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陰と陽


 結局、久保と小鳥遊のPK対決のせいで伝えるつもりだった練習メニューを一つも伝えられなかった。チームの始動が一日遅れたことになる。だが、不思議とそのことに焦りや不安はなかった。


 ーーまぁ、いいか。


 PK対決の前と後では、小鳥遊の顔つきがまるで違った。これで彼女がもう少しサッカーに対して「ムキに」なってくれるなら、それは大きな進歩だろう。

 本当に、少女達は日に日に変わっていく。日に日に成長していく。まるで陽当たりの良い場所に植えられた向日葵のように。

 そんな少女達を見ているからか、どうしても考えてしまう。なら、俺はどうなんだ、と。阿部翼のようにトラウマを克服したのか。小鳥遊霧子のように世界を拡げたのか。

 溜め息が漏れる。そんな自信はない。そんな事実はない。


「……」


 アパートの駐輪場に乗っていた自転車を停めた。ギ、という鉄錆の音を聞きながら、俺はポケットからスマフォを取り出した。


「俺に何かご用ですか」


 首だけ振り返りながら、昏がりに問いかけた。敬語を使ったのは出来るだけ刺激しないようにするため。そこにいるのはわかってる。すると、


「そんなに警戒しないでくれ。ただの観察さ」


 曲がり角、コンクリブロックの影から小柄な人影がぬるりと現れた。季節外れな厚手のパーカーのフードをすっぽり被っていて、顔はよくわからない。ざらざらした声は男か女かを判別させてくれない。


「警察呼びますよ」


 自分の胸に冷静を強いる。怪しいのは間違いないが、身の危険を感じるほどではない。だが、それが油断に繋がらないように軸足に体重をかける。いつでも逃げられる体勢を整える。


「それは困るなぁ」


 俺はごく普通の一般人だ。バトル漫画やアニメの主人公のように気配だけで刺客や危険を察知することはできない。だが、そんな俺でもこの怪人物には気づくことができた。この感覚を言語化するなら、シャワー中に急に背後が気になる感覚に近い。意味も前触れもなくカーテンの隙間が怖くなったり、鏡に映る光景の端が気になったりするアレだ。そういう昏い恐怖感を猛烈に感じたのだ。


「安心して欲しい。貴方に危害を加えるつもりはないんだ」


 全っ然安心できない。スマフォのタッチパネルに110という数字を打ち込んでおく。あぁもう何だよこの異様なまでに非日常な体験は。


「ほぅら。こうすれば身分証明になるだろう?」


 怪人物が電灯の下に歩み出ると、パサリとパーカーを脱ぎ捨てた。新手の露出狂か? そう思って身構えたが、パーカーの下から出てきたのは予想外のものだった。


「桜峰の生徒かよ……」


「桜峰女子高等学校2年3組、酒井灯美と言う。どうぞよろしく」


 桜峰の制服。胸のリボンがイエローなので二年生なのも本当だ。確かに身分証明としてはこれ以上ないものだ。だが、あんまりよろしくはしたくない。


「ふふふ。信じてもらえたかな?」


 酒井灯美とやらが笑っている。笑っている、のだと思う。曖昧な表現になってしまうのは、この少女(?)の表情が見えないからだ。酒井灯美は、眼鏡をかけていることに気づくのが難しいほど、長く前髪を伸ばしていた。見た目だけで言うなら、土砂降りの深夜に国道わきに立っていそうな少女だった。


「それで、俺に何の用だ」


 一応は歳下の女子だとわかったので、敬語をやめる。だがここで警戒を解くのは早いだろう。寒くなる背筋が俺の緊張を否応なく高めてくれる。


「観察だよ。私は観察が好きなんだ」


 酒井灯美が笑っている、ように思える。このまま「ワタシ、綺麗?」と言ってきそうな雰囲気だった。


「観察?」


「この世界にはね、陰と陽、二つのがあるんだ」


「……」


「陽の人、陽の物、陽の場所。陰の人、陰の物、陰の場所。そう言う具合にね。ちなみに私は陰の人」


 だろうなぁ。


「そして私は陰の気が好きだ」


 だろうなぁ。


「で。それと俺はどんな関係があるんだ?」


 言ってることはわかっても、その脈絡がわからない。この少女は相手の理解よりも自分の言いたいことを優先するタイプらしい。要するに会話がしにくい。


「ふふ。何を隠そう、私は元サッカー部員なんだよ」


「え、マジか!」


 感嘆符付きで驚いたのは久しぶりのことだった。


「私は陰の場所に居るのが好きで、陰の集団に所属するのが好きだ。その点、去年のサッカー部は本当に居心地が良かった。顧問と部員の関係性は最悪。非効率的で達成感の無い練習。部員同士の無益な諍い。あぁ、本当に最高に最低だった」


