八ノ柱 実家
「あー、やっぱり実家の安心感マジでヤバい」
「それな。あ、ケーキのお代わりお願いしまーす」
ルナリオンとソルフテラが王宮から呼び出されてから数日後、事後処理も終え罰金も払い終えた二人はだらけにだらけきっていた。グラディウスの執務室で思い思いのままに寛いでいる。
そんな二人にグラディウスは書類とにらめっこをしながら注意を告げる。
「実家は実家だが、自室ではねえ。
ルナリオン、服を着ろ。下着姿で飯を食うな。ソルフテラ、大の字で寝るな。カーペットを敷いているとはいえ床だぞ」
ルナリオンは窮屈なワンピースを脱ぎ捨ててグラディウスが用意していた甘味を頬張っており、ソルフテラに至ってはソファにも座らずその辺に寝転がっていた。
グラディウスが代表を務める商会には、実子として引き取られた後継者であるルナリオンと、同じく実子に準じる扱いをされていたソルフテラも以前は所属していた。その為それぞれ専用の執務室兼自室が存在するが、今日に至るまで就寝以外で使用された事はない。
グラディウスの執務室が広いことや外回りが多いなど理由は様々だが、一番の理由は同じ部屋で仕事をした方が早いと、グラディウス自身が執務室に二人の作業机を置いているからだった。
「ねぇ、グレイ。カーペット新しくなった?以前より寝心地いいね」
「寝る場所じゃないって言ってるだろ」
「グレイ、クッキー食べていい?」
「食う前に服を着ろ」
「グレイー」
「やかましい!仕事しないなら執務室から出ていけ!!」
矢継ぎ早につまらない質問をされては仕事も捗らない上に、先日の件についての陳情が貴族から続々と来てその対応に追われている。二人が事後処理をしている最中に、グラディウスもまた巻き込まれる形で事後処理を行っていたので、ここ数日はまともに寝ることもできず思考が荒んでいる。
グラディウスの限界値を察したようで、脱ぎ散らかしていたワンピースを手に取り、頬におやつを詰め込んでいるルナリオンに着せながらソルフテラが本題に入る。
「おふざけはここまでにして、この前の続きを話そっか」
「最初からそうしろ!」
自由奔放すぎる二人に、グラディウスは思わず書きかけの書類を破り捨ててしまった。重要な書類でなかったのが唯一の幸いだ。
ルナリオンに服を着せ終えたソルフテラがグラディウスと向かい合うように座ると、王女から受けた内容を話し始める。
「今回の件だけど、対外的にはエクテレスィー侯爵の独断ってことになる。裏ギルドのことは公表しないことになった」
「理由は?」
「一つ、貴族と裏ギルドが繋がっていたというのは外聞が悪い。二つ、減刑要求を受け入れないため。三つ、相手が悪すぎる」
「二つ目まではわかるが、三つ目の『相手が悪い』とはどういうことだ?」
三つ目の理由にグラディウスは首を傾げる。体面を気にする貴族階級なら一つ目の理由は理解出来るし、二つ目の理由も全責任を侯爵に被せて取り潰しを反論させないためだと推測できた。
だが裏ギルドに対して相手が悪いとはどういうことなんだ、とグラディウスは問いかける。ソルフテラはルナリオンから差し出されたクッキーを口に含みながら不機嫌そうに答えた。
「天の黄昏はずっと前からある裏ギルドだってのは言ったよね?
