242話 ポチとコウ
コウはその場にポツンと残された。老人が出ていった後の足音からして、すぐに戻って来そうにはない。
「……ふぅ……」
ため気をつき、上がりがまちに座り込む。彼が今いる土間はかなり質素な作りだ。その光景は、あまり金銭的余裕があるようには見えない。
「……はぁ」
コウの口からは心労から来るため息が止まらない。
(確かに、ぽち君には総一郎さんの見張りをして欲しかったから、焦って威圧的な態度をとってしまったけれど……まさかそこから、かいと君を孤児院に入れる話になってしまうなんてね)
コウはあの時、はっきり断ればこの事態にならなかったのは重々承知している。
しかし、ポチの件もあり断りきれずに、それに賛同してしまった。
コウの中には罪悪感と本当にこれで良いのか、という2つの思いが混合していた。
「お疲れ様です。功様」
「……!?」
その時だった。背後の戸口から声をかけられた。
そちらを向くとそこには1人の男性が立っている。
「ぽ……いや、史郎くん?」
それはポチだった。あまりの突然の事に、コウは驚きを隠せていない。
単に後を追って来たのだろう。そう思い、驚きを落ち着かせる。
「何か用かな? かいと君達と一緒にいるものだと思っていたよ」
「ええ、貴方に用があって追わせていただきました」
「……そうかい? なにかな」
ポチの話し方に違和感を覚えるコウ。つい先程まで、彼は人目のつく場所では砕けた話し方をしていたはず。
そしてここは街のど真ん中。孤児院の中といえど戸は空いており、外や孤児院の奥にいる院長の耳にその話し方が聞こえてもおかしくはない。
少なくとも、その話し方に違和感を覚える者は多いだろう。その事は、賢いポチならば分かっているはず。
「……!」
コウはある事に気がついた。
戸は開いているのに、街道から人の声が聞こえない。通り過ぎるその姿が見えているにも関わらずだ。
それだけでなく、まるで自分が密閉された空間にいるような感覚。小さな耳鳴りが聞こえるほど静かな空間に2人は立っていた。
「……俺になんの用かな」
このような事態に陥らせた犯人はおそらくポチだ。コウは彼を反射的に見据えた。
「ご心配無く。危害を加えたいわけではありません。少しばかり話しをばと」
しかし、ポチは警戒するコウと裏腹にさわやかな笑顔を保っている。
「……話しって?」
「ええ、では。今回の主人様の決定……実は、私かなり困っているんです」
「……」
そう話すポチは、「やれやれ」と言うように両手を上げている。その表情もその仕草に合う物だ。
この時点で、普段のポチと様子が違う。しかし、“史郎”を演じているのかといえばそう言うわけでもなさそうだ。
「困っている……ね、まぁ確かにその通りだと思うよ。俺も正直、あの提案を受け入れるかどうかはかなり悩んだ」
「ええ、そうですね。そうでなければ人格を疑います」
「……」
嫌味のようにポチは話し続けた。
普段、カイトのようにずっと彼と行動していないコウでも、普段このようなことを言うような人物でないと分かってる。
その様子に、コウは緊張感を覚えた。
「……それで、俺に嫌味を言いに来たのかな」
「いえいえ、そのような無駄な事に時間を割くほど私の知能は低くありません」
右の手のひらを振りながら否定される。
「では、要件をお伝えします」
「……!」
その瞬間、ポチの表情から笑顔が消えた。コウを見据える目はかつてのワイバーンの姿の時同様、瞳孔が細長くなっており、文字通り人ならざる威圧を発している。
そして、鋭く尖るように変化した犬歯が見え隠れする口が開く。
「あまり主人様の手を煩わせないでいただきたい」
冷たく言い放たれた言葉に、コウはとてつもないプレッシャーを感じた。
「……っ」
脳内にワイバーンと対峙した時の記憶が蘇る。しかし、それも当然のことだろう。
ポチの正体はワイバーン。それも通常種ではない魔物化したワイバーンなのだから。
2人が互いを見据え合う時間が過ぎていく。コウは無意識のうちに刀の柄に手をかけていた。
しかし、そのピリついた空気はすぐに緩んだ。
「……と言いましても、あれは主人様自ら提案されたこと。いた仕方ない事と納得せざるを得ません」
「……はっ……」
ポチからのプレッシャーが突然消え、止めていた呼吸を再開する。背中に冷たい汗が流れるのを鮮明に感じた。
「主人様が決定した事ならば、私はそれに従うほかありませんので」
先ほどまでの様子が嘘のように、彼は穏やかな口調で話した。




