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仲村の狙い


 小西の怪我がひとまずは大丈夫だとわかったため、日曜日は予定通り船川と試合を行うことになった。女子高生達の動揺を落ち着ける意味でも、敢えて普段通りのことをした方が良いと言う判断だ。あとはまぁ、前日に一方的なキャンセルをするのは難しいと言う大人の事情もある。

 この日の試合は、両チームともに一進一退の攻防を終始繰り返した、密度の高いものだった。二十五分のゲームを四回、それぞれ1ー2、2ー1、2ー4、1ー0と、全てのゲームで得点することができた。三本目の四失点は正直いただけないが、この新布陣の難しさがよくわかるゲームだった。やはりサイドを突破されると一気に苦しくなる。

 得点者は久保、小鳥遊、遠藤。それ以外でも完璧に相手を崩した形が何度かあり、攻撃に関してはなかなかの手応えを感じられた。

 ただ、仲村のドリブルがまるで通用しなかったことが、懸念材料として残った。仲村と相対した船川のエースの能力がとにかく高かったのだ。

 俺はちびたタバコを携帯灰皿に放り込んで、河川敷を後にした。女子高生達にどんな課題を設けるかを、面倒な気持ちで考えていた。
















 月曜日。昼休み。仲村あん子はコーヒー牛乳を飲みながら中沢の勉強を眺めていた。一年二組は何故か弁当組が多く、教室にはほとんどのクラスメイトが残っている。中沢は教卓の一番前の席を陣取っているので、自然と仲村は教卓に顎を載せることになった。


「頑張ってますね〜」


「せやで」


「ですが、ゆりさんはお兄さんに課題出されてませんよね〜?」


「せやで」


「ずるーい」


「せやで」


「……私に千円借りてますよね〜?」


「な訳ないやろ」


「もう〜、返答が適当なんですよ〜」


 仲村はぶぅと口を尖らせる。ノートから目を離さない中沢はつまらない。すると、


「はぁ……。あんは? 勉強せんでええの?」


 しぶしぶ相手をしてくれた。


「確か、前よりプラス三十点上げろって言われとったやろ」


 仲村は前回のテストで145人中113位だった。基本的にどの教科も平均点以下。本人はそのことについては特に何も思っていなかったが、公太郎はそうではなかったらしい。チーム内では小西、久保に次いで厳しい課題を与えられていた。


「まぁ、大丈夫ですよ〜。まだ時間はありますし〜」


 テストは来週の月曜日と火曜日だ。それまでは丸々一週間ある。それに、仲村は前回はテスト勉強無しだった。以降の授業に付いていけてないわけでもないし、ちょこっと時間を取れば問題ないだろう。


「ま、あんなら多分、そうなんやろな」


 中沢も真顔で頷き、


「ちょっとそれちょーだい」


 手を伸ばしてきた。


「はい、どうぞ〜」


 仲村はストローごと渡す。


「……」


 だが、コーヒー牛乳を受け取った中沢は、一向にそれを飲もうとしない。ストローを眺めている。


「うちはさ」


「はい〜?」


「うちは、あんのそのスタイル、嫌いやないねん」


「スタイル、ですか〜?」


「せや。常に60パーセントくらいで、流して生きる。ほどほどに、そこそこに。上手いこと世渡りするんにはええやろ」


 高校生くらいで世渡りも何もないと思うが、彼女達にとってはこれが世界の全てである。


「ただ、綾は心配しとるで。根が真面目やからな。いまいち理解できんのやろ」


 仲村の目から落ちた鱗は、嫌な色をしていた。遠藤が心配している、と言うのは、仲村にとっては非常に良くないことだった。何故心配しているのか、どこを心配しているのかがわからないことも、その気持ちを増幅させた。そんな仲村を見て、中沢がシャーペンの尻を噛む。


「もし、あんが何か辛い目をした時、後悔が大きいんやないかってことやな」


「私が、辛い目? 私がですか〜?」


「だから、うちは心配してないって言よるやろ」


 仲村が今後何かを失敗するとしたら、それは何だろう。失敗と言うのは、何かをしようとしない限りは起こらない。何事もなぁなぁで過ごしていれば、失敗をするはずがない。だから、仲村はこのスタンスで生きてきたのだ。


「いつか、あの時もっと本気でやっとったらよかったて、思わんようにってことや」


「……」


 仲村はしばし黙考する。そのいつかは、本当に来るのだろうか。仲村自身は、来ないと思っている。将来にあるのは、やりたくないことばかりで、やりたいことなど無い。やりたくないことをやらないようにするのは、それほど難しいことではないはずだ。ただ逃げるか離れるかすれば良いのだから。


「なら、ゆり子さんは、何かしたいことがあるんですか〜?」


 こんなに一生懸命勉学に励んでいる中沢なら、将来の夢とかがあるのかもしれない。五歳児がお花屋さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか言うようなものではなく、もっと地に足ついた具体的な話だ。

