新布陣
「キャプテーン! お疲れ様っすー!」
「あぁ。お疲れ様。また試合組んでくれてありがとな」
土曜日。河川敷のAコート横の土手でタバコを吸っていると、竹内がニコニコしながらやって来た。太い眉毛が八の字に弛んでいる。
「そんな、お礼なんて良いっすよぉ。ウチもあんまり相手してくれるトコいなくて困ってるんで」
「そうなのか? けど、ウチとじゃレベル差がありすぎるだろ。練習にならないんじゃないか?」
「いやいや。その辺の社会人と試合するよりずっと楽しいっすよ。こっちを喰う気まんまんなのが良いっすよねー。どの子もギラギラしてて」
「あぁ。それはそうかもな」
実力は天と地ほども差があるのに、桜峰の部員はいつだって勝つつもりで試合に臨んでいる。市役所チームを純粋な「対戦相手」として見ているのだ。近頃は良い意味で身の程を知っている阿部でさえもその気迫に巻き込まれ、一緒になって勝ちに行っている。
だが、そう言うガムシャラな姿勢が、本気でサッカーをしている市役所チームのメンバーの目に好意的に映るのだろう。
「それにしても……」
「ん?」
すると、ちょっと良い話をしていたはずの竹内が何やら語尾を濁し始めた。
「キャプテン、あの子、いや、あの女の人は何なんですか。OGっすか?」
「あぁ……。あれは二年生だ。最近出戻ってきたんだよ」
「それはつまり、あれっすか。ちょっとアッチ系のお店の店長さんとかですか」
「違う。あれはまだ16歳だ」
「え!? 16歳で店長になれるんすか!?」
「違う! 店長から離れろ! 信じられないかもしれないが、あれはただの素人だ!」
あ。いかん。素人と言う言い方は少しまずかったかもしれない。土手下に簡易ベンチを作っている望が心底嫌そうな目でこっちを見上げていた。
「マジっすか……。最近のJKは怖ぇっすね」
「あぁ。疲れるからこの話はもうやめようぜ。15分後に試合開始で良いよな?」
「っす。そんじゃ、俺戻るんで!」
「おう。よろしく」
竹内はふに落ちない様子で高架下の仲間の元へ走って行った。どうしてもまだ気になるらしく、チラチラと桜峰のアップを横目に見ながらだった。
「あ」
間違っても手ェ出すなよと釘を刺すのを忘れていた。俺が面倒見ている選手にそんなことはしないとは言っていたが、抗えない吸引力と言うのは存在する。竹内よ。その子に、酒井灯美に手を出してはいけない。酒井灯美が心配だからではない。お前が心配だから言ってるんだ。
「はーい。水分どうぞー!」
眼下では望がアップを終えた選手達に水筒を渡している。八人の選手達は軽く息が上がった良い状態だった。体調不良も無し。
今日は酒井灯美を加えた八人で行う最初の試合だ。インターハイ予選までの時間を考えると、のんびり相性確認している余裕はない。強豪チームに揉まれることで否が応でも成長してもらう。
「コーチ」
久保が俺を呼んだ。だからと言うわけではないが、俺も気持ちを切り替えてベンチへ下りていく。
「布陣は昨日提示した通り。あとはまぁ、うん。色々と頑張れ」
「兄ちゃん雑やなぁ。もっと何か無いん?」
「無い」
「そうもはっきり言い切りましたか。まぁ、私から見ても以前と変わりませんし、そんなものですかね」
小西が力強く頷くが、それに対して久保と遠藤が疲れた様子で反応する。
「いやいや。仕方なく無いでしょ。どう考えてもこの前と違うでしょ」
「あのね、カロ。今日は大橋さんがいないんだよ。これはかなり大きい違いだと思うよ」
「そぅだよねぇ。あの人いる前提でイメトレしてたから、僕のポジショニングも変わってくるかな」
「逆にどんな感じで攻めてくるんでしょうね〜」
正しくその通り。今日は市役所チームの絶対的エース、大橋氏が不在だった。向こうの戦力ダウンは明らかだが、それゆえに別の問題が生じている。仲村の言うように、市役所チームの出方がわからなくなってしまったのだ。
市役所チームの戦術は、とにかくまずは大橋氏にボールを預けて、と言うのが基本だった。非常にシンプルで、相手側からすれば対策のしやすい雑なものに思えるが、そこは元リーガプロ選手の大橋氏だ。ボールを奪われることなんてまず無いし、必ずと言って良いほど綺麗にゲームコントロール、チャンスメイクしてくれる。要である大橋氏が無双状態である以上、彼らの戦術はあらゆる意味で有効と言えるだろう。
だが、今日はその要がいない。だからこそ読めない。わからない。他の選手も実力者揃いと言うのが更に怖さを感じさせる。これまでとは違う雰囲気を市役所チームが放っているのだ。
ーーまぁ、こちらとしてはありがたいことだが。
大橋氏は格が違い過ぎる。あの人を相手にしたところで、練習にも参考にもならない。それはすなわち市役所チームの攻め方そのものが参考にならないと言うことでもあり、こちらの守備戦術の練習にもならない。
