94話 下山しよう 3
「今、この国とエルフの国は緊張状態にあるんだ」
「ええ!?」
コウさんの口から衝撃的な事を聞かされた。
「あ、あの……緊張状態というのは……」
「もちろん、不仲って意味よ」
「君は最近まで森にいたから、国間についてはよく知らないんだね」
「は、はい……」
「分かった。それについては移動しながら教えてあげるよ。とりあえず、その子を連れてきて」
「分かりました……リティアさん、ひとまず行きましょう」
「……」
彼女は返事をせず、差し出した俺の手を黙って握った。
「行くわよ。こっちよ」
2人の後を追い、小走りでその場を離れた。
「……」
2人は喋る事なく、リティアさんを見張るかのようにたまに振り返る。
その顔はかなり険しいもので、子供に向けるような顔ではない。
「あ、あの……」
「ああ、エルフの国の事を教えないとね」
「え、いや……そうですね。お願いします」
顔が怖いって言おうとしたんだけど……なんか怖いからやめとこ。
すると、コウさんが小声で話しかけてきた。
「……の前に、その子は人間の言葉は分かるのかい?」
「……いえ、多分分からないかと」
「そうか……確か、彼女の名前はリティアだったよね?」
「……? はい」
いきなりなんで名前なんだ?
「リティア」
彼は俺から目線を逸らさないまま、彼女の名前を呼んだ。
しかし、当然リティアさんは反応をしない。
「あ、あの……?」
「ふむ……少しでも反応したら理解していると思ったんだけど、全く反応は無いね」
そして、少し考える様子を見せてから、彼は結論を出した。
「今はこれ以上確かめようは無いから、ひとまず信用するよ。それじゃあ説明するね」
彼は前を向きなおし、話し始めた。
「10年くらい前かな。その時はまだこの国とエルフの国は国交を結んでいたんだ。ただ、国間の距離がかなりあるから貿易とかはたまにしかしていなかったんだけどね」
「そうなんですか」
「うん、でも、その10年前を境に、エルフの国とは敵対関係になってしまったんだよ」
「……何があったんですか?」
すると、彼は少し困ったような表情を見せた。
「それがね……エルフが人間の子供を殺したっていう『噂』が流れたんだ」
「噂……ですか?」
「そう、ただの噂。だけど、奇妙な事にエルフ側は“人間がエルフの子供を殺した”って主張してきてね」
両国で意見が真逆って事……? そんな事あるの?
「それで、なかなか結論が出なかったから、遠距離での論争をやめてこっちから使者を出したんだけど……それが不味かったんだ」
「……どういう事ですか?」
「……その使者が全員殺されてしまったんだ」
「え!?」
一気に事件性が増した。
「で、その現場にはエルフの物と思われる弓矢が数本残されていたんだ」
「そんな事があったんですか……」
つまり、お互いに真逆の意見を言い合って、しびれを切らした人間側が使いを出したららエルフがそれを殺したと。
そして、その事件が原因で両国は敵対したという訳だ。
だけど……なんかひっかかる。
「あの、その殺された人達ってどうやって殺されたんですか?」
「え? んーと……確か、報告によるとかなり残酷にやられてたらしいよ。手足や首を切断されたり、毒物を飲まされていたりね」
すると、ミフネさんが口を挟んできた。
「全く妙な話よ。弓で戦うエルフが、わざわざ体を切断しに近づいてくるものかしら? それに、ご丁寧に証拠品の弓矢まで置いていくなんてね」
彼女の言う通りだ。この世界のエルフも弓で戦う種族なら、わざわざ人間に近づかずとも殺せるはずだ。
「怪しいって言ってるのに、何も考えない連中が勝手に“打倒エルフ”なんて掲げるから、熱が上がってエルフの国と対立したのよ」
「俺も色々おかしいと思って、調べてみたんだけどね、ある男に邪魔されて結局何も分からなかった」
「……誰ですか?」
「アルフレッドって奴だよ」
アルフレッド……!
「って誰ですか?」
「あー……この国の国家騎士団2番隊隊長って言えば、君も分かるんじゃ無いかな?」
国家騎士団2番隊隊長? ってまさか、あの不正裁判の時にいた奴!?
