238話 自己紹介 2
院長が話し始めると、職員と子供は静かに聞きはじめた。
「……」
その横でカイトは何もせず黙って聞いていた。緊張からか、うつむいてしまっている。
両手を握りしめ、何度も目線を上げようとしている。しかし、一瞬前を向いてすぐに視線を落としてしまっている。
「……という事だ。今日から1ヶ月間だけになるが仲良くするように。さ、かいと君。自己紹介を」
「……ぁっ……は、はい」
視線が一斉にカイトへ向いた。それらは決して厳しいものではない。
「えと……ぼ、僕はかいとです。きょ、今日から……」
緊張で平衡感覚が狂う中、何度も繰り返し練習した自己紹介の文を言うため必死に口を動かす。無意識のうちに、両手を使っての身振り手振りまで始めてしまった。
「だから、あの……よ、よろしくお願いします……!」
(ちゃ、ちゃんと最後まで言えた!)
そう心の中で歓喜する。
時間にしては数分だっただろう。ようやく言い終え、カイトの緊張が少しだけ軽くなった。
しかし、そんなカイトに向けられている視線は先程よりも厳しいものになってしまっていた。
子供の目には、ハキハキと話さず意味のない身振り手振りをするカイトは奇妙なものとして映っていた。
カイトはまだそれに気がついていない。
「……それじゃあ、みんな今日から仲良くするんだよ」
フォローするように院長が手を叩き、話を締めた。子供達は互いに会話を始め、カイトの元へ駆け寄ろうとする者もいる。
その時だった。
「その子嘘吐きだよ」
そんな声がどこからか聞こえた。カイトに駆け寄ろうとした子供達の足がぴたりと止まり、その声の方向へ視線が向く。
その先に居たのは10歳前後の少年だった。鋭い目つきでカイトを睨みつけている。
「何日か前にここに来た時、帰る家があるって言ってたよ」
一度カイトから外れた視線が、再びカイトへ向く。
「え? 家あるの?」
「じゃあ何でここに来たの?」
「そういえば、私もその時見た」
疑問を口にするものや、実際にカイトが家があると言った事を聞いていた子供が出始めた。
「ぇっ……ぅ……」
カイトは予想外の言葉をかけられたことにより、思考が止まってしまっている。喉の奥から掠れた声が出ていた。
「ねぇ、何でここに来たの?」
「家があるって本当?」
そして、疑問がついに質問へ変わった。カイトの元へ来た子供達は口々に彼を問い詰める。
「こ、これこれ、みんなやめなさい」
「ほら、あまりそんな問い詰めないで」
院長と職員数名が慌てて静止するも、子供達は問い詰めるのを辞めなかった。職員も同じ疑問を抱いていたからか、強く止めようとしない。
「ぅ……」
しかし、予想外の出来事に頭が追いつかなくなってしまったカイトは答えることができない。
そして、子供達は質問に答えてくれないカイトへ不満を抱きはじめた。
「なんで答えてくれないの?」
「もしかして本当に家があるってこと?」
彼らの表情も強ばりはじめた。帰る家があるにも関わらず孤児院に来ることが、気に入らないようだ。
その状況に、ついにカイトの体が震え始める。
「本当に嘘吐きだった」
その言葉を皮切りに、皆同じ事を言いはじめた。
「嘘吐き」
「嘘吐き!」
「嘘吐きー」
怒り罵倒する者、周りに合わせて罵倒する者、この状況を面白がる者。
様々なの思いでカイトが嘘吐きと罵倒される。院長や職員は「やめなさい!」と叱りつけるが、それでも止まなかった。
「皆やめなさい! かいと君、私の部屋に……」
院長がカイトを連れ出そうと彼の手を掴む。しかし、その瞬間罵倒が止んだ。
静まり返る皆の視線の先には、震えながら大量の涙を流すカイトの姿。何も言わず、虚空を見つめている。
「か、かいと君?」
空気が重くなる中、院長が彼へ声をかける。しかし、その声はカイトには届いていないようだ。
カイトの脳裏にはトラウマとも言うべき記憶が、おぼろげな映像のように流れていた。
『“ーー”』
初めて小学校へ登校した日の午後。人との接し方が分からず、誰とも話すことができなかったカイトに数名の少年が声をかけた。
びくりと反応して彼らへ目を向ける。その少年らの表情は黒く塗りつぶされていた。
『……? ……!』
『……。……?』
少年らのノイズのような声はなんと言っているかを判別できない。
しかし、その中で唯一クリアに聞こえるものがあった。
『嘘吐きじゃん』
黒く塗りつぶされた顔の下に、耳まで裂けた口が見えたような気がした。その笑った口は明確な悪意を感じさせる。
そんな記憶が脳内に流れているカイトは震え続け、院長の声に反応をしない。
そして唇を噛み締めた瞬間、踵を返して走り出した。
「かいと君!」
院長の静止も聞かず、外へ飛び出し走り去ってしまった。
あっという間の出来事だった。部屋の中は静寂に包まれ、カイトを罵倒していた子供達は皆気まずそうな表情を互いに向けて合っている。
「……」
そんな中、こたつはカイトが出て行った方をただ見つめていた。