七ノ柱 線引き
魔法の炎が消え去る頃には、周囲にいたギルドの人間は全て意識を失っていた。
少女は自身の後ろにある氷の箱に向かって声をかける。
「ソルー、もういいぞ」
その声に呼応するかのようにパキンと氷に亀裂が入って砕け散る。中からはソルフテラと、縛られていた紐を解かれた子供達が顔を出す。
ルナリオンの目の前に倒れる男を見て、ソルフテラは満面の笑みを浮かべた。
「お見事。さすが称号持ちの騎士だね」
「剣なんか使ってないけどな。子供達は?」
「みんな無事だよ。…でもちょっとやり過ぎたかなぁ」
ソルフテラは控え目に表現したが、二人にはちょっと所ではない惨状が目に入る。天の黄昏のアジトとなっていた場所は見る影もない状態だった。
屋根は吹き飛び、ガラスは跡形もなく溶けていて、壁はもはや壁とは言えずただの積み立てられた煉瓦が並んでいるだけだ。
近くの木々も焼け焦げており、この時期繁っているはずの青々とした葉や色とりどりの花はその色を一切失っている。
見渡せる範囲ではソルフテラが氷の盾で防御していた場所しかまともな部分はない。
それに人的被害も甚大であった。全員死んではいないようだが、それでもかなりのダメージを受けている。特にルナリオンと対峙した男は、もはや喋る事すら不可能な域にまで負傷している。
これはマズイと思いながらも、その状況に追い込んだ本人はどうすることもできない。ルナリオンの魔法は完全に攻撃に特化しており、そもそも回復・治癒といった魔法はとても稀少で、ほんの僅かに魔力を回復させるグラディウスの火魔法ですら珍しい部類に入る。
豊富な魔力量と強力な魔法を行使するルナリオンだが、そちらの方面には才能がなかったようである。
「どうする?逃げる?」
逃げの一手を提案するルナリオンだが、ソルフテラは首を振る。
手に持ったのは薄桃色の、騎士団のマントだ。
「いや騎士団のマント着けてる時点でもう手遅れ。諦めて怒られよう?」
今回二人は王女殿下からの直々の指令を受けた騎士団として動いたので、その目印として騎士団の制服を着用している。所属を明確にすることで後に誰が対応したのか分かりやすくするためでもあるし、王族という圧倒的な権力を誇示することで早期解決に導くためでもあった。
王女殿下の禁色に準じたマントを羽織った少年、それにくっついていた幼い子供、と言えば大体の人間に正体がバレてしまうぐらいには、二人のセットは物珍しい存在だった。
ソルフテラの無慈悲な返答にルナリオンは頭を抱えた。
「うぁああああ。リーレイン様にはバレませんように…」
世話になっている伯爵家の、その家を取り仕切る人物であるエルリークス伯爵夫人は、ルナリオンの礼儀作法を教える指導者でもある。
伯爵夫人は曲がりなりにも貴族の令嬢であるルナリオンが、騎士であることを快く思っていない。この国の貴族階級では女性は家を守り旦那を待つことが仕事とされ、外で戦う女騎士はあまり好まれていないためだ。
それなのに、王都の屋敷を破壊して森林を荒らし回り、挙げ句の果てには魔法のさじ加減を間違えて、罪人とはいえ意識不明の状態に陥らせた…などと知れれば大目玉を喰らう。
どうにかして知られぬように策を考えねば、とルナリオンが唸る傍ら、ソルフテラが疑問を口にする。
「にしても、なんか変だよな」
「何が?」
「あのギルドマスターだよ。あの顔、没落した元貴族のエントフールグ・ローグって名前なんだ。
ローグ家はわりと最近にお取り潰しになったんだけど、天の黄昏は結構前からある裏ギルドなんだ。ポッと出の、それこそ元名門貴族みたいな人間がギルドマスターなんかになれるはずがないよ」
ソルフテラが名前を聞いただけですぐに思い出せるほど、天の黄昏というギルドは裏ギルドとして有名だった。
ではまずどこで『裏ギルド』として線引きされるのか。率直に言えば『犯罪組織』として活動しているか否かである。
国の統治外に属するギルドは、その国の法律は適応されない。だからといって何でもかんでも許されるわけではない。暗殺や破壊行為、それに類する依頼は暗黙の了解として禁止されており、遂行された場合は依頼した側・依頼を受けた側どちらも罰せられる。
万が一にも依頼を受けたギルドは当然国の騎士団の手によって解体され、逃げたとしても第一級犯罪者として指名手配されることとなる。
だがその指名手配を掻い潜り悪逆の限りを尽くして活動する組織が存在する、それが『裏ギルド』と言われるギルドだった。
天の黄昏も、すでに何十年と前から裏ギルドと認定されており、末端の人間は幾度となく捕まっているが幹部クラスは未だに一人も、その姿すらも見た者は少ない。
ルナリオンが男と戦闘中、ソルフテラは子供達からの情報により、エントフールグ・ローグの名前を、そして他の人間からギルドマスターと呼ばれていたことを知った。