 だが、


「ん? 無いでそんなん」


「えー」


「うちまだ高校一年やで? そんなん無いに決まっとるやん」


「なら、どうしてそんなに勉強してるんですか〜? 正直、ゆり子さんはそこまで真面目ではないと思っていましたが〜」


「んー」


 中沢が親指の上でくるりとペンを回した。ちょっとだけ考えるような仕草をする。そしてペンを取り直し、再びノートに正対した。


「あの、な。うちの両親、めっちゃ働いてんねん」


「はい〜。知ってますよ〜」


 中沢の両親は仕事が忙しく、家にいないことが多い。そのため、中沢家の家事は全て五人兄弟で分担して行っている。料理、買い物、掃除、洗濯、ゴミ出し、郵便物の取り扱い、庭の手入れ、近所付き合い、その他諸々全て。


「朝早くから、夜遅くまで。一日十二時間なんか当たり前。月月火水木金金を地で行く人らやから、土日もほとんど家におらん」


「それは労基法的には大丈夫なんですか〜」


「多分、かなり危ない。まぁ、それはええねん。大事なんは、何でそんなに働いとるかや」


「はぁ」


 ちなみに、中沢の両親はそれぞれ別の大手造船会社に勤めている。二人は造船界のロミオとジュリエットを自称しており、子供達は普通にドン引きしている。


「まぁ、別に何も難しいこと無いんやけどな。うちの両親、うちら兄弟全員がどんな進路を選んでも資金的に困窮せんようにってしてくれてるねん」


 留学でも留年でも中途退学でも専門学校でも高校行き直しでも、何でも好きにして良いと、子供達は言われている。奨学金を貰うことも考え無くて良いと。


「やから、うちはそれに甘えることにしとる。金銭面は気にせん。せやけど、その分、うちは手を抜くことなく勉強する。万が一うちが東大行きたいって思った時、学力が足引っ張らんように。それがうちらのために頑張ってくれとる両親への、礼儀やと思うから」


「……」


「ま、うちが今本気でやってんのはサッカーやし、家事もあるから一日十時間勉強するとかは流石に無理やけどな。できる範囲で、全力」


 仲村は、中沢が授業中に寝ているところを見たことがない。ノートを取り逃がしているところも、宿題をやっていない時も、見たことがない。当たり前のことを疎かにした中沢など、知らない。

 

「ま、他所の人からしたらそれが何やねんって話になるけどな。あんも別に気にせんでええで」


 現在、小西と久保は絶賛猛勉強中だ。同じクラスの成績優秀者に色々教えてもらいながら頑張っている。遠藤は元から真面目だから、誰に言われるまでもなく勉強しているだろう。八尾も阿部も同様だ。小鳥遊はそこまで本気でやっているわけではないだろうが、彼女には実家の手伝いがある。そっちの方は親が呆れて心配するほどのめり込んでいるらしいから、仲村とはまるで生き方が違う。

 誰もかれもがやるべきことに一生懸命になっている中、仲村あん子だけが取り残されていた。

 それを、今更になって気が付いた。こうして中沢に教えて貰わなければ一生気付けていなかっただろう。


「やりたいこととか、無いんですよ。ホントに」


 仲村のその独白は、中沢が言っていた「やりたいことがない」とは少し違う。中沢は、やりたいことがなくとも、今の自分がどうすれば良いかを知っている。だが、仲村にはそれがよくわからない。中沢のように、将来のために頑張ると言う思考にいまいち共感できず、また、そのことに没頭するだけのエネルギーがない。やりたいことがないまま、ふらふらしているしかなかった。


「ま、難しく考えることはないと思うで。何べんも言うけど、うちはあんのスタイルは好きやしな。大得はできんかったとしても、大損することもないやろ」


 中沢の言う通りだ。自分はこれで良い。間違っていない。仲村はそう思う。

 だと言うのに、そんな自分を後ろめたく思う気持ちはなんなのだろう。

 仲村あん子はわかりやすく思春期だった。すると、


「ゆーりーこーさーん」


 ベソかき声の小西が現れた。ゾンビのように両手を前に出してふらふら近寄ってくる。


「助けてくださーい。もう誰も教えてくれないんです……」


「はぁ? 綾はどないしたんや」


「私と竜子さんを同時に相手にする疲労がマックスに達したらしく、教室で寝落ちしてます」


「……真面目も行き過ぎると毒やな。で、どこがわからんのや」


「全部です」 


「全部にも色々あるやろ」


「全部。です」


 小西は代入の概念をよくわかっていなかった。


「こりゃ、大仕事になりそうやな」


 中沢が溜め息をついているのを、仲村は可哀想な思いで見つめていた。せめて少しくらいは負担を減らしてあげるため、教科書を取りに行った。

















 小西のテスト勉強は非常に難航しているらしい。成績優秀者である遠藤や中沢が様子を見た結果、小西は中学の段階でかなり怪しい理解度だったことが判明した。また、本人にしかわからないような関連付けや独自理論で暗記をしているらしく、その辺りの感覚が理解できない者には教えようがない。

