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試合前



 月曜日。テスト当日のその日、桜峰サッカー部の部長である久保竜子には、重要なイベントがもう一つあった。インターハイ予選の組み合わせ抽選会である。


「で、それがどうして俺の部屋に来る理由になるんだよ」


「だってぇ」


「だってがわからん」


 午後二時。テストを終えた望が緊張の面持ちで俺のベッドに腰掛けていた。


「俺はこれから講義なんだが」


「休んでぇ」


「窓際学生になんてこと言いやがる」


 一コマ分の休みを利用して洗濯物を取り込みに帰ってきたら、部屋に望がいた、と言うのが現在の状況だ。今日は月曜日なのでサッカー部の練習はない。俺一人でゆっくり過ごせると思っていたのだが。て言うか、マジで合鍵持ってるんだな。勘弁してくれよ。


「あのさぁ、そんな気にしてどうするんだよ。優勝するって言ったのはお前らだろ」


 優勝するためにはどのみち強い相手を倒さなくてはならないし、そもそもうちが一番弱い。はっきり言って、どこと当たっても同じようなものだ。


「そうだけどさぁ、リュウちゃんってめちゃくちゃくじ運悪いんだよ」


「それは容易に想像できるな」


「一回戦から不戦敗とか引いてきたらどうしよー!」


「それは全く想像できん。と言うか物理的にあり得ん」


 なんだその意味不明なトーナメント表。


「んなことより、テストはどうだったんだよ」


「あぁ、それは多分大丈夫。だと……思う……かなぁ?」


「不安しかねぇ」


 俺は選手達に提示した条件を緩めるつもりはない。そもそも今回のテストの件に関しては、一番の学業問題児である小西のお母さんの提案から始まったものだ。娘を心配する母親の気持ちを俺の勝手な妥協で無いものにするなんてことはあってはならない。まぁ要するに、小西の成績によってはキーパー不在で出場辞退も十分に、いや、十二分にあり得るのだ。

 とは言え、流石の俺でもその結末の無念さはわかっているので、可能な限り回避して欲しいと思っている。


「カロちゃん、かなり頑張ってたし、綾ちゃんとユリちゃんと私とつーちゃんが死ぬほど勉強付き合ったし、何とかなると思う……かなぁ?」


「かなぁ? で終わるな」


 一応、後の答え合わせではそこそこの点数が取れていたらしいから、そこを信じるしかない。まぁ、あの子なら名前書いてないとか解答欄ずらしてるとか平気でやってそうだが。


「あ」


「電話か」


「うん。リュウちゃんからだね」


 抽選会の報告だろう。さて、わざわざ隣町まで遠征してきた甲斐はあっただろうか。


「もしもし。うん、あぁ、うん……うん。そう……そっか。わかった」


 スマフォを耳に当てる望の横顔からは会話の内容が読み取れない。読み取れないし、ぶっちゃけ洗濯物の方が大事なことを思い出し、放置してベランダに出る。晴天のおかげで布団が非常に良い感じにふわふわになっている。もう一度大学に行かなくちゃならんと思うと億劫だったが、ちょっとだけ気分が持ち直った。


「……」


 悪くない気分で布団を抱えて戻ってくると、望が真顔で宙を見つめていた。ちょっと目を離した隙に従姉妹の感情が消失していた。お医者さんに心配されるレベルだと思う。


「どうだったんだ?」


 聞かないと進まんと思って、話を振る。


「これ」


「ん? あぁ、写メか」


 トーナメント表を撮ったものだ。八つの高校の名前があり、桜峰は左から二番目の場所に割り振られていた。と言うか、八校も出るのか。そして、うちの一回戦の相手は、


「帝城……しすい? 聞いたことないな」


「紫水。帝城紫水高校。帝城グループの分校で、去年創立されたの」


「あぁ、あそこ。なら私立か」


 創立が去年だと言うなら、今年のチームには三年生がいないと言うことだ。高校年代の一年と言うのは大きな差になる。勝てる確率が少しでも上がるのは良いことだ。ウチにとってはありがたい引きをしたと言える。望は久保のくじ運の悪さを気にしていたが、良い形で裏切ってくれたようだ。


「ちなみに、ここ。去年の優勝校」


「……」


 俺は一呼吸置いた。


「……は?」


「あと、二回戦で当たるの、去年の準優勝校。紫水が来る前は二連覇してたとこ」


「……ふーん」


 くじ引きを別の奴に引かせるためだけに、久保をキャプテンから降ろしても良いなと思った。















 帝城紫水高校。紫水町に昨年度創立された私立の共学校だ。紫水「町」と言う名前からもわかるように、紫水自体は地方の田舎町である。特に何の特色もない町で、強いて何か挙げるとしたら、まぁ、山が近い。

