小西死す
いや、死んでない死んでない。流石にそんな大事にはなってない。グラウンドではかなりの出血をしているように見えたが、傷自体はそこまで深くなかったらしい。二針縫うだけで済んだそうだ。
ただ、この二針が曲者だった。小西は今回負傷した所とほぼ同じ場所に古傷を持っていた。小西がいつもヘアピンで隠している右のおでこだ。これのせいで、少し縫うのに苦労が必要だった。
「これは、小学生の頃の傷です」
小西は言う。
「今日と同じような形でした。右45度からのシュートを止めに行こうとして、ポストにぶつけたんです」
大部屋の六つのベットの中で、一番窓側を与えられた小西。ピンク色の入院着に頭の包帯。わかりやすく入院患者って感じだった。
「でも良かった。大事にならなくて」
久保が心から言い、小西も頷く。
「そうですね。めちゃくちゃ痛くて、流石の私も死を覚悟しました。ベットの下に隠してあるちょっとエグめのレディコミが見つかるのは恥ずかしいなぁって思いましたからね」
「呑気か」
「え、でもそう言うのありませんか?」
「まぁ、わからんでもないけどさ」
わからんでもない。どんな人間、年齢でも、生きていれば隠したい恥の一つや二つは持っているものだ。久保も覚えがあるらしく、なんだか難しい顔をしている。
「はぁ。それにしても、今日から丸二日も病院食ですか……」
「嫌なのか?」
「嫌ですよ。量がまるで足りないですからね」
「味じゃなく量か」
今日は安静にしておかなくてはならないので、入院。そして、同じ場所を打ったことがあると言う理由から、大事をとってもう一日入院。退院してからも二回は診察に来るようにと言われたそうだ。まぁ、この大部屋には他の入院患者はいないので、ある程度はリラックスして過ごせるだろう。すると、
「カロ子!!」
ドタドタと大きな足音がしたかと思えば、小西とよく似た顔の女の人が飛び込んできた。
「お母さん」
「あぁ、良かった……! 連絡を受けてから、ママ、心配で心配で……! 本当に大丈夫? 痛いところない? 何かして欲しいことはある?」
母親らしいその人は、自分の汗を拭うのも忘れて小西に飛びついた。俺や久保のことも目に入っていないらしい。事務員風の制服を着ているので、職場から駆け付けてきたのが丸わかりだ。
「大丈夫ですよ。お医者さんはそう言っていました。また後で様子を見にくるとも言っていましたし」
「そ、そう……?」
「はい。それより、まずこちらの二人に気付いてください」
「え……あ。こ、これは失礼しました。私、カロリーナの母です」
「どうも。桜峰女子サッカー部のコーチをさせてもらっております楠田公太郎です。こっちは、主将の久保竜子です」
「はじめまして」
俺と久保は同時に椅子から立ち上がって、同時に頭を下げた。妙にシンクロしていて何か嫌だった。
母親も深々と頭を下げる。目や髪の色は完全に外国人だったが、日本文化にしっかり馴染んでいるようだった。日本語も流暢だし。ただ、
「お母さん、こちらのお兄さんが裏で色々と手を回してくださったそうです。市役所の皆さんもとても対応が良かったとか。お医者さんが凄く感心していました」
「まぁ、それはそれは。娘のためにどうもありがとうございました。カロ子が元気で、私も胸を撫で下ろしております」
「え、えぇ」
その言い回しはおかしいだろ、と小西につっこむよりも先に、娘を「カロ子」と呼んでることに違和感があった。どうやらこの母親も一筋縄ではいかないらしい。その証拠に、
「ほら、カロ子、見て。色々持ってきたのよ。焦っていたからちょっと変なものも混じってるけれど」
「ありがとうございます。て、うわ……! これは、ベッドの下に隠していたはずの例のレディコミじゃないですか!」
「えぇ。病院は退屈でしょう? でも、カロ子、あんまりこう言うコミックを一人で読むのは感心しないわ。ちゃんとお母さんにも回してくれないとダメよ」