「じゃ、行ってこい」
市役所チームがぞろぞろとピッチに出てきている。
「えぇ。行きましょう」
「はい!」
「コーチっち、僕のプレー見ててね!」
「大橋さんがおらんのやから、いつもより失点減らすで」
「もちろんです」
「点も取りますよ〜」
こちらはしっかり整列する。その最後尾に、
「小鳥遊君、今日は二人で息を揃えて頑張ろうではないか」
「はぁ……まぁ……」
うちの右サイドコンビが並んだ。相変わらずコミュニケーションが取れてるんだかいないんだか。まぁ何にせよ、桜峰サッカー部の新たな形のお披露目だ。
「それでは始めまーす!」
望が俺の隣で元気良く笛を吹いた。最近少しずつ上達してきているようで、天を突くような小気味良い音がグラウンドに響いた。
桜峰が川下側に、市役所チームが川上側に分かれる。直径も太さもまるで違う二つの円陣が出来上がり、それぞれのチームに喝が入る。
「あ、声掛けは酒井じゃないのか」
「そだよー。酒井先輩が、キャプテンはリュウちゃんのままでやろうって。自分は向いてないからって」
「まぁ、妥当な判断かな」
俺の隣にまで土手を上がってきた望が言う。酒井は唯一の二年生だが、キャプテンは下級生に任すことにしたらしい。これは酒井がキャプテンに向いていないからと言うよりは、久保がキャプテンとして相応しいと言う部分が大きいのだろう。
ーーさて、どうなるかな。
試合が始まった。市役所ボールでキックオフされた現在、彼らはシンプルなロングボールを使って攻めてきていた。
「っ!」
遠藤が8番と競り合う。遠藤の方が落下点に入るのが早く、先に飛ぶことができた。空中の相手に不用意に身体をぶつけるのは危険なので、8番も無理には飛ばない。ただ、遠藤が自分に乗っかって頭から落ちたりしないよう、軽くジャンプして競ってくれた。まぁ、それだけでも圧力にはなるしな。
遠藤が跳ね返したボールは久保の元へ。のんびりした山なりの軌道に対し、久保はその場で止まって胸でコントロールしようとした。だが、彼女にボールが収まるのをむざむざと待ってくれるわけもない。相手CBが斜め後ろからニュッと身体を押し入れ、久保を制しながら再び前へと弾く。それを相手左サイドハーフが拾った。そこは酒井のマークだが、
「……」
酒井は停止し、あえて距離を取った。自分のタイミングが遅れたことを察し、飛び込まないことをチョイスしたのだ。その判断は概ね正解。もし相手がファーストタッチを彼女の裏に落としてきたら、そのままサイドをぶち抜かれる可能性があった。そんなリスクを冒してまでボールを奪いにいく場面ではない。それに実際、そこからの酒井の対応は実に素早く、かつ正確だった。
「小鳥遊君! 中!」
一つポジションが上の小鳥遊をプレスバックさせ、中を切らせた。こうすれば相手をコートの端に追いやることができる。もし縦に進んでくればそのまま小鳥遊と二人で挟み込めるため、ボール奪取の可能性が高まる。
だが、相手もそこは心得ているから、軽くボールをこねて様子見した後、無理に勝負せずにバックパスした。攻撃を組み立て直す。
「綺麗に連携してるね」
「あぁ。酒井の指示は的確だし、小鳥遊も同じような思考なんだろうな。息が合ってる。あれだけ対極的にディスコミュニケーションの二人なのにな」
前線の選手の守備精度は、後ろからのコーチングで大きく変わってくる。奪いに行くのか、外に追い出すのか、はたまた時間をかけるのか。前の選手も後ろの状況を見てプレーを選択すべきだが、なかなかそうはいかないことが多い。それをサポートするのがコーチングであり、それを的確にできるディフェンダーは貴重だ。
「小鳥遊君。ストップストップ」
小鳥遊が止まる。
「オッケー閉めよう!」
小鳥遊が中を閉める。
「挟むよ!」
小鳥遊と酒井が相手選手を上下で挟み、ボールを奪った。
「うおー。良い連携だね。ずっと前から一緒にやってたみたいだよ」
「あぁ」
酒井の声はよく響く。髪を前に下ろしている時はこもってて不気味な感じなのだが、さっぱり顔をあらわにすると、特徴的な聞きやすい声になる。さほど大きな声を出しているわけではないのに、高低差がある俺達の方にまで聞こえてくるのだ。
ブランクのある新加入選手と、サッカー初めて一か月の選手のコンビとは思えない好連携の守備。酒井の加入により右サイドがなかなか堅固になっていた。これは嬉しい誤算で、市役所チーム相手でもそこそこやれている。開始10分、未だに一度も右サイドを破られていない。右サイドバック酒井、右ウイング小鳥遊は「当たり」だった。
ーーこの陣形、俺が思ってたよりもハマるか?