本当にギルドマスターなら、他の人間を置いてとっとと逃げ出しそうなものだが、男はそんな素振りを見せずにルナリオンと対峙した結果、この有り様だ。怪しむのも無理はない。
それを聞いたルナリオンは首を傾げる。
「なら…何でコイツは天の黄昏とか知ってたんだ?裏ギルドなんて普通に生きてりゃ知る機会もないだろうに」
「そこなんだよ…」
「まあ考えても仕方ねぇよ。あー騎士団が来たかなぁ」
後方からガヤガヤと忙しない声と鎧の金具がぶつかる重低音が徐々に聞こえ出す。
あれだけ派手な魔法を使ったのだ。何も言わずとも異変を察知した優秀な人間がこちらへ向かって来ているのだろう。この状況をどう誤魔化そうかと二人で思案する前に、今一番会いたくない人物が真っ先に駆け寄ってきた。
「ルナリオン!ソルフテラ!!なんだこの惨状は!!」
鬼の形相と呼ぶに相応しい顔でグラディウスが近付いてくる。
「げっ!グレイが一番に来た!!」
「ルナ、やっぱり逃げよう」
ソルフテラの言葉に一瞬キョトンと呆ける。だが直ぐ様その意図に気が付いた。
ルナリオンの片割れとして生きてきたソルフテラは、大人でも目を逸らしたくなるグラディウスの怖さを嫌というほど知っている。
何故なら下町時代、むしろ今でも悪ガキ二人を叱りつけるのはグラディウスの役目だからだ。血統持ちの二人をまとめて叱れる人間などそう多くはなく、何かあった時は幼い頃から二人を教育してきたグラディウスに報告が行き、二人で仲良く拳骨を喰らっている。
そんな恐怖を知っているからこそ、ソルフテラは真っ先にグラディウスから逃げるという選択肢を選んだ。誰も彼も、進んで一番怖い人間から罰を受けたくはない。
ルナリオンは大笑いしてから、小さな手を差し出した。
「…くっ、あっはははは!!よっしゃ今度は私に捕まってな!!」
「落とさないでくれよ!」
残った少ない魔力を炎に変え、ふわりと体を宙に浮かせる。そのまま商会へ方向転換し下から聞こえる怒号は聞こえなかったふりをして、二人は火の尾を描きながら夜の闇に消えていった。
と、まあ美談で片付けば綺麗に終わっただろうが、現実はそうもいかない。
翌日、案の定王宮から呼び出しを受けて、現在二人は王宮の一室にて待つある人物の元へ連行されることとなった。王宮の使者の後ろを歩きながらコソコソと相談を掛け合う。
「何が一番まずかったと思う?」
「うーん、全部じゃない?」
何の解決にもならない相談に費やしながら歩を進める。
しばらく歩いて着いた場所は王宮の中でも一等特別とされる部屋。重厚な扉を入り口に立つ護衛の二人がかりで開け放ち、その場が大きく拓ける。
「デュトラバドール公爵家子息、並びにエルリークス前伯爵令嬢をお連れ致しました」
「入りなさい」
まさしく鈴の音のような声、その声の発生源である中央の奥に座る少女が二人を呼んだ張本人。濃い桃色の瞳を持つこの部屋の主、王女殿下だった。
二人は揃って跪き、騎士の礼をとる。
「デュトラバドール公爵第五子、フテラウィル=ヴァランサー・レイ=リング・ナイト・リ・デュトラバドール。
王女殿下の命により馳せ参じました」
「エルリークス前伯爵第三子、リオンハート=グラディウス・ロゼ=リング・アーク=ナイト・フォン・エルリークス。
同じく王女殿下の命により登城致しました」
「顔を上げなさい」
そう言われ、二人は顔を上げる。真っ先に目に入ったのは王女の瞳。王女の禁色とされる赤とも桃色とも言えぬ、王女だけの色が幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ソルフテラが職務の最中に着用している騎士団のマントも、この色に準じた色彩となっている。色が色な為、年配の騎士には不人気ではあるが。
王女はにこりと笑い、呼び出した理由である先日に対しての礼を述べた。
「リオンハート、フテラウィル。まずは今回の結界魔術具、ならびに裏ギルドと交流のあったエクテレスィー侯爵の件、解決に導いたこと感謝いたします」
「いえ、王国の騎士として当然のことです」
「勿体なきお言葉。光栄の極みにございます」
王女殿下から直々の礼。高位貴族であっても王族から正式に感謝の意を告げられることは少ない。この場合謙遜をすれば逆に失礼にあたるので、二人は素直に受け取る。
しかし礼を言うだけなら、わざわざ呼び出さなくても書状で十分だ。王女の目的はまた別の、ハッキリ言うなら、二人が魔法行使の際に破壊した建物の被害の件にある。むしろここからが本題とも言える。
王女の後ろに控えていた女官が二枚の紙を掲げた。
「ですが。いくら裏ギルドを捕らえるためとはいえ、エクテレスィー侯爵邸含む七つの貴族邸の破壊、裏ギルドが占拠していた屋敷近くの下町の森林庭園の半焼…これはいったいどういうことかしら?」