 では、何故そのような辺境の地に天下の帝城グループが学校を創ったのか。これはひとえに、寂れた町に活気を生みたいと言う紫水町民の努力の成果である。そしてもちろん、せっかく私立校を創るのだ。ただの平凡な高校では面白味はないし、人も集まらない。そう言った紫水町の思惑、そして帝城グループがスポーツ方面に力を入れていると言う状況が相まった結果、帝城紫水高校はスポーツ推薦者を多数入学させるスポーツ進学校になった。


「帝城大学のコネでさぁ、海外に研修に行ってた優秀な人達を監督やコーチに据えてぇ、それはもう大々的に人を集めたわけだよー」


「ふーん」


「で、順調に良い選手が集まって、去年は見事インターハイ予選優勝。地区大会では南雲なぐもに負けちゃったけど、冬も県予選突破して地区大会出てる。まぁ、その地区大会も嵐堂らんどうに負けたんだけど」


 地区大会で敗れたとは言え、一年目から二大大会でしっかりと結果を出している。良い指導者がいると言うのは本当なのだろう。それにしても、


「南雲と嵐堂がいるうちの地区で、よくそこまで選手が集まったな」


 南雲高校。お隣の県の高校で、言わずと知れた高校女子サッカー界の大横綱である。一部ファンから「南雲が強すぎて面白くない」とまで言わしめたほどの圧倒的戦力を誇り、アンダー世代の日本代表級が「ベンチ」にゴロゴロいる。

 そして嵐堂高校。うちとも南雲とも違う県の強豪で、全国的にも数少ない南雲の貴重な対抗馬だ。超攻撃的サッカーを標榜する面白い高校で、アマチュアながらファンの多い高校としても知られている。

 うちの地区からはインターハイには一校、選手権には二校しか出れないレギュレーションのため、ここ数年はこの二校が出場権をほぼ独占している。夏は南雲、冬は南雲と嵐堂。冬においては、早い段階で南雲と嵐堂がぶち当たった場合でのみ、別の高校が全国大会に出場すると言う形を繰り返している。

 このような完全二強体制におけるうちの地区で、わざわざサッカー特待生システムを採用するのは、かなりの賭けだったはずだ。


「スポーツ特待生は学費が安くなるってのが大きかったみたい。南雲も嵐堂もそう言うのやってないし。あと、一年生から試合に出れる、上級生がいないってのは魅力だったんだよ」


「ま、それもそうか」


 実際結果も出している。二強の壁はまだまだ厚いだろうが、帝城紫水高校が今後の人気ブランドになるのはほぼ確定路線に思えた。


「で、そんな注目校がきっちりばっちり結果を出したわけだ。今年も優秀な一年生がどっさり入ってるだろうな」


「うわぁ……」


 打倒南雲、嵐堂に選手のモチベーションも高いだろう。一番当たりたくない相手に初戦から当たったと言うことだ。

 なるほど。久保のくじ運は本当に悪いらしい。


「よし。棄権するか」


「し、しないもん!」


 冗談、とは完全に言い切れないのが辛いところ。


「ど、どーしようコウちゃん。偵察とか行った方が良いかな?」


「いらん。うちの人数じゃどの道対策のしようがない。今の戦術を突き詰めた方が良い」


 今年の、それも一回戦のためだけに特殊な練習をするよりも、長期的なチーム力底上げを狙うべきだ。てか、ぶっちゃけ時間がない。


「さて、と。どうしたもんかねぇ」


 頭痛ぇな。せっかくの良い天気で、布団も干して、珍しく日に二回も大学に行こうとするくらいには気分が良かったのに、それが全てぱぁにされた。


「一本吸っていいか」


 いつもは許可を貰ったりなどしないのだが、今日に限っては何となく聞いた。それに、


「……どうぞ」


 こうなることも予想できたし。


「ほんとに……どうしたもんかねぇ」


 しけた気分を何とかするために吸ったタバコは、何故か空気の味がした。灰がポトリとフローリングに落ちたのを、後になって気が付いた。俺の敷金が。



















 久保竜子が落ち込んでいる。気の強い彼女がこんなに分かりやすくブルーになっているのを見るのは、なかなかレアである。どれくらいレアかと言うと、そんな状態の久保を今のうちに目に焼き付けておこうと、あの心優しい遠藤綾が思うくらいである。