 よくもまぁそんな状態で進学校に入学できたなと思うが、タチの悪いことに、ここぞと言う時の勘は凄まじいのだそうだ。五択問題くらいなら平気で全問正解するのだとか。まぁ、そう言う訳だから、小西の面倒を見らされる桜峰女子サッカー部の面々の疲労度は高かった。だが、


「嬉々として練習してるな……」


 部活前はどうなることかと思うような表情をしていた彼女達は、練習を始めるとすぐに元気になってしまった。


「息抜きだよ……。息抜きしないとやってられないよ……」


 望が笑えるくらいぐったりしている。自分の勉強より小西に付き合うことの方が消費カロリーが高いらしい。


「だから、水曜日はフットサルするから」


「はぁ? まーたお前らは。大人しく勉強してろよ」


「だから言ってるじゃない。息抜きしないとやってられないんだよ」


 部員達の練習風景を改めて眺める。かなりキツめのフィジカルトレーニングをしてきた成果で、お世辞抜きに走力が上がっている。独自に計測し直したスポーツテストでも全員が三つ以上の項目で前回を上回る成績を出していた。桜峰サッカー部は、フィジカル面においては確実にレベルアップしていると言えた。

 あとは、チームとしてどれだけ変則的な守備戦術の完成度を高められるかが、インターハイの予選の勝敗を握るだろう。その部分に関しては実際に試合の中で磨くしかないので、今週の土日も連続で練習試合をぶち込んでいる。


「小西じゃないが、怪我はするなよ」


 予定していただけでも、そこそこハードなスケジュールなのだ。そこにフットサルも加えるとなると、選手の疲労度が気になってくる。


「大丈夫。みんなちゃんとわかってるよ。程良く勉強してるおかげか、夜はぐっすり眠れるようになってるみたい」


「なら、まぁいいか」


 俺としては、ぶっちゃけ一人一人の細かい体調管理にまで口を出すのは流石に面倒くさい。小学生じゃないのだからそれくらいは各自でやって欲しいし、やるべきなのだ。

 実際、彼女達はきっちりやってくれているらしいし、その点は信頼できる。

 とまぁ、こんな風に油断していたせいで、望達は水曜だけでは飽きたらず、木曜にまでフットサルの試合を組んできやがった。


「……」


「コウちゃん、その顔はなに? アザラシの子供が拗ねたみたいになってるよ」


 水曜日。明日もフットサルをするからと望に言われた俺の表情は渋かった。


「土日も試合するんだから、わざわざ平日に連続で試合しなくても良いだろうが」


 何事もやり過ぎは良くない。俺が詰めておきたいのはサッカーの守備戦術であって、フットサルの戦術ではない訳だし。


「それは、まぁ……ごめん。でも、今回はちょっと特殊なんだ」


「特殊?」


「うん。あんちゃんが試合したいって言ったんだ」


「……仲村が提案した?」 


 それは確かに特殊と言うか、仲村に対する俺のイメージとはズレている動きだった。仲村が何かに「積極的」に動くことはないと思っていたのだが。


「心境の変化でもあったのかなぁ。なんか、焦っているような感じがしたんだ」


「ふむ」


 焦る? 何に? あの仲村が? インターハイ予選を直前に控えたこのタイミングで、何を考えているのだろう。少し、気にはなる。昨日の練習はもちろん、ここ数日の仲村の練習態度やプレーから何も読み取れなかった。


「わかった。バス賃が増えるのは気にくわんが、ちょっとよく見て見ようか」


 もし仲村の変化がチームにとって悪い影響を及ぼすなら、素早く対応しなければならない。繰り返して言うが、インターハイ予選まではあまり時間がない。


「んじゃ、スタメンは仲村、阿部、小鳥遊、久保。キーパーは、誰かやってあげてくれ」


 ちょうど望との会話がひと段落したタイミングで、選手達がアップを終えた。彼女達をベンチに座らせ、ホワイトボードにマグネットを貼っていく。今回のスタメンは、仲村を軸とし、彼女との絡みが多くなるであろうメンバーを選出した。


「インターハイ予選前だ。怪我はするな。だが、手も抜くなよ」


「「はい」」


 景気良い返事に、俺も頷く。こちらのキーパーには中沢が入った。


「ん?」


 相手チームが出てきた。それは俺が初めて見るチームだったが、一人、知っている選手がいた。船川サッカースクールのエースだ。


 ーーこれが狙いかね。


 シューズの紐を固く結んでいる仲村が、チラとこちらを見た。試合開始である。


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