「あたし達が調べた時には、すでにあいつが情報操作してたからどうにもならなかったのよ」
「情報操作……ですか?」
「そ。あいつ、腹黒いくせに頭が切れる奴で、この国の諜報機関の管理もしてんのよ」
騎士団2番隊隊長なのに、諜報機関も管理してる? あのおっさん、そんなに凄い奴だったんだ。
「っと、話はここまでにして、もうすぐ人がいる所に着くから念のためその子を隠そう。何か布がないかな?」
「あ、それなら僕が。リティアさん、これを被ってください」
収納部屋から黒い布を出し、彼女へ被せた。
「ミウちゃん……」
布から僅かに見える彼女の表情は、とても不安そうなものだった。
それも仕方のない事だろう。
なにせ、これからここにいる数人を除いて、全ての人間から身を隠さないといけないのだから。
ふと、この国に来たばかりの時の自分を思い出した。
見たこともない土地で、周りに信用出来る人が極端に少なく、不安と恐怖しか感じていなかった時の自分だ。
それに、彼女は俺と違ってこの状況に理不尽に放り込まれた。
そんな彼女に誰も手を差し伸べないだなんて、絶対におかしい。
俺は彼女を安心させようと手を握った。
確か……お母さんは……。
俺は彼女が自分にして来たように、優しい笑顔を見せた。
「リティアさんは私が絶対に守るので、安心してください」
リティアさんの表情が次第に明るくなっていくのを感じた。なんとか安心させてあげられたか。
「……うん、ありがとうミウちゃん」
「ええ、約束しましたから」
笑顔でお礼を言うリティアさんに、俺も笑顔で返事を返した。
進んでいる道無き道に緑が増えるにつれ、所々に人の姿が見え始めた。リティアさんが見つからないよう注意して進む。
おそらくワイバーンを見張っている人達だろう。しかし、コウさんは討伐隊は撤退したと言っていた。
それなのに、見張りが必要なのかな?
その疑問の答えはすぐにわかった。
木々の隙間からうめき声が聞こえてくる。
目をやると、大勢のけが人の姿が見えた。
「コウさん、あの人達は?」
「ん? ああ……」
彼の表情が曇る。
「彼らは見た通りワイバーンとの戦闘で重症の怪我をしたんだ……もう、長くない人もいるね……」
彼の言う通り、そこにいるほぼ全員は出血がひどく、中にはすでに動いていない者もいた。
「あの、部隊は撤退したんですよね? なぜあの人達はまだここに?」
「……実は、回り込んできたワイバーンに馬がかなりの数やられてしまってね。歩ける者はともかく、怪我人を全て連れて帰れるほどの馬車が残ってなかったんだ」
すると、彼の表情が一気に険しくなった。
「そしたらね、彼らが言ったんだ。『助かる者を優先してくれ』って。馬車が来るまでなんとか延命させようとしてるけど、もう医療班も治療具も少なくて……」
「……そんな……」
自分が助からないことを悟って、他の人を優先させたってこと……それも、こんないつワイバーンが襲ってくるか分からないような場所にいるのに。
そう思うと胸が熱くなり、体が勝手に動いた。
「ちょっと行ってきます」
「あ、ちょっとカイト君!?」
木々の隙間を抜け、怪我人のいるひらけた場所へ出た。先ほどよりもはっきりとうめき声が聞こえる。
怪我人の数はざっと見た感じで50〜60人。
それに対して治療をしている人は6人。
絶望的な数だ。とてもじゃないが、足りているわけがない。
怪我人の中には女性の姿もあった。しかし、その女性の両目のある部分に大きな赤い溝しか無い。
「……っ」
その光景に唇を噛み締め、俺は両手を大きく広げた。
治癒魔法 “範囲治癒”
怪我人達の寝ている地面に、大きな魔法陣が出現すると、瞬く間に傷を癒していった。
その様子を怪我人本人も、医療班の人も驚きの声を上げながら見ている。
全員の傷を癒し終わったようだ。怪我人達は次々と体を起こしている。
しかし、やはり中には怪我が治っても動かない人がいた。
……体は綺麗にした。弔う時の事を考えて、せめてもの事はしたはず。
「……よし、見つからないうちに戻ろう」
「誰だあの少女は!?」
「あっやっべ」
踵を返してその場から逃げる。後ろから人が追ってくる気配はない。
「ちょっとあんた……何してきたの?」
「あ、えっと……怪我人の傷を癒してきました」
「傷を……魔法かしら?」
「はい……ダメでしたか?」
「いやいや、そんな訳ないだろう。本当に彼らの傷が癒えたなら、これ以上嬉しいことはない。ただ……」
「ただ?」
「カイト君って、結構目立つ行動するよね」
「あー……」
だって仕方ないじゃん。助けられる人は助けたいじゃん。
「とりあえずこの件は後で話そう。今はどうやって王都まで帰るかだね。その子の事もあるし、長くはここに居られない」
「コウさん達の馬車はどうなったんですか?」
「そんなの決まってるでしょ。昨日のうちに怪我人を乗せて、先に撤退させたわ」
流石騎士団長、団員の事を最優先に考えてる。
しかし、馬車が無いとなると、ここで馬車を待つか、徒歩で帰るかになる。
正直言って、馬車で2日の道程度なら俺は半日で駆け抜ける自信がある。
だが、リティアさんの事を考えるとそうもいかない。収納部屋が使えないから、彼女自身の足で移動してもらわないと、いけないからだ。
「あたしとコウは怪我人のいた所に行くけど、あんたらはどっか少し離れた所に居なさい。さっきのアレで、尚更見つかるわけにはいかなくなったでしょ?」
「はい。分かりました」
「それじゃあまた後で。でも、そっちで何かあったら迷わずこっちに来てね」
「はい」
2人は怪我人達が居るひらけた場所へ向かった。
「リティアさん、私達はこっちです」
とりあえず今は、来たとしても乗れるかは分からないが馬車を待つしか無さそうだ。
エルフとの間にもいろいろあるようです。