「まぁ、さ。元気出そうよ。一回戦で当たるか決勝で当たるかの違いだよ」


「いや……うん。だね。そうだよね。…………いやぁ? そうかなぁ?」


 虚な瞳だ。こんな調子で今日の数学は大丈夫だったのだろうか。小西はもちろんだが、久保の成績もかなり危ういのだが。


「大丈夫です。安心してください。私が全部止めますので」


 すると、もっと不安な奴が謎の自信と共に近寄ってきた。


「カロ。数学どうだった?」


「……」


「はぁ……」


 黙ってスッと目を逸らされた。良いことが無い。


「ねぇアヤ。うちが紫水に勝つのに、一番可能性のある戦術って、何だと思う?」


 久保の質問。


「まぁ、カウンターで一点取ってあとはドン引きが妥当かな。もしくはPK狙い。一回戦は延長無いし」


 今の公太郎の戦術もこの考えがベースにある。守って守って個人力で一点もぎ取る、八人と言う人数で十一人に勝つためには、もうこれしかない。


「うーん」


「どうしたの?」


「いや、その戦術だと、やっぱり最後に点を取るのは私だよなぁと思って」


「?」


 守ってカウンターで一点を取る。理にかなった戦術であるが、実はこれがなかなか成功しない。その理由の最たるものとして、やはり攻撃に割り振れる人数と、その機会が少ないと言うのがある。試合中に一回、多く見積もって三回訪れるかな、と言うチャンス。たったそれだけのチャンスですら、相手ゴール前に入っていける選手は二、三人だ。相手に押し込まれれば押し込まれるほど、その数も少なくなってくる。

 カウンター戦術は、前線に高い個人技と抜群の決定力のある選手がいないと、そもそも成立しない。そして、そんな選手がいるチームは、初めから強いため、カウンター戦術を採用しない。強いチームが強いチームに勝つために敷く戦術が、カウンター戦術なのだ。サッカーと言う大人数競技において、弱者は奇跡を信じることしかできない。


「責任、重大だよ……」


「……おや、珍しい。竜子さんがオリーブとは」


 ナイーブって言いたかったんだろうな、と遠藤は思ったが、なんか疲れたので放置した。

 どう見てもくじのことを引きずっている久保が、机に片頬をつけながら指で円を描いている。


「まぁ、さ。悪い方に考えても仕方ないよ。練習行こうよ」


「そう、ね。ここ数日でぐっと肩が凝っちゃったし、早く身体動かさないと」


「ですね。私も久しぶりの練習です」


 小西は今日から練習復帰だ。聞かん坊な彼女のことだから、公太郎のいない日はこっそり練習に参加してくるものと部員全員が思っていたが、意外にも大人しく八尾の手伝いに徹していた。小西なりの誠意だったのかもしれない。もしくは、万が一そのことが公太郎にバレたら本当に試合に出してくれなくなることを察していたのだろう。丸々一週間、ボールにほぼ触れずに仲間たちの練習風景だけを見る生活は、小西にとって大変なストレスだったはず。そんな日々がやっと終わったとあって、小西は今にもグラウンドに飛び出していきそうだった。そして実際、飛び出していった。


「……元気ね。励まされる」


「でしょ」


 二人で少し笑って、立ち上がった。無駄にダラダラしてしまったから、他の部員達はとっくにグラウンドに出てしまっているだろう。土日の試合まで、今日を含めてあと四日だ。この高校に入学してから約二ヶ月。様々なことを経験したが、その一つ目の決算がすぐそこに迫っている。

 部室が見えてきた。グラウンドにはすでに阿部と小鳥遊、仲村と中沢が出てきている。すぐにでも練習が始められそうだった。


「遅かったやーん!」


「ごめん! すぐ行く!」


 小西も部室から出てきたのが見えた。すでにグローブをつけている。
















 帝城紫水高校女子サッカー部の練習場は天然芝のグラウンドである。プロのターフキーパーによって適切に管理された青々とした緑は、目を細めたくなるほど美しい。これを見ただけで、このグラウンドにどれほどの金がかけられているかわかる。


