一ノ柱 月と太陽の再会
(気味が悪いな…)
家に戻るためとはいえ、時短で細い路地を通ったのはやはりまずかったようだ。
白銀の瞳を持つ少女、ルナリオンはため息をついた。
純白と漆黒が入り交じった髪、降り積もる雪の白銀を閉じ込めたような瞳、年齢に見合わず小さな体。
生まれは王都の下町、現在はエルリークス家という伯爵の爵位を持つ貴族の養子となり、いずれは父となってくれた商会長の後を継ぐための勉強をしている。
そんな少女が前述の通り養家へ戻る途中の道、時間短縮のために使った路地裏で立ち往生してしまった。
暗闇に紛れて三人、すでに前も後ろも囲まれている。男五人の格好は黒く、妙なフードに包まれており顔は確認できない。
しかしその手にかけている得物は、一目見ただけでも使いこまれたものであるとわかる。よく手入れされたそれは、その者達がただのゴロツキではないと示していた。
おそらく薄暗いアレコレを生業としている者たちだろうと推測できた。
ルナリオンの目の前にいた男が代表して口を開いた。
「リオンハート嬢で間違いないか」
「悪いけど下町じゃあその名前で呼ばれてないんだよな」
母の名を受け継いだその名は嫌いではなかったが、それより自分には母から直接もらった名前がある。
もっともルナリオンの名前を呼ぶ者は、下町では父親のグラディウスの他、商会の幾人かの人物のみである。
「リオンハート嬢で間違いないな」
「確かにリオンハートではあるが…何の用かな?女性をナンパするには少し品位が足りてないように思うけど」
「何も言わず我々についてきて頂きたい」
「やっぱりナンパか、人の意見を尊重しない人間はモテないぞ」
「如何様にでも」
「まあ、はいそうですかってついていくバカがどこにいるんだ」
ひょいっと、大きく飛ぶ。
回りの男達は大の男を一人飛び越え颯爽と走り去っていく様子に、一瞬の隙をつかれ呆ける。すぐに正気へ戻り、その背を追った。
「くそっ追え!」
「あははっ。鬼ごっこでもしようか!」
人がいない路地裏ではあるが、それでも街中である。
ルナリオンは人を巻き込まぬようにと、郊外へ向かって駆け出した。
王都と言えども、城下町と呼ばれる貴族街はそこまで広くはない。子供の足でも二時間もあれば端から端まで歩いて行ける距離だ。
そんな短い距離の細かい路地を、持ち前の体躯でスラスラとすり抜けていく。男達はデカイ体を窮屈そうに縮めて追いかけていく。
面倒な路地を抜け出すと、少しの平地とその先には鬱蒼とした林。身を隠すにはうってつけだ。幸い、とはいえないが、日は落ちて辺りは暗闇に満ちている。日に当たると輝いて目立つルナリオンの髪も、これでは紛れて分からない。
ルナリオンは迷わず林へ入りしばらく走ってから、手頃な陰へと身を潜めた。大の大人が追った少女の姿が見当たらず右往左往する姿は滑稽で、見当違いの方向へ走り去るのを見届けてから立ち上がる。
その刹那、後ろから気配を感じてその場を飛び退いた。水平に刺さった斬撃が先ほどまでルナリオンのいた場所を切り裂く。
すぐに体制を立て直し、護身用にと持たされた剣を抜く。相手は何かに気付いたように剣を引いた。
「…ルナ!」
その姿は暗闇に溶ける藍色の髪、それに反例して輝く黄金の瞳。体躯は記憶にあるよりも大きくなっていた。
数年会わずともすぐに思い出せるほどに見慣れた顔、ルナリオンの片割れとして育った、ソルフテラと呼ばれる少年だった。
「ソル!?なんでお前が!!」
「それはこっちが言いたいんだけど…いや、それは後でいい!!」
ソルと呼ばれた少年は現在の自分の状況を伝えようと口を開きかけたが、それは数人の怒号に阻まれる。説明よりもこの状況を打開する方が先決だった。
