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無敵のPK職人



 小鳥遊がボールをセットした。軸足の位置を確かめるようにスパイクの裏で土を踏みしめてから、一歩ずつ後退。ペナルティーエリアから少し出たところで停止した。普通の人間ならここで一呼吸を置いて心を落ち着かせるのだが、小鳥遊はそれを必要とはしなかった。流れるような動きで助走に入る。

 走りながらの上体は開いている。右に蹴りやすい体勢だ。この瞬間に生まれた小西との駆け引きは実にわかりやすい。右に蹴るフリをして左に蹴るか。それともそのまま右に蹴ってしまうか。

 小西がフッと息を吐く。右か左か。


 ーーおいおいマジか。


 大事な大事な一本目、小鳥遊のシュートはゴールのど真ん中に蹴り込まれた。右に飛んでいた小西を嘲笑うかのようなフワリとした優しいキック。小鳥遊はコースの駆け引きではなく、「時間」の駆け引きをし、勝利したのだ。

 キーパーが強いシュートに対応するためには、相応の速さと強さで身体を動かさなければならない。小鳥遊はそこに生まれる隙をついた。

 チップキック、ループキック、これらはそこまで珍しいプレーではない。時間を使った駆け引きは理に適っているし、上手く決まれば効果的だ。


 ーーだが、サッカー始めて十日程度の選手が試みるプレーかね。


 小鳥遊はプロのPKを模倣しているのではない。自分で考えて、見つけて、実際にやってのけたのだ。連綿と紡がれてきたサッカー史において、最初にチップキックでPKを決めた選手が誰なのかは、俺にはわからない。地球上のあらゆる地域、文明に神という概念があるように、チップキックも同時多発的、あるいは必然的に世界各地で生まれてきたのだろう。その内の一つを、まさか桜峰女子高等学校のグラウンドで見れるだなんて、誰が想像できただろう。


「おぉ〜」


「流石ですね〜」


 中沢と仲村がパラパラと拍手を送っている。とんでもないことが目の前で起こったというのに、盛り上がりは小さかった。

 小鳥遊はボールがバウンドしているのを眺めた後、


「……」


 つまらなそうに戻ってきた。シュートが外れる未来を一切イメージできていない感じだ。


「初めてのPK、経験してみてどうでした〜?」


「これで勝敗がつくの?」


「つきますよ〜。霧子さんが外すか、もしくは止められるかすれば〜」


 にこにこ頷く仲村を見て、小鳥遊は少し首を傾けたが、それ以上なにかを言うことはなかった。意味もなく横一列になっていた俺達の間に加わり、視線をペナルティーアークに移す。そこには、すでにボールをセットした久保が立っていた。


「なぁ。君らは昔から久保とチームメイトだったんだろ。実際のところ、あの子はPK上手いのか?」


「うーん……。なぁアン、リュウに上手いって日本語が当て嵌まる要素ってある?」


「無いですね〜」


「無いんかい」


「リフティングは下手やし、トラップは壊滅的やし、戦術理解も乏しいしなぁ。ランニングフォームは綺麗やけど、それって上手いとはちゃうしな」


 散々な物言いだった。自チームのキャプテンにつける評価とは思えない。二人の隣にいる望も、苦笑いするだけで一言もフォローしてこない。彼女たちの様子を見て、久保の勝ち目は薄いのだとわかってしまった。

 だが、ここで久保が勝負で負けてしまうと、小鳥遊はこれからずっと桜峰で団体行動をしないことになる。流石にそれは問題だ。俺は、「小鳥遊のスタンスは彼女自身や周囲の人間次第でどんな風にも変わる可能性がある」という前提があったから、現状を放置していた。久保はもちろん、チーム内で変化を生み出すようなアクションを色々と起こせるのなら、それはチームの成長に繋がるだろうと。

 だが、このままだとその可能性が潰えてしてしまう。PK対決という方法の是非ではなく、今後の可能性が全て消失するという事態が危険すぎる。


 ーー今からでも、俺が。


 何事も早い方が良い。数分前に久保が言っていたことでもある。思わず声を出そうとしたその時、


「ダメですよ」


 仲村が俺の袖を引っ張った。温厚さやお淑やかさを演出するための口調ではなかった。俺が「本当」の仲村あん子に出会った瞬間だった。これまでずっと俺に対して壁を作り続けていた彼女が、何故かこのタイミングで踏み込んできた。


「ここで有耶無耶にしたら、もったいないです」


「……もったいない?」


「えぇ」


 仲村が瞳で俺の視界を誘導した。その先では、久保が右脚を振り被っていた。伸びた髪の毛先を振り子のように揺らして、久保の身体が躍動する。何の恐れも怯えもない人間が見せる動きは、ハッとするほど堂々としていた。