女官から突き付けられた資料には、貴族街で破壊した建物と天の黄昏がアジトとしていた屋敷に隣接する公共施設の被害状況が事細かに記されていた。
二人は頷き合い、事前に打ち合わせた通りに全力で誤魔化すことにした。
「私たちじゃなくて相手の魔法です」
「そうです、オレ達は無実です」
そう、『全部相手のせい』にすることにした。
エクテレスィー侯爵やエントフールグ・ローグの魔法で壊れた物もあるが、二人が大破させた屋敷や公共施設に比べればそんなもの微々たるものである。だが破壊したのは事実。その事実をこれ幸いと、相手が抵抗してきた魔法で、またはその魔法を鎮圧するために仕方なくと言い張ることにした。
だが相手は王族、この国の次期国王。そんな言い訳が通用するはずもない。
「お黙りなさい。まったく…近衛騎士と称号持ちの騎士がこの体たらくとは。
フテラウィルは無期限の謹慎処分と被害額の4分の1、リオンハートは貴族街への立ち入り制限と被害額の半分を納めること。以上が二人に課す厳罰です」
ぴしゃりと二人の言い訳を叩き斬る王女はそれぞれに今回の事に対する罰を告げた。被害に反してさほど厳しい処遇ではないのは王女の温情であろう。
思いの外軽微の沙汰に驚きつつも、二人はすんなりと受け入れた。
「かしこまりました」
「温情に感謝致します」
ふう、とため息を付くと、王女は女官に指示を出す。女官から二人に渡されたのは紐で纏められた薄い紙束。
ほんの少し目を落とせば、今回の黒幕である天の黄昏のことが記されていた。
「それと…これは罰ではありませんが、天の黄昏の副ギルドマスター他何人かの幹部が捕まっておりません。それについても調べるように」
王女から告げられた言葉に二人は体を硬直させる。あれほど大惨事を引き起こさせた元凶、その幹部達が捕まっていないとなればまたいつ同じような出来事が繰り返されるかもわからない。
そこでソルフテラは気付く。何故給金の減額や降格処分ではなく、謹慎処分、それもわざわざ無期限と付け足した理由。
天の黄昏の事件は終わっていないのだと、そう言外に含ませてきた。
「話は終わりです、下がりなさい」
「失礼致します」
部屋を退出して、ルナリオンは真っ先に問う。
「王女殿下優しくない?お前なんでお断りするの?」
「単純に王宮暮らしが嫌だから」
「なら仕方ねぇな!」
額面通りにしか受け取れないルナリオンはソルフテラの真意には気が付かない。そんな少女に苦笑しつつも、渡された資料を軽く目を通したソルフテラが一つの資料をルナリオンに手渡す。内容は今回捕らえられた人物の一覧表だった。
「やっぱりエントフールグ・ローグもエクテレスィー侯爵も尻尾切りみたいだね。指名手配されてるギルドメンバーは誰一人として捕まってない」
「結局天の天の黄昏の目的ってなんだったんだよ。これじゃただの愉快犯だぞ」
実行犯は捕まり、居なくなった孤児も全員保護された。これではわざわざ拐わせた意味がない。ただのはた迷惑行為だ。
ルナリオンは意味が分からないといった様子で資料を食い入るように見つめる。
「愉快犯、ならいいんだけどね」
「は?」
「何でもない。帰ろうよ」
「わぎゃっ!!」
謹慎という名の休暇を貰ったソルフテラが、急かすようにルナリオンを持ち上げてその場を後にした。
ちなみに王女はあくまで天の黄昏を調べるために謹慎処分を言い渡したのだが、ソルフテラは分かっていて敢えて休暇と表現している。これを期に退職届も出そうかと考えるだけで、ソルフテラは舞い上がり小躍りしそうなほど浮かれている。
そんな様子の親友を睨みながらも抵抗せず、担がれたまま資料に目を通した。
と、ここで終わればさしたる問題は無かった。だが何度も言うが、現実は無情である。あれだけのことを仕出かしといて綺麗に終われるハズもない。
「ルナリオン!ソルフテラ!!
魔法を使う際はあれほど周囲に配慮しろと言ってあるだろう!!」
揃って家に帰った途端、首根っこを掴まえられ逃げる間もなく痛みと衝撃が二人の頭に落ちる。
何が起こったのか分からない、というより分かりたくはないルナリオンがそろぉ~と上を見上げる。見上げて後悔した。般若のような顔をしたグラディウスが仁王立ちで待ち構えていたのだ。
「どちらにせよこうなるんだね…」
「ひ、久々にくらった…」
こうなってしまっては、諦める他ない。
拳骨をくらって痛む頭を抱えつつルナリオンは半泣きになりながら、ソルフテラは遠い目をしながらグラディウスの前で正座をする。魔法行使の際の注意事項、裏ギルドに関連する報連相、貴族に対する言葉遣いと態度、挙げ句の果てには過去に失敗した事例まで持ち出されてこんこんとお説教を聞く事になった。
.