酒井が加入したことにより新しく組み直した陣形。ワントップに久保を置き、一列下のシャドーウィングの右に小鳥遊、左に仲村。そして、右サイドバック酒井、センターバック遠藤、左サイドバック阿部。選手を一、二、三と三角形に配置した形だ。前からの守備はある程度放棄しつつ、サイドに相手を引き込みボール奪い、一気にカウンター。相変わらず久保の走力ありきの戦術だが、かなり機能している。
小鳥遊と酒井の右サイドはその要因の一つだった。そして、
「オフサイドでーす!」
簡易レフェリーの俺が手を挙げたのを見て、望がホイッスルを吹いた。市役所チームのワントップ、9番が裏への抜け出しを失敗した。スルーパスを貰おうと縦に走ったのだが、その瞬間に中沢が最終ラインを上げたのだ。これで中沢によるオフサイドトラップはすでに二つ目となった。
「百合子さん、ナイスです。ですが、私の出番をあまり取らないでくださいね」
「ンなこと言われてもなー。これがウチの仕事やし」
「ゆり、ごめん、あとありがとう。プレッシャー遅れた」
「いやいや、あんなんのが逆にかけやすいで」
小西と遠藤が中沢とこんな話をしている。センターバックである遠藤がプレッシャーに出遅れたことで、相手のミッドフィルダーの8番をフリーで前に向かせてしまったのだ。だが、中沢のおかげでその攻撃もほぼ問題なく止めることができた。
桜峰の新しい陣形。それは中沢をスイーパーに置くと言う、なり特殊なものだった。
掃除屋。最近ではめっきり聞かなくなった役割であり、知らない人も多いと思う。リベロともアンカーとも、センターバックとも違う、かなり限定的な仕事をこなすポジション、それがスイーパーだ。
ーー正直、あんまり好きじゃないんだが、こればっかりはな。
スイーパーの設置は、俺が小学生の頃にあった古い戦術だ。この役割を持つ選手は、4ー4ー1の陣形の、両センターバックの更に後ろにポジションを取る。課せられた仕事は非常に単純で、センターバックの頭上を越えてきたボールを外に蹴り出すこと。もしくは、サイドを突破された時のファーストディフェンダーとなり、ボールを外に蹴り出すことだ。パスを繋ぐでも大きくクリアするでもない。とにかくボールをピッチ外に蹴り出す。これが掃除屋の唯一の仕事であり、存在意義だ。
スイーパーになることを義務付けられた選手達は、本当にこれ以外のプレーをやらせてもらえなかった。本当に、ただこれだけ。
ーー監督がよく嘆いてたな。「またスイーパーを置いたチームか」って。
良識ある指導者が嘆くのも当然だ。小学生と言う伸び盛りの年代にこんなポジションをやらせていれば、その選手の成長は完全にストップする。経験を積む場である試合でたった一つのプレーしかさせてもらえないのだから、技術が磨かれるはずがない。
だが、この腐りきったポジションは確かに存在した。それは何故か。理由はやはり単純。「勝てる」からだ。
当時の田舎の小学生サッカーの試合では、チャンスと言えばディフェンスラインの後ろにボールが転がった時だけだった。外を突破するドリブル技術も、クロスを上げる精巧さも、遠くからシュートを打つキック力もない。だから取り敢えず相手の裏にボールを蹴って、足の速い子が追いついてシュート。これが最も効率的かつ有効な攻撃だった。
その結果、田舎の強豪チームはその対策としてディフェンスラインの後ろに選手を置いた。ボールを外に出させるプレーしかさせないのは、リスクを完全にゼロにするためだ。ボールを外に出し、時間を稼ぎさえすればもう一度ラインを形成できる。このスイーパー戦術は、様々なチームで取り入れられた非常にポピュラーな戦術だった。
まぁ、こんな腐った戦術はすぐに消滅したわけだが。こんなやり方は全国では一切通用しなかったのだろう。テクニカルなプレーを追い求める時代の流れにおいていかれ、そして跡形もなく消えた。
だが、俺はそれを蘇らせた。
「危機察知能力、対人守備能力の高さ、駆け引きで勝てるクレバーさ。中沢ほどスイーパー向きの選手もいないからな。我ながら非道だよ」
