82話 再会 2
人影が発したのは『日本語』。
謝罪の言葉の後に言ったのは、1度目の人生の時の俺の名前だった。
驚き、人影の方を向いた。
顔は、鼻が当たってしまいそうなほど近い。
「……ぁ」
この時、俺はその真っ黒な顔に、うっすらとだが“顔”がある事に気がついた。
それは、どんなに悩んでも思い出すことの出来なかった、ある“女の子”の顔。
ついこの間、夢に出てきた顔にモヤのかかった人物の“顔“。
しかし、それは見た瞬間に分かった。
「おね……えちゃん……?」
その“顔“は1度目の人生の時、幼い頃に母親に引き取られた“姉”の顔だった。
“彼女”は再び顔を近づけ耳打ちをしてきた。
「ごめんね……“ーー“。本当にごめんね……」
彼女は弱々しい声で繰り返し謝っている。
「……お姉ちゃん?」
再び呼びかけると、彼女は俺から顔を離した。その“顔“はまだ若干薄いが、先程よりもくっきりと見える。
そして、くっきりと見えた事によりある事に気がついた。
「な……泣いてるの……?」
その“顔“には透明な液体が所々に見える。それは全て目の下を流れていた。
「ねぇ……なんで泣いてるの?」
尋ねても彼女はただ謝るばかりで答えてくれない。
しかし……。
「……なんで謝るの?」
そう尋ねると、彼女はピクリと反応した。
そして、顔を離し悲しそうな表情で語り出した。
「だって……私……“ーー“を置いて、ママと2人で逃げて……」
彼女は涙を拭って続けた。
「“ーー“は……私がパパに怒られてる時、いっつも助けてくれてたのに……私、何もしてあげられなくて……置いていって……本当にごめんね…」
涙を拭う彼女を見ていると、先程まで感じていた恐怖は完全に消えさっていた。
俺は彼女の手を取って告げる。
「俺……怒ってないよ」
すると、彼女は驚いたように、俺を見つめてきた。
「な……なんで?」
「なんでって……確かに、置いてかれたあの時は悲しかったけど、この前の夢を見た時から色々考えたんだ」
キョトンとしている彼女に笑顔を見せ、話し続けた。
「元はと言えば、全部あの時の父親が悪かったんだから」
「……」
「そう考えたら、あの時の母親とお姉ちゃんの2人だけでも、あいつから逃げられて良かったって思ったんだ。それに、もう昔の話だしね」
俺は話しながら、彼女の頰に両手を添えた。
「姉ちゃんは何も悪くないんだよ……だから、そんな顔しないで」
彼女は、震えながら頰に添えられている俺の手をゆっくりと握った。
そして、遂に強張っていた表情が崩れた。
「う、ううっぅ……ありがとう……ありがとう……“ーー“……」
「うん……」
大粒の涙を流す彼女を優しく抱きしめる。すると、彼女も手を回して抱きしめて来た。
……冷たい体だ。とても生きているとは思えない。
……だけど。
「ぐすっ……ひぐっ……あ、ありがとう……」
嬉しそうに泣く彼女を見ていると、生きていても死んでいても、どちらでもいい気がして来た。
もう、2度と話せないと思っていたかつての“姉“と話して、お互いに伝えられなかった思いを伝えられたのだから。
どのくらい時間が経ったんだろ。
姉と抱き合ってしばらく経ち、ふとそう思った。
かつての……生き別れた家族との再会は、本当に嬉しい事だ。
それに、この様子から彼女はずっとその件を悔やんでいたのだろう。
その事や再会の事を思うと、俺も泣きそうになってくる。
先ほどからずっと耐えているが、俺も泣きだすのも時間の問題かも知れない。
そもそも、ここはどこ?