「うぉ……!」


 情け容赦ない速度のシュートは、ゴールのど真ん中に突き刺さった。右に跳ぼうとしていた小西が何とか左足を伸ばしたが、ボールの重さに耐え切れず弾かれてしまった。

 二本連続のど真ん中。常人の胸には収まらないほどのハートの強さがあって、初めて成せる力技だった。


「リュウさん、PK外したことないですから」


 仲村は唇を抑えてくすくす笑っている。子供がプールではしゃいでいるのを眺めるみたいな表情だ。


「では、小鳥遊さんをしっかりフォローしてあげましょうか〜。じゃないと、普通に負けますよ〜」


 小鳥遊が負ける。俺にはにわかに信じられない未来だったが、仲村にはそれが確信的に見えているらしい。

 久保も小鳥遊も、何一つ緊張に縛られていなかった。何事も悲観から計画を立てる俺には、微塵も理解できない精神構造だった。





















 今の状況を口に出して確認するには、それなりの度胸が要る。そう思ってしまうほど、目の前の事実と光景は凄まじいものだった。己の想像の限界点を、目の前の現実が超えていく。頭の奥がきゅうと痛くなるような感覚を覚えずにはいられなかった。

 久保と小鳥遊のPK対決が始まってから、すでに一時間が経過しようとしていた。その間に両者が決めたシュートの数は、ゆうに二十本を超えている。二人合わせて五十本に到達しようかというシュートたちは、その悉くがネットに突き刺さっていた。それでいてまだキッカーの精神に疲労の色が見えない。この勝負の終わりが見えなかった。


「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 この長い長い沈黙の主は小西である。最初の数本はもちろん、シュートストップができなかったことを悔しがっていた。だが、それが十本を超えた頃になると、顔つきも変わってくる。このPK対決で小西のキーパーとしての面目は完全に潰されたと言っていい。いくらキーパーが不利なPKとは言え、こうもポコスカ入れられてしまっては、己の存在価値を疑いたくもなるだろう。


 ーー普通の神経の人間じゃあ、とっくに心折れててもおかしくない。


 そう言う意味では、小西の精神力も驚異的だ。屈辱も一周回ると不機嫌に変わるらしい。


「うーん。どっちもタフやなぁ」


「これはタフって言葉で表現していいのか?」


「では、図太いはどうでしょう〜」


「メンタルが?」


「メンタルが〜」


 そうかもしれない。相手がシュートを決めれば決めるほど、自分に跳ね返ってくるプレッシャーは大きくなる。それに耐えるには、精神の強さだけでは足りないだろう。自分は外さないという太々しさが必要だ。


「となると、もっとプレッシャーかけんと、ほんまに終わらんな」


「照明消えて続けるのも危ないですしね〜」


「よし。頑固二人とも、ちょい聞いてやー」


 無言で淡々とPKを続けていた久保と小鳥遊が振り返る。二人からなんか変な色のオーラが出ている、ように見えた。


「仕切り直しや。ここからは、一本蹴るごとに条件増やしていこや」


「おぉ、良いですね〜。どんどんプレッシャーを高めていくということですね〜」


「……それは良いことなのか?」


 俺の素朴な疑問に望も頷く。


「私には、わからないかな」


 望もそろそろ付いていけなくなっている。だが、残念ながらと言うべきか、久保と小鳥遊もその提案を気に入ったらしい。


「良いんじゃない? 私負けないし」


 久保がさらっと言う。本人は一切挑発のつもりはないが、それが逆に挑発になっている。久保がそんな高度な心理戦を仕掛けるわけがないとだけは断言しておこう。


「……まぁ、別に」


 小鳥遊の呟きのような声を聞いた瞬間、終わらないと思われていたこの勝負の行方が見えた気がした。小鳥遊の集中力が、徐々に切れ始めている。


「でも一本ずつは少し酷過ぎるわ。五本蹴ったら追加くらいで良いんじゃないかしら」


 久保のこの発言も、自分ではなく小鳥遊を気遣ってのものだ。久保も小鳥遊の状態に気が付いているのだろう。


「小鳥遊」


「なに」


「大丈夫か?」


 それゆえに、俺のこの問いかけには様々な意味が含まれていると思う。何を言っていいかわからなかったから、こんな風に尋ねることしかできなかった。小鳥遊は少し息を吐くと、


