は魂を含めたすべてが好きなんだ!」
「ふ、ふざけてるわ! 魂なんて、魂なんて……!」
「ちなみに、エイミさん、君の魂はセシルさんとは対極的に濁っている。魂の濁った人間を見かけるのはよくあることだから、気にしないでね」
「くそっ! くそっ! くそっ! くそっ!」
私のことを殺意に満ちた目で睨みつけると、エイミは中庭から走り去って行った。涙は流れていなかったが、代わりに顔が真っ赤になっていた。怒りと羞恥と、その他いろいろな感情が混ざっているんだろう。
「セシルさん」
フリッツ様が恥ずかしそうに髪を撫でながら、私のもとへとやってきた。
私には『魂の透度』なんてわからないけれど、きっとフリッツ様の魂は私よりも格段に透き通っているのだろう。
「は、はい。なんでしょう?」
「僕と、付き合ってください」
フリッツ様からの愛の告白に、私は緊張のあまり何も答えられずにいた。口をぱくぱくと開閉するだけ。
隣のヘレンが私の背中を軽く叩いた。後押しするかのように。
「セシルさん、フリッツ様に返事をしなくては」
「あ、うん……」
返事はもちろん決まっている。私はフリッツ様のことが好きだ。断るつもりなんてまったくない。嬉しすぎて、心臓が破裂しそうだ。
「私もフリッツ様のことが好きです。その、これからよろしくお願いします」
私が返事をした瞬間、パチパチパチと誰かが拍手をした。
ヘレンだった。
ヘレンの拍手から、感染するように、周りにいた人たちが拍手をしていき――やがて、全員が『おめでとう』の拍手をしてくれた。
こうして、私はフリッツ様と付き合うこととなった。
◇
その後の話。
私はある日、誰かに呼び出された。下駄箱に手紙が入っていたのだ。『放課後、体育館裏に来るように』と。
差出人の名前は書いて無く、またどのような用事かも書いてなかった。無視しようと思えばできたのだけど、それは誰かさんに申し訳ない。
私は指定された場所に向かった。
体育館裏にいたのはエイミだった。エイミは私がフリッツ様と付き合うことに否定的――というか、自分は振られたのに、セシルなんかがフリッツ様と付き合えていることにご立腹のようだった。
エイミは、私に『フリッツ様と今すぐ別れるように』と脅してきた。私がこれを拒否すると、懐から取り出したナイフで私を刺そうとした。多分、本気で殺すつもりだったんじゃないかと思う。彼女の目が血走っていて、狂気的だったから。
周りには誰もいない。誰も見ていない。
――と思いきや、私の後をつけてきたフリッツ様が、さっそうと現れた。
フリッツ様は私をかばって刺された。幸いにも傷は浅かったのだけど、王子を殺そうとしたエイミは捕まり、処罰を受けた。処罰の内容は、ステイン王立学院からの退学及び、彼女の家の公爵位の剥奪。エイミは貴族から平民になった。
その後、彼女がどうなったのかは知らない。
◇
意外なことに、王族の方々は私とフリッツの結婚を反対しなかった。男爵とはいえ、一応は私が貴族だからだろうか? それとも、結婚相手がだれであれ、認めるつもりだったのだろうか?
それはともかくとして、ステイン王立学院を卒業してすぐに私たちは結婚した。これもまた意外なことに、オルハ王国の国民の大多数が私たちの結婚に肯定的だった。
なぜだろう?
「みんな、セシルが優しくて魅力的な女性だってわかっているからだよ」
私の質問に、フリッツはそんな回答をした。
「僕のように魂の透度が見えなくても、雰囲気や喋り方なんかで、君がどれだけ清らかなのか理解できるんだ」
「そうかな?」
「そうだよ」
フリッツは微笑んで頷いた。
「ねえ、セシル。僕たちが初めて出会った時のことを覚えてるかい?」
「うん。確か――」
ステイン王立学院の敷地内には大きな木が何本も生えている。あるとき、私が木々の近くを歩いていると、小さなか細い鳴き声が聞こえた。
何が鳴いているんだろう? 気になった私は、声の主を探した。
やがて、私は見つけた。木の根元に手のひらにおさまるほど小さな鳥が落ちていた。見た感じ、生まれてからそれほど経っていない赤ちゃんだろう。
小鳥は怪我をしていた。大きな怪我ではない。私はたまたま持っていた包帯を、小鳥のあしに巻き付けた。効果があるのかはわからない。ただの自己満足。
そして、木によじ登って、家族が住んでいる巣に小鳥を置いた。彼か彼女は喜んだ様子で家族と再会した。私もなんだかうれしくなった。
さて、木から降りようか、となったところで、私は怖くなった。私は高いところが苦手だ。なのに、木をよじ登ったのだから不思議である。
木から飛び降りても、よほど下手な着地をしない限り、怪我することはないだろう。でも、そういう問題じゃない。本能的に刷り込まれたような恐怖なのだ。
どうしよう? どうしよう? よじ登ったときと同じような要領で、ずりずりと滑り降りようか? できるかな?
うじうじと考えていると、フリッツが木の下にやってきた。
「もしかして、降りられないの?」
「あ、はい……」
「そっか」
フリッツは何かを下から抱えるかのように、両腕を前に出した。その動作の意味がわからず、私は首を傾げていた。
「僕が抱きかかえるから、遠慮せずに飛び降りて」
「え、でも……」
「大丈夫。僕はこう見えて、けっこう力持ちなんだ」
さあ早く、と急かすので、私は目をつぶり思い切ってジャンプした。
えいっ。
「よっ、と」
お姫様のように、抱き留めてくれた。
目を開けると、フリッツの顔が至近距離にあった。頑張ればキスできそうなくらいに。私は恥ずかしくなった。
地面に降りると、私は礼を言った。
「いやいや、気にしないで」
その後、少しだけお喋りをした。
フリッツは私が小鳥を助ける――と言うほどのことではないのだけれど――ところを見ていたようだ。
「君は優しいんだね」
「そんなことはありません」
「それにとても清らかだ。澄み切っている」
「?」
「ああ、そういえば、まだ名乗ってなかったね。僕はフリッツという」
もちろん、知ってる。学校でフリッツのことを知らない生徒なんて一人もいない。私の名前を知らない人はたくさんいるけど。
「君の名前は?」
「セシルです」
「セシルね。覚えたよ」
それから、すぐにフリッツの友達たち(取り巻き)がやってきて、彼らは去っていった。その次に私がフリッツと喋ったのは、告白のときだった――。
「あのときから、ずっと君のことが好きだった」
フリッツは過去を思い出して言った。
「だけど、最初は『好き』という感情に気がつけなくて……セシルに抱いた感情に気がついてからは、振られるのが怖くてなかなか告白できなかったんだ」
だから、エイミに『フリッツ様の好きな女性は、一体どなたなんです?』と、そう聞かれたときに、思い切って私を指差し、私の名前を口にした。
「あのとき、私が小鳥を助けなかったら、フリッツが私を気にすることもなく、こうして結婚することもなかったのね」
「いや、もしも小鳥を助けなくても、遅かれ早かれ僕は君を好きになり、そして結婚することになっていたと思う。きっと、そういう運命なんだ」
そっか。そういう運命なんだね。
とても嬉しい。
「ねえ、フリッツ」
「何?」
「大好きだよ」
「僕も大好きだよ」
私たちはバルコニーで夜空を眺めながらキスをした。