家の俺の部屋のように見えるが、よく見ると全てが反転し、配置が逆だ。その上、窓の外には何も見えず真っ暗。
先程から感じていた違和感はそういう事だったのだ。……なんで気づかなかったんだろ。
すると、姉がゆっくりと体を離した。姉の黒かった体には色が入り、服も着ていた。先程とは印象が全く違う。
「……っはー、ありがとう。あと、ごめんね? こんな事に時間を使わせちゃって」
彼女はそう言いながら両手で涙を拭った。
拭った後の顔はとても良い笑顔。だいぶ落ち着いたようだ。
「ううん、大丈夫だよ。……それより、ここはどこなの? 家じゃないみたいだけど……」
部屋を見渡しながら尋ねた。
それと、彼女の話し方がだいぶ変わっている。よく覚えてはいないが、これが彼女の素なのだろう。
「……そうだね。そろそろ“ーー”を帰さないと」
そう言うと、彼女は立ち上がり手を引っ張った。
「ほら、立って」
「あっ……う、うん」
言われるがままに立ち上がると、ドアの前まで連れて行かれる。
しかし、そこで止まった。
「……どうしたの?」
心配になり話しかけると、彼女は少し寂しそうな笑顔を見せた。
「“ーー“……ううん……“カイト”。よく聞いてね」
「……!」
突然“今の名前”で呼ばれ、少し驚いた。
「これ以上、“生きてたあなた”をここに居させるのは危ないの。でも、“生きてるあなた”も今、ものすごく危ない状態なの」
「……うん……?」
どう言う事?
彼女は困惑する俺の両手を握って話し続けた。
「きっと目を覚ましたらすっごく怖いと思うし、すっごく辛いと思う。でも、それに負けないで。絶対に生きて欲しいの。……約束して」
ここまで真剣な表情の姉は、記憶を辿っても初めてだ。
「 ……うん。約束するよ」
「ありがと。……それと、もう1つ約束して欲しい事があるんだけど、いい?」
「……? ……うん、良いよ」
了承すると、彼女は再び少し複雑そうな表情をしたが、すぐに笑顔を見せた。
「“私の代わり“を、本当のお姉ちゃんみたいに思って欲しいの」
「……え?」
代わりって……どういう……?
「もう、早く約束して!」
「あっ……う、うん。分かったよ、約束する」
押し負けたように約束をすると、彼女は嬉しそうな表情を見せた。寂しさを押しこらえて作った笑顔のようだった。
「カイト……ちょっとこっちに来て」
「? うん……」
言われた通り彼女に近づくと、上半身を包み込むように抱きしめられた。
「ずっと……こうしたかった……」
胸に密着した耳に、彼女の心音が届く。それを聞いていると、不思議と心が安らぐ。
なんだか……ずっとこうしていたいような……。
しかし、俺の思いと裏腹に、姉はその手を離した。
「……よし! それじゃあ、私とはこれでお別れだけど、今の約束、絶対に忘れないでね!」
「え……お別れって……?」
俺が言い終わる前に、彼女は勢いよくドアを開けた。その先はさっきと違い、真っ白で暖かな雰囲気だ。
「わぁ……」
それを見ていると、テイルと出会った空間を思い出した。
「ここに飛び込めば、あなたは……それ……じゃ……うぅ……ここに……」
再び彼女の表情が崩れ、目から大量の涙が溢れ出た。
「お、おねえ……ちゃん……」
それにつられ、耐えきれずに、遂に俺の目からも涙が流れた。
「っっっ!! あーもう!!」
彼女は突然大声を出すと、俺の首に両手を回して来た。
そして、右頬に柔らかい感触を感じた。
「ふぇ……?」
彼女はぐしぐしと涙を拭い、笑顔を見せたが、その目からは大量の涙が溢れ出ている。
「バイバイ、カイト! ずっと見守ってるからね!」
彼女はそう言い、俺の胸を力強く押した。
「あっ! わっ!」
バランスを崩し、ドアの向こう側の真っ白い空間へと落ちる。
笑顔で大きく手を振り、だんだんと小さくなっていく姉の姿は、どこまでも俺の目に映っていた。
世界を超えて再び出会った、生き別れた姉。無事にその思いは伝えられてました。