ルナリオンは知らないが、ソルフテラもまた、塔を出た後にフードを被った黒づくめの人間からナンパもどきを受けて断り、追われるはめになっていた。
ルナリオンの手を取り逃げ出そうとするも、旧知の顔に気を取られたのがいけなかったのか、周りはすでに囲まれている。人数はそれぞれ追われていた時よりさらに増えていて、六人ほどいる。
二人は揃ってため息をつき、剣を構える。
「頼む」
「任せろ」
そう、たったひとつの言葉を合図に、二人は背を向ける。一拍おいて周りを取り囲んだ男たちに向かっていった。
ルナリオンはとんっ、と軽く飛び、真正面にいた男に剣を撃ちつけようとした。
相手は女の力で使う剣など簡単に受けることが出来ると思い、顔の上に剣を敷いた。互いの刀剣がぶつかりあうのを待たずに、上の剣がさらに力任せに振り下ろされる。ルナリオンの体重も加わり相手の剣はそれに耐えきれず、いとも容易く折れてしまう。その勢いに任せ、宙で縦半回旋し怯んだ相手の頭部に容赦なく踵を叩き込む。
着地した瞬間、銀色が鈍く光りルナリオンを襲う。
それを受け止めた次の瞬間、ルナリオンの剣が弧を描いて相手の持ち手を弾く。剣は宙を舞い、遠く離れた場所へ落ちた。すかさず剣を持つ手とは別の手で顎を殴り昏倒させる。うまく当たったのか、相手は手に力も入らず足も覚束ない様子で目を白黒させていた。
横から相手が剣を振りかぶる。さっと剣を構え身体もそちらへ重心をズラす。
今度はぶつかった衝撃を使い、後ろに飛んで見事な受身を取って一回転する。立ち上がった所を見計らって男の剣光が一閃した。それを予見していたかのように、ルナリオンはすぐさまその場に伏せる。四つん這いになった勢いのままに飛びかかり、急所を狙って拳を繰り出しめりこませた。
その後ろではソルフテラが別の男をいなす。
向かってきた相手をひらりとかわし、剣を持つ手で相手の側頭部を打ち崩れかけたところに、さらにみぞおちへ膝を入れる。その際に男の手から滑り落ちた得物を遠く蹴り飛ばすのを忘れない。
また、別の男は飛び掛かった男が地面に落ちる前に剣を一直線に伸ばす。自身の剣を当て火花を散らせながら相手の剣に沿い、身体をひねって顔のど真ん中に裏拳を叩き込んだ。崩れかかった相手を嘲笑うように足を引っ掛け、後頭部から落ちるように仕向ける。
案の定、男は目を回し気を失ったようだ。
六人目の男はこれはダメだと逃げ出しそうになったが、叶わなかった。
前にはたった二つ、三つの動きで相手を仕留めた少年、後ろには自身の二回りもの大きさがある人間を素手で地に沈めた少女。
その二人が剣をこちらに向けている。どう足掻いても逃げ出しようもなかった。
剣を放り出し両手を見せ、なんの抵抗を示さないことを明らかにしてみせた。
男達が不幸な点は、分かっていなかったことだ。自身の半分ほどしか生きていない幼子らと明確な力の差があるのを。
「追ってきた理由は?誘拐する意味は?」
ソルフテラが簡潔に述べる。
いっそ不気味とも思える整い過ぎた顔は、暗闇でさらに恐ろしさを増幅させていた。金色の瞳はまるで獲物を喰らう前の獰猛な獣のようである。
「小さな白黒の髪の女と金の瞳を持つ青年を連れてこいと、前金で依頼されただけだ!お前らの容姿と名前を教えてもらったが、拐う理由は聞かせてもらえなかった!」
「そいつの容姿は?」
「それも知らん!ローブに包まれていて分からなかった、背は大きかったが肩幅が狭かった。しかし声は男のような低い声だった」
あんまりにも軽々話す男を胡散臭げに見下ろす。
「スラスラ出てくるな、嘘言ってるんじゃねえの?」
「そんなことはない!見た目と声色がちぐはぐで、依頼内容が特殊だったから覚えていただけだ!