斜め上にズレた親子会話が始まった。見事にこの母親にして娘あり、だった。まぁ何にせよ、お母さんの心配も解消されてよかった。久保と目を見合わせて息を吐く。だが、
「さて」
唐突に、お母さんの口調が変わった。
「これで、二度目ですね」
その一言は、全くの別人が発したみたいだった。途端に病室の空気が冷える。
「同じところに同じ怪我。それも頭です。膝小僧を擦りむいたのとはまるで話が違います」
この温度差には、流石の小西も黙る。
「……」
「コーチさん」
「は、はい」
「スポーツですから、怪我をすることはあるでしょう。そのことについてはとやかく言うつもりはありません」
母親の眼差しに、俺も居住まいを正した。
「サッカー選手が酷い怪我をしたと言う話もよく聞きます。骨折、靭帯断裂、どれも競技を続ける上で致命傷になるような怪我だと思います。ですが、はっきり言って、『良くある怪我』に過ぎません」
「はい」
「それに比べて、娘はどうでしょう。頭を打ちました。それも強く。ゴールポストに。私はそんな形で怪我をした選手を知りません。少なくとも、これは『良くある怪我』ではないでしょう?」
久保が不安そうに横目で俺を見ている。
「しかも、二度目です。日本のことわざにありますね。二度あることは三度ある。ですが、娘の命が次もあるとは確約できません」
「おっしゃる通りです」
まぁ、こう言う展開になるかもとは予想していた。理不尽だとは思わない。
「お母さ……」
「静かにしていなさい」
再び小西は黙る。それだけの迫力があった。
「こんな思いをするのは、もうたくさんです。娘が同じ怪我をしないための対策が無いのでしたら、これ以上サッカーを続けさせることは困難です」
その目には、母親としての強さがあった。俺が若造だとか、怪我を予期するのは難しいとか、そう言う誤魔化しを許さない。選手を、人様の娘を預かる者に対する責任を、この人は俺に求めていた。つまり、彼女は俺を対等の存在として会話しているのだ。
「……もちろん、絶対を確約しろとか、もしまた同じ怪我をしたらハラキリしろとか、そう言うことを言っているのではありません」
「わかっています」
この女性は、娘の怪我の原因を解明できる人間を探しているのだ。娘が好きなことを、安心して頑張れるような場所が欲しいのだ。
「では、少し難しい話になりますが、聞いていただけますか」
「……はい! ぜひお願いします」
俺のこの言葉を聞いたお母さんは、嬉しそうにした。
お母さんが運良くノートを持っていたので、わかりやすいように図を書くことにした。
「まず、小西が怪我をした状況をご説明します」
娘さん、ではなく、ここでは小西とした。お母さんも特に何も言わない。
「まず、ゴールほぼ正面、ペナルティーアーク付近からシュートを打たれました。これが一本目です。小西は反応しましたが、右手は届かず、ですか、ボールは右側のゴールポストに当たりました」
「はい」
こぼれ球はゴールラインとゴールエリアの角の中間地点くらいの方向に転がった。それを拾われたため小西は急いで起き上がり、ニアサイドを潰した。角度がなかったため、ニアへの強いシュートを警戒したのだ。判断としては正解だと思う。
ここまでを軽く図にする。ふふ。我ながらわかりやすい。
「ですが、ここではシュートはこず、中に折り返しのボールが入りました。当然、小西はそれに対応するためにポジションを変更します。右ポスト側から、中央付近へ」
ここでもし中で合わされれば、まず間違いなく失点だった。それを中沢が防いでくれた。ボールがペナルティーエリアの外に転がる。それを今度は竹内が回収してシュートし、また右サイドにボールが飛翔した。そして、
「ここで、小西は頭をぶつけました」
「なるほど」
お母さんがふんふんと頷く。
「状況はよくわかりました。ですが、ここからどう対策を導き出すことができるのですか?」