不本意だけど古くからある分、構成員も多いし末端もどこまで伸びているか分からない。下手に手を出せばオレ達が導火線に火をつけることになる。実力のある幹部クラスは全員逃げおおせたし、正面から相手にするのはいささか骨が折れるってことで、またしばらく放置するらしいよ」
絶対手を出すなって釘を刺された、とソルフテラが付け足す。
実は知らされていないだけで、ソルフテラとルナリオンにギルド掃討を任せる案もあったが、それは王女が全力で却下していた。今回のように魔法を使われては、今度こそ街全体が破壊されるような事態になりかねないと踏んだからだ。
先見の明は王国のために使うのであって、こんな事に使うために培ってきた訳ではないと王女が怒っていたことは知らない方がいいだろう。
「そうか…。ソルフテラ、お前の謹慎処分はいつまでだ?」
「無期限だからなぁ。とりあえず2、3ヶ月は大丈夫じゃない?」
「わかった」
それを聞くとグラディウスはペンを置き、書類を整える。ベルを鳴らして呼んだ使用人にいくつかの指示を出すと、壁に掛けてあった上着を手に取った。その様子を見てルナリオンは、グラディウスと書類に視線を向け首をひねる。
「グレイ、もう仕事終わったの?」
「ああ、直近のものは全て済ませた。他のものは期限まで長く期間がある、今日急いで片付けるものじゃない。…それに久しぶりに子どもが帰ってきているのに、仕事にかじりつくのは父親としてどうかと思うだろ」
その言葉にルナリオンは目を輝かせてグラディウスに飛び付く。
「本当!?じゃあ工房に行こう!考えてた新作を作りたいんだ!!」
「それ結局仕事じゃないか?」
苦笑しながら、グラディウスはバタバタとして言えていなかった言葉を告げる。飛び付いてきたルナリオンを抱え直し、そっと頭を撫でた。
「そういえば言い忘れていたな。ルナリオン、おかえり」
「うんっ!ただいま!!」
数年前から変わらない重さを、その腕の中に抱く。ふと、グラディウスがもう一人の子供に目を向ければ居心地が悪そうに目を背けている。ソルフテラの目に写るのは羨望と諦念、あとほんの少しの嫉妬。
グラディウスは共に等しく愛情を注いだハズなのに、実の親に遠慮してか、ソルフテラは未だに素直に甘えてはくれない。
男児としての矜持がそうさせるのか、はたまた過去の出来事がそうさせるのかは分からない。だからグラディウスに出来るのは一つだけだ。
「ソルフテラ、お前もだ。おかえり」
ルナリオンを抱えていない腕を伸ばし、ぽんぽんと夜空色の髪を撫でる。一瞬だけ目を見開いて、ゆらりとソルフテラの視界が歪み出す。俯いた視線の先にポツリ、涙が落ちてカーペットに吸い込まれた。
「うん…ただいま、父さん」
そろりと伸ばされた腕がルナリオンもろとも、グラディウスの肩に回る。左肩に増えた重さと暖かい雫を感じながらグラディウスは微笑む。間に挟まれたルナリオンも、追加された馴染みある体温にすり寄ってくふくふと笑う。
…出来る事なら、あの人も共に在れれば良かったのに。
ルナリオンの思考に僅かに過った思い出は頭の隅へ追いやって、今、自分の目の前にある金と紺の髪を撫で付けた。
しばらくしてソルフテラがすん、と鼻をならしてグラディウスから離れる。その目は既に負の感情を写しておらず、代わりに頬と鼻を赤くして照れたようにそっぽを向いた。
「ほら、ルナリオンも降りろ」
さすがに腕が痺れてきたのか、身体を揺すり腕の中に鎮座するルナリオンを降ろそうとする。そんなグラディウスにルナリオンはイヤイヤと首を振ってしがみついてくる。
いくらルナリオンが小さいとはいえ、四十手前のグラディウスにその重さは少々辛い。ソルフテラに手渡そうにも、首を回った手を振りほどく事が出来ず重みは増すばかりだ。
「もうちょっとー。ソルも乗る?」
「やめろ、ソルフテラまで乗ったら腰が折れる」
「そうだよ。もうグレイは若くないんだから」
「やかましい」
グラディウスは調子の戻ったソルフテラを小突きながら、ルナリオンをソファに落とす。小さな少女はコロリと転がって、ソファの上に黒と白が入り交じった髪が散らばる。その横に腰掛けながらグラディウスはルナリオンに問い掛けた。
「ところでルナリオン、新作を作るのはいいんだが資材はどうするんだ?