「ねぇ、聞いた? 一回戦の相手、八人しかいないらしいよ」


「マジ? それ舐めてんの? それともふざけてんの?」


「あれでしょ、お遊びで適当にチャラチャラやってんでしょ。そんなの大会出て来んなっての。ホント邪魔」


「まぁ、ボコれば良いじゃん。何点取れるかな?」


「10点は軽い」


 三人がいるのは、グラウンドに併設された室内トレーニング場だ。ズラリと整列した筋トレ器具達の中、ベンチプレスの座席で話している。


「厄介なのはその次だね。結構強い感じするし」


「大丈夫大丈夫。問題なしなし。なんか心配するとしたら、ヤケを起こした一回戦の奴らに怪我させられないかだけ」


 明るい笑声がしんとしたトレーニング場に響く。そこに、


「三人とも、随分と余裕そうですね」


 冷たい迫力を持った声が覆い被さってきた。


「あ……!」


「キャ、キャプテン!」


「お疲れ様です……!」


「お疲れ様です!」


 慌てて立ち上がった三人が、90度に近いお辞儀をする。その姿を帝城紫水高校女子サッカー部主将、藤田玲は厳しい表情で睨みつけていた。


「ここはトレーニング場であって、カフェテラスではありません。座ってお喋りするだけなら、出ていきなさい」


「す、すみません」


「あと、勝手に相手を測って馬鹿にして油断するのもやめなさい。そう言う空気を出している人間が部内にいれば、チーム全体の意識まで低くなります」


「……はい」


 頭を下げたままの三人だったが、藤田には彼女達の顔が青白くなっているのがわかった。もし今回のことをコーチに報告されると、しばらくは試合に出してもらえないからだ。下手をすれば、練習にすら参加させてもらえないかもしれない。

 藤田は膝をついて、三人と目線を合わせた。


「今日はもう帰りなさい。今のあなたたちの精神状態では、きっと良い練習は出来ないでしょう。ゆっくり寮で休んで自分を見つめ直し、また明日から励みなさい」


「は、はい」


「すみませんでした」


 三人はすごすごと帰っていった。その背中を見送ったあと、藤田はレッグカールに重りをセットしていく。今は四時。練習開始までは少し時間がある。


「ん? なんであの三人帰ってんの?」


 一セット目を始めたタイミングで、同期の今村由香の声が聞こえてきた。片手には購買部のアイスクリームが握られている。トレーニング場は練習に必要のない飲食は禁止なので、扉の一歩外でアイスクリームの包装を外した。


「意識が低かったので、帰らせました」


「へぇ。それで帰っちゃうんだ。昔だと、すみませんっしたぁ! やらせてください! とかって言ってたのにね」


「あなた、いくつですか」


「父さんの受け売り」


 会話をしながらのトレーニングは効率が落ちるのだが、今村はそう言うことは気にはない人種だ。


「ああ言うのって、どっちが良いんだろうね」


「…….人それぞれでしょう。良かったとするかしないかは、彼女達のこれからの行動次第です」


 結果論の中には、土台となる途中経過がある。藤田はそう思っている。


「あなた、もうすぐ練習ですよ。そのアイス、早く食べてしまいなさい」


「わかってるよ」


 一セット目が終わる頃には、食べ終わってしまっていた。


「お、当たりだ」


 棒を見て、少し喜ぶ今村。


「それじゃ、お先」


「えぇ」


 今村は藤田の前だと口数が多くなる。コミュニケーションが嫌いなわけでも下手なわけでもないのだが、どうにも空気がドライなのだ。そんな今村が自分だけには少しフランクな理由が、藤田にはよくわからなかった。


「天才の考えていることが、わかるはずもないですけど」


 トレーニングに集中する。すると、


「お疲れ」


「また食べてるんですか」


 今村が戻ってきた。片手にはさっきとは違う味のアイスクリームが握られている。例によって包装はトレーニング場の一歩外で剥がしている。


「練習前にそんなに食べてると、吐きますよ」


「大丈夫だよ。今日の練習終わったから」


「どこか体調でも悪いのですか?」


「違うよ」


 今村が時計を指差した。壁にいくつか設置されているそれらは、全て二十時半を指していた。


「終わった。これは帰りの分」


「…….なるほど」


「集中すると周りが見えなくなるね。それは良いこと? 悪いこと?」


「私次第です。コーチに謝りにいきましょう」


 藤田は静かにゆっくりと、ベンチプレスを下ろした。その総重量は、107キログラム。

 藤田玲、身長167センチ。体重80キログラム。ポジション、センターバック。

 今村由香、身長151センチ。体重47キログラム。ポジション、フォワード。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お待ちしていました。嬉しいです [一言] >こっこり練習に参加してくるものと部員全員が思っていたが、 「こっそり」ですかね
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