 今年の春、桜峰サッカー部は顧問の休職を機に部員がゼロになった。その事件だけでも部に問題があったのは明白だが、その状態は俺が思っていたよりも悪かったようだ。そしてこの子はそれを非常に気に入っていたらしい。


「まぁ、辞めたんだけどね。次に入ってくる一年生は強い陽の気を持っている子が多かったから」


「そんな理由かよ」


「私にとっては大事なことさ」


 サッカー部に入っていました。でも辞めました。そんな少女が俺の前に立っていると言うことは、


「サッカー部に戻るつもりなのか?」


「そう。観察だ。私は貴方を観察したい。貴方は不思議な気の持ち主だから」


「はぁ?」


 お目当てが俺だと? 酒井灯美が両手の指を動かしながら言う。


「貴方は本来、強い陽の気の持ち主だ。だが、何故か今は陰の気に塗れている。まぁ、それだけならあり得なくはないんだが、貴方はここ数週間で再び陽の気を取り戻し始めている。これは珍しい。非常に珍しい。人の持つ気はそう易々とは変わらない。変わるにしても、とても長い時間を要するものだ。なのに、貴方はこの短い期間で陰と陽の間を彷徨っている。珍しい。興味深い。これを観察しないのは私としては有り得ない!!」


「うぉ、ビックリした。急に大きな声出すなよ」


 変な奴ってホントどこにでもいるんだなと思わされる体験だった。だが、そんな風に悠長に構えてられる場合でもないらしい。興奮を覚えた酒井灯美が詰め寄ってきたのだ。貞子のごとく長々と伸びた黒髪がわさわさ揺れる。一体どんな骨董屋で買ったのかと疑いたくなる円眼鏡がガタガタしている。


「そう言うわけだから、どうぞよろしく」


 やっぱりよろしくしたくない。それにこの子を部に入れるのには抵抗がある。もちろん、今のサッカー部に人材を選り好みできるような余裕はない。ピッチに立てる選手を一人でも増やさなくてはならないからだ。そこに実力如何は関係ない。

 だが、この子はあまりに異端すぎる。出戻りの理由は小鳥遊よりも酷いし、そもそもサッカーに興味を持っているわけではない。目当ては俺だと明言しているわけだし。


「うちの選手達は今、身の程知らずなことに日本一を目指してるんだ。俺もそれに付き合うことになっている」


「志が高いのは良いことだ。嫌いじゃない」


「好き嫌いは、これを見て判断してくれ」


「んん?」


 俺はチャリカゴに入れていた鞄からノートを取り出し、酒井灯美に突きつけた。


「明日から選手に課す練習メニューだ。これを叩き台に、選手の練度や疲労度を観察した後、さらに増やすつもりでもある。サッカーそのものに興味が無い君に、果たして耐えられるかな?」


「……」


 俺が打ち出した桜峰サッカー部のチーム戦術。それを高いレベルで実現するために考えたメニューだ。まぁ、はっきり言えば、ほとんどが体力トレーニングになっている。要するにキツい。そして、面白くない。

 小鳥遊が入部してくれたことで、部員を集める段階はひとまず終わった。一カ月後に総体予選を控えた今、楽しい練習からは少し離れたものに取り組む時期に来ている。


「……」


 酒井灯美が無言でノートをめくっている。俯いた彼女の前髪がノートに覆いかぶさっていて、非常に目に悪そうだった。


「入ってくれるなら歓迎する。だが、またすぐに辞めるようなことにはならないで欲しい」


「ふむ。なんだ。そんなにキツい練習じゃないな」


「え?」


「こんなの、中学の時に先輩にやらされていた練習に比べたら可愛いものだ」


「君、中学でもやってたのか?」


「あぁ。私は小学校からサッカーをやっている。最近のスポーツ少年団は良いよ。モンスターペアレントがウヨウヨいて、ボランティアコーチの指導方針、メンバー選考にまで口を出してくる。月謝が高すぎるとか、どうしてウチの子は試合に出ないか、とかね。そんな親だから当然子供もワガママで、バカで、口のきき方も知らない。ふふ……。そんなヤツらが生み出す集団の不和、ストレス、陰の気と言ったら……!」


 そっちか。いや、まぁ確かに、スポーツ少年団にはそう言う側面もある。強豪チームだと子供達の意識も高く、保護者の理解もあるのだが、弱いチームだとそうはいかない。保護者同士がめちゃくちゃ仲が悪かったり、まるで団を託児所のように思っていたり。そう言う子供の指導とは関係のない問題が常にあるのだ。


「中学の時も良かったね。二年は三年の奴隷、一年は二年の奴隷みたいに扱われてね。掘った穴をまた埋めるみたいな、練習とは言えない練習をやらされ、また、やらせていたのさ。もちろん顧問は見て見ぬふり。しかし、どうしてああ言う人種は、自分がやられて嫌だったことを人にもやるのかね? まぁ、私にはデザートみたいなものだったが」


 なんで嬉しそうに言うのだろう。あれか? この子はマゾなのか?