お前達の工房にはまともな道具はないぞ」
ルナリオンとソルフテラには二人専用の工房があり、自分で討伐した材料や当時はまだ協力者だったグラディウスから奪っ…、盗っ…、…譲り受けた道具などを保管する倉庫としても使用されていた。だが数年前のいざこざによって、そのほとんどが紛失しており、中にはもう手に入らない素材もある。
その事を失念していたルナリオンは寂しそうに目を覆った。
「あー材料集めからかぁ。あれ集めるのに苦労したのになぁ」
「金も人手もあるんだから、今度は簡単だろう」
「グレイ、本気で言ってる?」
「すまん」
グラディウスの言うことには同意するが、そう簡単に割り切れるものではない。
金があろうが、人手があろうが、その物に対する思い出は戻ってこない。あの場所にあったものはルナリオンとソルフテラの二人の記憶そのものだ。だから主人もいない、中身もない工房をいつまでも残してあり、グラディウスは定期的に工房を掃除させてある。
若干しんみりしそうになった所で、ソルフテラが口を開いた。
「で?結局ルナは何が欲しいの?」
「うーん、出来るだけ上位の魔物の素材が欲しいなぁ。…悪魔とか」
ニタリ、と言っている本人が悪魔と間違えられそうな笑顔で呟くルナリオンとは反対にグラディウスは顔を歪め、不愉快そうに疑問をぶつける。
「ルナリオン、それはお前が帰ってきた事と何か関係があるのか?」
グラディウスがそう問い掛けるのには訳がある。
ルナリオンらが住む王国で平民が貴族の養子となるのは大まかに分けて三種類ある。
一つ目は『通常養子縁組』とされる、実の親との関係を切らずに貴族と縁を結ぶ方法。二つ目は『特別養子縁組』とされる、実の親との関係を断ち切り貴族と縁を結ぶ方法。そして三つ目の『期間限定特殊養子縁組』、一般的に『商業養子縁組』と呼ばれ養子となる期間が定められている方法が存在する。
ルナリオンの養子契約はこの『期間限定特殊養子縁組』に該当される。
この養子縁組は諸事情で貴族の庇護下に入る必要がある、パトロンとしての契約、対貴族用の商業などを学ぶ為に、など様々な理由で貴族との繋がりを求める平民、または成人前の子供が一時的に貴族の養子となれる制度だ。
この養子縁組のデメリットとして、契約期間中は養家を通してでしか実家へ連絡することは出来ない。期間限定とはいえ養子は貴族として扱われ、平民と馴れ合う事は禁止されていた。
にも関わらず、少し前にグラディウスの元へ届いたルナリオン名義の手紙、それもしばらく実家へ帰宅するという内容にグラディウスは青ざめた。ついに大事をやらかして、放り出されたのかと勘繰ってしまったものだ。
まあその後すぐに結界の魔術具の異常で、ルナリオンのことを考える暇さえなくなり、グラディウスの胃は無事守られた。
話は逸れたが、今回の例外が認められたのはそれ相応の理由、ルナリオン本人以外に理由があるとすれば、養家の伯爵家に問題が起こったということだろう。
「察しがよくて助かるなぁ。ねぇ、一緒に悪魔退治に行かない?」
「悪魔、ね」
今度はその可憐な容姿に見合う愛らしい微笑みで、ソルフテラの裾を引っ張って誘いをかける。内容はいつもと変わらず物騒極まりないものではあったが。
ソルフテラが同行するのは決定事項ではあるが、問題はグラディウスだ。ルナリオンもソルフテラも、あまり積極的に関わっていきたい存在ではないが、過去の出来事を理由に『悪魔』と呼ばれるものに酷い嫌悪感しかないグラディウスは俯きため息をこぼす。
「グレイは…ここにいる?あんまり見たいものじゃないよね?」
「いや、お前らだけだと何を仕出かすか分からん。俺も行く」
青い表情のグラディウスを気遣ってソルフテラが留守番を提案するが、グラディウスは再度ため息をつき同行を決めた。
それにならってルナリオンも起き上がり、行き先を告げる。
「そっか。じゃあ準備が出来次第に向かおう。
エルリークス伯爵家領地、ガラスの街『クリスタリア』へ」
ルナリオンが告げた行き先は、二人が察した通りの養家直轄の地だったらしい。
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