始まりの夕日
まさか同じ学年、ましてや同じクラスにいるなんて思いもしなかった。
私は我に返って席に座る。
私の席は、一番前の右奥だっだ。
一番遠い、席だった。
「隣だね。」
神楽君が、そんな私に気づいていない様子でにっこりと笑って言う。
「…あ、よろしくね!」
この春、北海道から越してきた私にもう既に知り合いがいることは心強い。
新学期の初日ということで、今日は早い時間に学校が終わった。
「南さん、ちょっと来て。」
帰る準備をしている私に、神楽君が話しかけてきた。
私は神楽君に連れられて、教室の左奥に向かう。
「こいつ、俺の友達。」
「あ…。」
神楽君が紹介してくれたのは、
まさに、あの彼だった。
彼と目が合う。
「水野圭[みずのけい]っていうの。俺の幼稚園の頃からの幼馴染み。仲良くしてあげてね。」
神楽君がニコッと笑う。
それに比べて私にはそんな余裕は全くなくて。
どんな顔をすればいいのかわからなかった。
今の私の頭の中は、真っ白だ。
そんな私の異変に、神楽君が気づく。
「…え、もしかして圭と南さんって知り合い?」
私は何故か速くなっている心臓の音を感じながら、水野君の方を見た。
「…いや、別に知らないけど。」
しかしその言葉のおかげで、
熱くなっていた私の心臓は急激に冷たくなった。
そしてこの空気をとにかく壊すため、私は必死になる。
「…じゃあ、私、そろそろ帰ろうかな。」
私は変な感じがした。
「あ、俺も一緒に帰るよ。圭は今日日直だから、やることあって一緒に帰れないけど。」
「いや、今日は寄るところがあるからいいよ。またね。」
いつもの自分とは全く違う、変な感じだ。
そして私は逃げるようにしてそこを去った。
教室から出て、私の姿が二人から見えなくなったと思った瞬間、私は走り出す。
なぜだろうか。
心臓が、理由もなく痛んでいた。
「…圭、南さんのこと知ってるでしょ。」
昨日の子が教室から出ていったあと、晃ちゃんがニヤッと笑ってこっちを見る。
「…。」
「昔からわかりやすいんだなー。嘘つく時、ちょっと鼻ぴくぴくするでしょ。」
「…なんだよ。うるさいな。」
晃ちゃんはなんでも俺の事はお見通しらしかった。
「なんで嘘ついたの?」
笑いながら言う。
「…別にそういうつもりじゃない。」
昨日のことは、特別晃ちゃんに話す程の話でもない。
するとさっきまでけらけらしていた晃ちゃんが、
急に俺の目を真剣に見る。
「二人の間に何があったか知らないけど、俺、千絵ちゃんのこと好きかも。」
すると一瞬の沈黙が、大きな音を立てた。
「ははっ、…何人目だよ。」
俺は晃ちゃんの目を見ないで言った。
「うーん、千絵ちゃん入れたら十人目。」
晃ちゃんは年上やら年下やら、いろんな女と遊んでいた。
「晃ちゃんみたいな頭いいエリートが、九股してるなんて知ったらみんなどんな顔するんだろうな。」
ぷるっとした唇に綺麗なぱっちり二重。
晃ちゃんは通りすがる人がつい二度見してしまうくらいの美形だった。
「別に隠してないよ?バレてもー、離れてかないからさ。」
そしてまたお得意の笑顔でニヤッと笑った。
「圭だって、それ知ってるのに離れてかないでしょ?」
「…。」
「「あははははっ。」」
「俺はお前と付き合ってねぇよ。」
考えてみると、
晃ちゃんは俺の一番嫌いなタイプかもしれない。
女ったらしで、
だけど完璧で。
だけど、一緒にいてなぜか安心する。
信頼できる。
「じゃあ俺帰るわ。今日暇だからデート入れてこよっと。じゃね。」
晃ちゃんは携帯をいじりながら教室を出ていった。
教室は、気づいたら俺だけになっている。
「日直とかだるいな…。」
俺はため息をつきながら、ふと窓からグラウンドを見た。
すると人影がグラウンドをダッシュで横断しているのが目に入った。
そしてそれはこの校舎に入る。
なんだ…?今のやつ。
そして俺は自分の鞄からイヤホンを取り出して帰ろうとした。