中沢の潑剌とした横顔を見る。その横顔は、スイーパーとしてプレーできる喜びに満ちていた。彼女は俺が期待した能力を遺憾なく発揮し、20分が過ぎた今でも市役所チームを無失点に抑え込んでいる。
「え、でもコウちゃん。私が見る限り、ユリちゃんも基本的にはディフェンスラインに加わってるよね。酒井先輩とユリちゃん、つーちゃんが横一列だよ」
「そりゃな。だってスイーパーじゃねぇもん」
「ここまでの話の流れが全部無駄になったんですけど……」
「しょうがないだろ。スイーパーって言う『過去』を前提に作った戦術なんだから」
俺が敷いたこの戦術では、桜峰のディフェンスラインは常に一定でない。三人の時もあれば二人の時もあり場合によっては一人の時もある。ただ、一人の時に残っているのは必ず中沢と言うこと。
「8人で11人と試合して勝つためには、まずは時間稼ぎが必要だからな。このディフェンスラインはその一貫であり、また、可能な限り守備を堅固にするためのものだ」
相手が自陣の深い場所でボールを持っている時、桜峰のディフェンスラインは中沢一人となる。両サイドバックの二人を前に押し上げ、遠藤と並ばせることでサイドハーフの役割を担わせる。こうすれば、サイドバックがシャドーや遠藤との三角形の連携でボールを奪えるようになる。この瞬間の陣形は4ー3ー3となっている。最初の「4」の部分が中沢一人になっているだけだ。
そしてこの瞬間、中沢は彼女のカンと守備力を総動員させて両サイドバックの裏をケアする。ボールと逆側のサイドバックに指示を出してラインに戻しても良し。たった一人のディフェンスラインとしてオフサイドトラップを仕掛けても良し。もしくは裏に出てきた相手と一対一をして時間を稼ぎ、上がっていたサイドバックを戻しても良し。桜峰の守備を彼女一人に任せ切る。これがスイーパーとの類似点。
「逆に相手に押し込まれている時は三人でラインを形成する。チーム全体を押し下げ、3ー3ー1とし、自陣ゴール前の人数を確保する。難しいのは、チームをどちらの陣形にさせるかの判断とタイミング、そして、たった一人で守らなければいけない瞬間があること」
この「統率が取れていないようで取れている」ディフェンスラインなら、開始から一定時間相手チームを混乱させることができる。三人も少ない相手との試合だから余裕で勝てるだろうと言う油断した頬にファーストジャブを入れる。そうすれば、混乱している間は失点の確率が下がる。つまり、時間稼ぎだ。
「阿部と酒井の存在も大きい。この二人も難しいポジションだ。各々で行くか戻るかの繊細な判断しなくちゃならないからな。ここをミスし、ボールを奪えない、もしくは効果的に守備できなくなれば、外を簡単に突破されることになる。そうなればいくら中沢と言えども即失点だ」
あらゆる技能において桜峰トップの選手である阿部と、無尽蔵の体力で上下動ができる酒井だからこそ任せられるポジション。最初は酒井の技術の低さを心配したが、センス抜群の小鳥遊と好連携ができるおかげでそれも十分カバーできる範囲となった。
中沢を疑似スイーパーとした守備戦術。これが現在の桜峰が形成できる最高のブロックだ。……たぶん。
「それに、本当に楽しそうにプレーしてるもんな」
この守備戦術を提示した時、中沢は瞳を輝かせた。よっしゃウチに任せとき、と。かつてないほど喜んでいた。
阿部もそうだ。彼女にはまた別の役割があると説明すると、少し涙ぐんでいた。僕を信用してくれてありがとう。そんなことを言ってきた。
「30分でーす!」
終了のホイッスルが高らかに鳴り響いた。桜峰サッカー部は、1本目の失点をゼロでベンチに帰ってきたのだ。中沢がグッと親指を力強く立ててアピールしてくる。
「ユリちゃん! 失点ゼロだよ!」
「やな! それで兄ちゃん!」
「なんだ」
「これ、めっちゃ楽しいで!」
「あぁ、そうか」
実はめちゃくちゃキツいことをやらせてるんだがな。よくもまぁ、そこまで楽しめるもんだよ。
「よし。んじゃ、2本目は攻めるぞ」
久保と仲村が、阿部が頷く。隅にいた小鳥遊はアクエリアスをコップに注ぎ一気に飲み干した。美しい瞳が俺を捉える。