それにおれは耳がいいんだ!一度聞いた声は忘れない!」
「そういう情報はいらねえから。さっさと吐いた方が身のためだぞ」
ルナリオンが決定的な情報をもたらさない男に焦れて、首に当てていた刃に力を入れる。刃がわずかに沈み、反対に薄く赤い線が浮かび上がった。
余談ではあるが、ルナリオンは今の父親に引き取られるまで、王都の最下層に類する娼館で暮らしていた。故に育ちが悪い。
いくら裕福な商会の跡取りとして生きようとも、貴族の養子となり商売の研鑽を積もうとも、幼少期に積み重ねてきた根幹は揺らがない。
少女の行動、口調共に荒いのはそのためである。
男はなおも知らぬ知らぬと叫び、本当に何も知らされてないとわかる。
「どうする?剥いて吊るすか?」
「いや全員縛り上げてこちらで裁く。
役人を呼んできてもらっていいか?これを出せばすぐに集まるはずだから」
そういって手渡したのは、薄桃色の識別札。ソルフテラが所属する部隊の支給品だ。
同じく余談ではあるが、ソルフテラは王都を囲む城壁の駐在兵士の息子である。
現在はルナリオンと同じく貴族の養子となり、ある王族の直属騎士見習いとして修練を積んでいる。
意識のある者を含め、どこからともなく取り出した縄を使いさくっと縛る。その時ルナリオンが跳ねた声で実験と称し、奇妙な縛り方を行ったのをソルフテラは止めなかった。その縛り方を知った経緯を追及して己が実験台になるのを避けることが吉と考えたからだ。
危険な目にあった直後でも、そのぐらいはやってのける胆の据わった少女。それが『ソル』の知る、『ルナ』という人物だ。
全員を縄にかけ、その場を任してルナリオンが立ち去るや否や、もう一度尋問するためにソルフテラは剣に手を添えた。
「さて…本当のことを話してもらおうか」
「ひぃ!」
「知らん知らんと言われて、それで納得すると思ったか?よく思い出せ。
オレはルナほど寛容ではない」
寛容、といったのは嘘ではない。現に死人は出ていないどころか、ルナリオンが対峙した三人は流した血の量も多くない。
ソルフテラとしては全員切り殺しても良かったが、血を厭い死者を出すことを嫌う少女の手前、加減した。その件の少女が居ない今、自死に見せかけて殺す方法も逆に拷問にかけて死を与える方法も、少年は騎士見習いとして学んでいた。
「本当に知らん!」
「そうか、残念だ」
「待って、待ってくれ!」
何かに気が付いたように声を荒げる。
「そうだ、もう一人いた。わずかな声だけだったが、確かにいた。ローブの奴に声をかけていた。よく聞こえなかったがローブの奴がそいつの名を言っていた。
名はハイト様と呼ばれていた!」
「ハイト?」
それは少年のよく知る人物の愛称と同じ名前だった。
再度問い掛けようとするも、後方が騒がしくなる。蹄の音を響かせ自身の名を呼ぶ声が聞こえる。
この場でこれ以上の尋問は無理だと判断したソルフテラは未だに助命を騒ぐ男を殴って気絶させた。
しばらくすれば駐在兵士を引き連れてルナリオンが顔を出す。
「おーい、連れてきたぞ。…あれ、全員死んでる?」
「いや騒いでうるさかったから気絶させた」
「そっか。それじゃお願いしまーす」
勝手知ったるといわんばかりに、あれこれと指示を出す。兵士もそれに逆らうことなく、現場の確認や六人の罪人の連行などを引き継ぎ王都へ戻っていった。ちなみに奇妙な縛り方をされた男を見て、幾人かの兵士はビビっていた。
あれは多分やられたことがある人間だ。
すべての兵士が引き上げ、また二人も帰路につく。
それぞれ貴族街の帰宅は諦めて、今晩は揃って壁外から近いルナリオンの家へと目指す。今頃は夜食の準備でもして待っているはずだ。
「そうだ、返す」
ふとルナリオンが気が付いてポケットを探る。差し出された手に乗っていたのは先ほど渡した識別札。
王族直属の騎士としての身分証で、大抵の事はこれがあれば解決できる。
識別札を懐に仕舞いソルフテラが張っていた気を緩め、大きく肩を動かす。
まさかプライベートで覗いた場所であんなことに巻き込まれるとは夢にも思わず、常に持ち歩くように言われていた識別札を持っていなければ、ルナリオンの言う通り吊るすしか方法はなかっただろう。
襲ってきた人間の今後のことは考えない。
「あー…疲れた」
「おやおや?これぐらいで疲れるなんて修行が足らないのでは?
もしくは老けたのかな?」
「こ・の、減らず口!」
「あたたたたた。潰れる潰れる」
おちょくるような言い方にカチンときて、小さな顔を掴む。そのまま力を込めれば、ルナリオンはペチペチと顔を掴んでいる腕を叩きながらすぐさま降参をする。
手を離し、互いに向き合う。
ルナリオンは淑女の礼を、ソルフテラは王国騎士の礼を互いに送り感謝を述べる。
「ご助力頂き感謝致します」
「こちらこそ危ない所を助けて頂きました。感謝にたえません」
権力を使った手前、こういう建前は必要だ。
ルナリオンも曲がりなりにも貴族の子女である、こういった礼節は弁えていた。
建前は終わった。二人は爛々と目を輝かせ、抱きつく。
「久しぶり!ルナ!!」
「ソル!やっと会えた!!」
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