「確約しよう。私はこの程度の練習に音を上げることはない。はっきり言ってこの倍は用意して欲しいくらいだ。もっとこう、タメにならない練習とか、意味のない指導とか、そう言うのをしてもらいたいね」


「……それは個人でやってくれ」


「それはダメだ。自分でやってしまってはただの無益な自己研鑽だ。私は人に無理やりやらされるのが好きなんだよ」


 やっぱりマゾ成分もそこそこ混ざっている。うーん……。考えようによっては、ストイックと言えなくもない。天才と変人は紙一重なものだし。


「じゃあ、まぁ良いや。今いる部員も変わり者が多いし、ルイトモってやつだろう。ただ、これだけは聞いておきたい」


「何かな?」


「サッカーは好きか?」


 自分で言っていて恥ずかしくなるセリフだ。少し前の俺なら絶対に言わなかった、いや、思い浮かぶことすらなかったセリフでもあるだろう。

 だが、今の俺はこの確認を怠ってはいけない。俺に変化があるとしたら、きっとこれなのだろうと思う。


「うん。まぁまぁ好きだ」


「そうか。なら良い。ノート返してくれ。君の言うようにもう少し調整するから」


 酒井灯美の口角が斜め上に上がったのを見て、嘘じゃないと判断する。この少女がサッカーのどんな部分を好いているのかは果たして謎だったが、それはおいおい探っていこう。ノートもきちんと閉じて返してくれたし。


「んじゃ、俺はこれで。君もさっさと帰れよ。何かあっても俺は一切責任は取らないからな」


「それはそうだろう。では、また明日、グラウンドでね」


「あぁ」


 淡白な挨拶を交わした直後、酒井灯美は暗闇に溶けるかのように消えていった。おい、足音もしなかったぞ。なんだろう。あの子は黒魔術とかをかじってるのだろうか。かじってそうだな。


「ん?」


 ふと見ると、足元に黒のパーカーが落ちていた。どうやら酒井灯美が忘れていったらしい。最後に少しだけ人間らしさを残していったな。今からなら走れば追いつけるだろうが、まぁ喫緊の物というわけでもない。あの少女も、それほど重要ではないから忘れていったのだろうし。改めて明日返してあげれば良い。


「っと。メールメール」


 明日は色々とやることがあるから、今日のうちに望に連絡しておかなくてはならない。本当はこれも今日の練習のうちにやるつもりだったのだ。

 自転車の荷台に座って打った文章を再度確認して、送信ボタンを押した。俺のメールはピロリンと言う何とも楽しげな音で飛んでいった。これで良し。さっさと飯を食いにいこう。そう思ったのだが、


「ま、一応伝えとくか」


 送信済みの画面を見て思い立った。全く知らないよりは知っていた方が対処しやすいと思ったのだ。明日はちょっとばかし変な子がお前に会いに来るかもしれないぞ、と付け足しのメールを送った。すると、今度はメールを受信した音が鳴った。ずいぶんと早い返信だな、そう思って無警戒に開く。だが、そこにあったのは予想もしなかった文面だった。


「パーカーは明日返してくれ」


 なんだ良かった気づいたのか。初めはそんな単純な安堵を覚えたのだが、すぐに違和感に変化し、そしてゾッとした。


 ーーなんで俺のアドレス知ってるんだよ。


 しばらく馬鹿みたいに固まっていると、再びメールが届いた。望からの返信だった。


 ーーはーい。用件承りでーす。ねぇ、変な子って誰? 私の知ってる人?


 酒井灯美が望から俺のメールアドレスを聞いていた、と言うオチではないらしい。これで俺のメールアドレスを知っている桜峰サッカー部関係者が二人になった。

 急に気温が冷えた気がする。半袖から露出した二の腕を摩り、しばらくは戸締りちゃんとしようと決める。背後と右と左、そしてもう一度背後を確認して、アパートの階段をそろそろ上った。



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