「簡単です。最後の竹内のシュート、これが外れたことが全てです」
久保も小西もなんだかよくわかっていない顔をしている。悲しいかな、先に気付いたのはお母さんだった。
「つまり、カロ子はわざわざ取らなくて良いボールを取りに行ったのですね」
「はい。正しく」
その通り。では、小西はどうして枠外のボールに反応してしまったのかだが、その原因は、直前に小西のプレーが連続したことにある。竹内のシュートの前、小西は横っ飛びをしたりポジションを取り直したり、身体を反転させたりしていた。
視線を動かし、ポジション修正を繰り返すことで、どこにゴールがあるのかが分からなくなってしまったのだ。
「ゴールを守るポジションであるはずのゴールキーパーが、ゴールの位置を把握していない。これは、ゴールキーパーとして未熟と評するほかありません。お母さんがポストに頭をぶつけるような怪我なんて聞いたことがない、そうおっしゃったのはそのためです。プロはゴールの位置を誤ったり見失ったりしませんから。どこにポストがあるかを把握しているのなら、頭をぶつけることはないと思いませんか?」
キーパーには「勇気」が必要だ。至近距離からのシュートに体で向かっていかなければならない。相手の脚が伸びてくるところに顔から突っ込まなくてはならない。言ってしまえば、頭のネジが数本外れている人間にしかできないポジションだろう。その一点においてなら、小西は目を見張る才能を持った選手だと言える。
だが、だからと言って、ポストに頭をぶつけてでもシュートを止めなくてはいけないのかと問われたら、俺はノーと答える。これはスポーツだ。自分の身を捨てるものではない。
「では、カロ子がゴールの位置を見なくても間違わないようになれば」
「このような形での怪我はないでしょう」
小西と久保が顔をぱぁっと輝かせた。
「はいお兄さん! では、私はどんなトレーニングをすれば良いでしょうか」
「うーん。それに関しては、プレーの度に何度も何度も自分の位置を確認して、感覚に刻み込むしかないと思う」
「歩幅とか、ジャンプの加減とかも理解しなくちゃダメよね。かなり大変じゃない?」
「確かに。そう言えば、私は自分の手の長さも知りませんね」
早速今後の練習について盛り上がり始める高校生達。本当に切り替えが早い。下手をすれば今からグラウンドに行ってしまいそうだ。思わず苦笑いしていると、お母さんの柔らかな視線に気が付いた。
「よかった。カロ子からサッカーを取り上げなくて良さそうです」
「ご満足いただけましたか」
「えぇ。もちろん。カロ子の努力次第と言う点も非常に気に入りました」
お母さんは朗らかに笑って、それからもう一度俺に頭を下げた。
「どうもありがとうございます」
「いえ。お力になれたなら幸いです」
こんなに丁寧に歳上の人にお辞儀をされたのは初めてで、なんとも面映い気持ちになった。まぁ、役に立てたと言うなら、少しくらいは得意な気分になっても良いだろう。
「あ、それと、小西は来週いっぱいは練習休みにさせるんで」
「え!? はぁ!? 来週いっぱい!?」
「……うるせぇ。病院だぞ」
爆弾が爆発したみたいな声だった。キーンと言う音が聞こえてくる。
「当たり前だろ。頭打ったんだ。それに、怪我した奴は試合に出さないとも言ったはずだ」
「ですが、お医者さんは明後日には帰って良いって……」
「それとこれとは話が別」
何度も言うが、小西が打ったのは頭だ。脳は複雑な機関なため、最初は良くても後になって症状が出ることもある。医療知識の無い俺だから、対応は大袈裟なくらいでちょうど良いのだ。インターハイ予選まであまり時間は無いが、これは必要な休息だった。
「しばらく練習は見学」
「そ、そんな……」
「いや、そんな人生終わったみたいな顔をされても」
どんだけ練習好きなんだ。悲しそうな小西は新鮮だった。だが、その表情は、
「来週いっぱいなら、テスト期間と被るね」