が、その瞬間、
ガラッと教室のドアが開いた。
「え…。」
ドアのところには、
あの『南さん』が立っていた。
「はぁ、はぁ…。」
だいぶ息を切らしている。
「どうした…の?」
つい口が開いた。
「…あ、ぷ、プリント!!今日配られた宿題のプリント忘れて!」
彼女はそう言って、自分の机の中に手を突っ込んでそのプリントを探す。
しばらくの間その姿を見ていると、彼女の動きが止まった。
そのプリントを見つけた様子。
「あ、あったー!これだこれだ!」
彼女はくるっとこっちを向いて言った。
「で、では…、さようなら!!」
大きな声でそう言って、教室を出ていった。
どことなく行動が変だった。
まぁ当たり前だ。
「宿題のプリントなんて配られてないでしょ…。」
教室に一人、
窓から差し込む夕日の光に、俺の顔は赤く染まっていた。
私は必死に走っていた。
最悪だった。
絶対に、変だと思われた。
私は一気に学校の階段をかけおり転びそうになりながら必死に走っていた。
忘れ物なんて、
当然咄嗟についた嘘に決まっている。
〝…別に。知らないけど。〟
そう言われて、
体が凍りついたのは確かに本当だった。
だけど気づいたら、
私は学校から今まで歩いてきた道を引き返してしていた。
何を話そうというわけでもない。
もう帰ってるかもしれないし、
帰っていなくても、また冷たくされてしまうかもしれない。
だけど、
妙に会いたくなった。
もう一度、
水野君の顔が見たいと思った。
そうして、教室に着いてドアを開けた。
水野君の視線が私に向けられているのがわかる。
だけど、そっちを見ることは私にはできなくて。
しかも、水野君は一人で。
なんだか帰る準備をしているらしかった。
帰ってなかったと安心したが、それも束の間である。
二人っきりという状況に昔から人見知りの激しい私は、案の定慌ててしまう。
私は咄嗟に変な嘘をついて、その場を早く離れたいと思った。
もう頭の中ではぐるぐる何かよくわからない物が回転して、私の体をふらつかせる。
「さようなら!!」
最後にそう吐き捨てて教室を出た。
終わった。
そう思った。
一階に降りて、靴箱で靴を履き替え外に出る。
もう馬鹿だ。
ほんとに馬鹿だと思った。
自分が不甲斐なさ過ぎて、余計に落ち込む。
溜息をつきながら、校舎を出てグラウンドを歩いていた。
すると突然、誰かの声がした。
「南さん!」
声のする方を向くと、
さっきの教室の窓から顔を出してこちらを見ている、水野君がいた。
私はびっくりして体が固まる。
そんなこと水野君は関係ないとでも言うように、口が開く。
「昨日のさ、あれ、ありがとう。」
私の耳に入ってくるグラウンドの音は、もう彼の声だけだった。
「い、いや!あれは何と言うか、私がお礼言わなきゃいけないから…。」
「なんで?」
水野君が私の方をじっと見つめている。
教室は二階だったから、水野君の顔はグラウンドからでもはっきり見えた。
夕日が窓に反射して、輝いている。
「なんでって…。」
橙子を助けてくれたのはあなたなのに、
本当にわからないみたいになんでって聞く彼の目に、私は離されないでいた。
その時、
目の前に一枚の桜の花びらが飛んできて、私の視界から彼を消す。
「生きててよかった…。」
その間だけ恥ずかしさを忘れて、
思った言葉を口にできた。
そしてその花びらが風にあおられて、
向こう側の水野君の顔が再び見えたとき、
私は思わず笑顔になった。
生きててよかった。
本当にそう思った。
水野君は瞬き一つしないで、
大きく目を見開いて私を見ている。
「…何それ。」
水野君はそれだけ言うと、ゆっくりと顔を引っ込めて窓を閉めた。
私はしばらくそこから動けずに、ただ呆然とそこに立っていた。
自分の体温が、一気に上がっていくのを感じる。
朝日のような夕日が、私の顔を余計に赤く照らしていた。
3ー始まりの夕日ー