255話 田植え 2
掴んだ彼女の手に頼り、バランスを保つ。泥の中で歩くコツを聞いたところ、引き抜くときに足首を伸ばせば良いと言われ実践してみたら割と簡単に抜けた。
泥がへばりついて重い体で小川に到着した。幅は人1人が入れるくらいで、深さは子供で足首くらいの深さの川だ。
こたつちゃんは先に小川に入って足を洗い、俺の事を待っている。
体と服を洗うため、泥ですべりながらも服をなんとか脱いだ。ちゃんと下にはふんどしを巻いてもらっているから裸ではない。
重くなった服を一旦小川脇の草むらに置き、水の中へ足を踏み入れる。
「ひゃ……」
透き通った水は思った以上に冷たく、思わず声を上げる。
冷たさを我慢してかがみ、手で水をすくって泥が付着した部分へぱちゃぱちゃとかけて洗う。
「ぅぅ……冷たぁ……」
小川の先を追うと、その先には山がある。正確にはわからないが、この水は雪解け水なのかもしれない。
「かいと……それ」
そんな時、こたつちゃんの声が耳に届いた。その声色はなんだか少しだけ震えているような気がする。
「な、なに?」
目を向けると、彼女はこちらへ指を刺している。表情は無いがその様子からただならぬ雰囲気を感じた。
「背中……」
「せ、背中?」
そう言われ、背中を見ようと身をねじる。しかし、当然だがよく見えない。
「ど、どうしたの? 背中に何かあるの?」
恐る恐る尋ねてみると、彼女は先ほどと同じ声色でつぶやいた。
「大きな傷……」
「き、傷?」
背中を見るのを諦め、左手を背へ回す。届く範囲でさすってみると、左側の腰らへんに斜め一直線に変な凹みがあった。
……あ、もしかして傷跡の事かな……?
「こ、これ?」
「ん、痛そうな傷跡」
やっぱりこれの事だったんだ。
いきなり「大きな傷」と言われて少し焦った。転んだ時に怪我をしてしまったのかと思ったが、とうの昔に塞がった傷のことだった。
というか、なんなら自分で傷跡を偽装できるため本物の傷だったのかも分からない。背中は中々自分で見る機会がないため、“身体操作”でいじくっても忘れてしまうことがたまにある。
「大丈夫? 痛そう」
「う、ううん。もう塞がってるし……大丈夫だよ」
誤魔化すように笑い、彼女に傷跡をさする様子を見せる。
それを少しの間見ていたこたつちゃんは恐る恐ると言った感じでゆっくりと近づいてきた。
そして、そっと傷跡に手を添える。
「こんな傷跡、大人でもなかなか無い。なにがあった?」
「ぁ、いや……」
ど、どうしよう……本当になんの傷かわからない……えーと……。
「その……えと……」
「……」
「む……昔……転んじゃって……えへへ」
じっと見つめる彼女へ無理矢理作った笑顔で誤魔化そうと試みる。
「……思い出したく無い事聞いた? それならもう聞かない」
「ぁ、えっと……いや、うん。ごめんね」
「こっちが悪かった、謝らなくていい。ごめん」
「……」
「……はやく田んぼに戻ったほうがいい」
「ぁ……ごめんね。すぐに洗うよ」
こたつちゃんがスパッと話を終わらせ、なんとか難を乗り切った。
にしても、背中に傷跡残したまんまだったんだ……今まで裸の時は腰にタオル巻いてたから気がつかなかったんだね、きっと。
浅い水深の小川でバシャバシャと洗ったため、服には所々砂がついている。
しかし、水気を取るため上下に何度も振ったら砂もある程度は取れた。
「ごめんね、お待たせ」
しめってひんやりと冷たい服に少し身震いしつつ、こたつちゃんと田んぼへ急いで走った。
戻ると、次郎さん達はすでに三列目へ取り掛かっている。
「は、早っ……」
見ると、先ほど俺とこたつちゃんが苗を植えようとしていた場所が一直線にひらけている。俺たちが植える場所を残しておいてくれたみたいだ。
「おお、戻ったか。よし、じゃあ次は気をつけて植えるんだぞ」
こちらに気がついた次郎さんの注意喚起。とても大きな声だ。
「ん、ちゃんと見てる」
「あ、えと、気をつけます!」
こたつちゃんの返事の後に慌てて俺も返事を返す。
「よ、よし……」
足元に集中して再び泥へ足を入れる。また感じるあの感触に背筋がゾワッとするが、それより今は転ばない事が大事。
こたつちゃんが先に植え、それに続いて一列ずれて場所に植える。
右にはこたつちゃん、左には折り返して植え終わった次郎さん達の苗の列がある。
田植えは初めてだけど、両端に場所を習って植えていけばなんとか俺でも出来るはず……!
「ここ……で、次はここ……」
足元、苗を植える場所に集中する。
泥の中を一歩一歩移動する感触も、むしろなんだか心地よくなってきた。にゅるにゅると指の間を通過する泥の感触がくせになる……気がする。
「……!」
そして、ついに一列の半分までやってきた。ここまで集中していたおかげで転ぶどころかよろけてすらいない。
それになんだか感動して、分かち合える人を探して周囲を見渡す。
そして、衝撃の事実が判明した。
田んぼの半分がとっくに苗で埋め尽くされている。
自分では信じられないほどの速度に思わず「ええ!?」と驚きの声が口から飛び出す。