「……」
久保の何気ない発言で凍結した。
「ん? どうした?」
「いえ、あの……え、はい」
涼しいはずの病室で、ダラダラ汗をかいている。小西が見ないようにしているのは、お母さんの顔色だった。だが、俯く小西の視界に、お母さんがグイッと入っていく。
「カロ子……? テスト期間とは、どう言うことですか……?」
お母さんの笑顔には迫力があった。
「いえ、あの。そう言われましても」
「別に、大したことは言ってませんよ?」
しどろもどろになる小西。そこからのお母さんの判断は早かった。ぐりんと首を回すと、久保に話を振ったのだ。
「久保竜子さん。もしかしてですけど、あなたの学校はもうすでに何度かテストを行っているのですか?」
「え、は、はい。まだ入学直後の実力テストだけですけど」
「まだ、と言うことは……」
「はい。再来週の中間テスト、あと、期末テストもあります」
俺も流石に察した。小西は、お母さんに実力テストの結果を見せていない。それどころか、存在すら知らせていない。その理由は、まぁ、皆まで言う必要はないだろう。
「カロ子。実力テストの順位はどれくらいだったのですか。そのことに怒ったりはしないから、お母さんに教えてください」
「え、えっと、ひゃく……」
「ひゃく?」
「ひゃく、よんじゅう、さんばんです」
「それは、下から数えて何番ですか?」
「さんばん、ですね」
うわ、ひでえ。いくら進学校とは言え、その順位はあまりによろしくない。これは、怪我よりもよっぽどサッカーを辞めさせられる理由になるんじゃないか?
目の錯覚だとは思うが、お母さんがどんどん大きくなっていき、小西がどんどん小さくなっていた。泳ぎに泳ぐ、小西の目。
「ふむ。わかりました」
お母さんが溜息をつく。
「カロ子。次のテストでは百番以内に入りなさい。できなければ休部です」
「ひゃ、百番!? それは厳しいと思います! お母さんも私の学力は知っているでしょう!?」
「いいえ知りません。それに、こと成績において、達成できる目標を立ててどんな意味がありますか。あなたには、少し背伸びをするくらいが必要です」
「それは、少しどころでは……!」
あぁ、これは、小西の休部でインターハイ辞退という結末が現実味を帯びてきたな。この場においては、お母さんの言っていることが百パーセント正しいわけだし。と言うより、このお母さん、もちろん変な人ではあるが、娘のことに関しては非常にきちんとした人だった。個人的には好感が持てる。
だから、助け舟を出すことにした。
「わかりました。では他の部員達にも似たような目標を設けましょう」
「うぇ!?」
久保の絶叫。無視。
「な、なんで!?」
「一人だけに責任を押し付けるのは良くないだろ?」
「それはそうだけど、別に勉強は関係なくない!?」
「いや、関係はある」
勉強を疎かにしていると、部活の成長も止まることが多い。何故かと言うと、勉強をしっかりやっている人間は、生活習慣が整いやすいからだ。
一日の中で三十分でも、いや、十分でもいい。この時間はこれをする、と自分で決めて行えば、生活のリズム、ルーティンが生まれる。試合前日、もし緊張するようなことがあっても、そのルーティンをこなせば、心や身体が落ち着くのだ。
「まぁ、うちの部員は順位にかなりばらつきがあるだろうし、目標はそれぞれ考えるよ」
「そ、そんな……」
「ちなみに、久保は何番だったんだ?」
「百二十番……」
「じゃ、久保も二桁にのせようか」
「うが」
面白い声だな。
「お、お母さん、りゅ、竜子さんが二十上げるだけで良いのですし、私も……」
「他所は他所です」
うちの部で一番成績が悪いであろう二人が揃ったのも、彼女達にとって運が悪かった。藪を突いてしまった久保。その一番の被害を受けた小西。その両方が、死人のような顔色になっていた。
桜峰サッカー部、期せずして勉強週間に突入だった。