「うん」


 と言った。何が「うん」なのか。


「とりあえず、少し休憩入れましょう〜」


 久保の「五本蹴ったら」発言に対しても無言を貫いた小西を見て、仲村がポンと手を叩いた。PKに参加している三人は一度も水を取っていない。ずっと眺めているだけの俺たちと違い、かなり喉の渇きを覚えているはずだ。そうすると、待ってましたと言わんばかりに望が水筒を運んでくる。ゴールポストにもたれている小西に、コンコンとリフティングをしている久保に、そして、仲村や中沢、阿部と一緒にいる小鳥遊に。小鳥遊は小声でありがとうと言って水筒を受け取ると、コップに注ぐことなく豪快にがぶ飲みし始めた。


「……ふぅ」


 静かに目を伏せ、そして、


「もう、軸足に力が入らない」


 俺の目を見上げてきた。


「そう、か」


 ギブアップか。対決が始まった頃には想像もしていなかった結末だが、これもまた現実だ。この子は常にフラットで、客観的に物事を見ることができる。もう自分は無理だとわかっているのだ。このPK対決は、久保の勝利。


 ではなかった。


「だから、他の蹴り方教えて」


 小鳥遊が俺へ、そして仲村と中沢、阿部へと目を向けた。絶対に、何としても負けないという強い意志の籠もった瞳だった。それは、昨日までの小鳥遊を形作る成分には一滴も含まれていなかったものだ。

 小鳥遊にとっては全く重要ではなかったPK対決が、回数を重ねることで意味を持ち始めた。

 「PKのシュートなんて絶対に決まるだろう」。小鳥遊は最初はそう思っていたし、実際に口に出していた。だが、シュートを蹴れば蹴るほど、ボールをセットすればするほど、その重みを実感し、心に溜め込んでいたと言うことだ。ここは決めなきゃダメだ、次はどこに蹴ろう、どんな駆け引きを仕掛けよう。待ったなしの一回勝負に向かう度に、見えない「圧」が小鳥遊の心を蝕んでいったのだ。小鳥遊はもう、気づいている。PKは決してイージーではない。「絶対」なんてない。だからこそ、


 ーーだからこそ、「絶対に」勝ちたい。


 小鳥遊はそう言っている。俺は、小鳥遊がギブアップしたのだと思った自分に喝を入れる。そうじゃねぇよ。限界だから、限界まで闘い続けてきたから、諦められない。心が焼き切れるようなプレッシャーに耐えてきたこの二十数本のキックの果てが、「敗北」という結果であっていいはずがない。


 ーー高校時代、ずっと思ってたことじゃないか。これだけ練習してきたのだから、こんなに身を削ってきたのだから。


 だがしかし、俺は勝利も成長も勝ち取ることができなかった。それを受け入れられなくて、俺はこんな風になってしまった。

 久保の言葉を思い出す。


 ーー成功譚や必勝法だけが指導じゃない。俺は俺の失敗から学んだことを、誰かに伝えればいい。それは今ここだ。


 俺の想いを、経験を小鳥遊に託す。そんな馬鹿みたいな言葉が湧き上がってきた。だが、結局のところ、過去の俺を弔える唯一の方法はこれだけなのだろう。


「よし。わかった。俺たちは今から、あらゆる手を尽くして君を勝たせる。久保への精神攻撃、プレッシャー、君への応援、休憩、気の持ち方のレクチャー、それら全てにおいて、だ。仲村、中沢、阿部。それと望、いいな」


 いきなりテンションの上がった俺だったが、少女達は訝しむことなく付いてきてくれた。むしろ俺以上に瞳を輝かせる。


「了解です〜。リュウさんをボコにしてやりましょう〜!」


「せやな。特に恨みとかないけど!」


「い、いいの? こんな寄ってたかってみたいなことして……」


「あ、それは大丈夫。リュウちゃんのメンタルはオリハルコンでできてるから。不利になるほど燃えるタイプだから」


「あ、そ、そぅですか。前向きぃ……。僕とは正反対……」


 仲村も中沢も望も底抜けに前向きだ。俺と性格が比較的に似ている阿部には、少々理解し辛い思考だろう。


「それで、勝負に勝つために大事なことだが」


 六人で顔を突き合わせる。


「PK戦はメンタル勝負。つまり、いかにこっちの精神力を底上げするか。そして」


「そして?」


「いかに相手にプレッシャーをかけるか、だ」


 相手の足を引っ張るのも立派な作戦だということ。むしろ俺みたいな奴にはそっちの方が思いつきやすいし、実行しやすい。久保にプレッシャーをかけ続け、あの馬鹿みたいに強いメンタルにヒビを入れる。PK恐怖症になる危険性もあるが、それはそれ。そうなった場合は後で個人的に乗り越えてもらう。


「となると、君らの方が久保の嫌がることを知ってるはずだ。条件を上乗せするってことにもなってるし、これを使わない手はない」


「リュウちゃんが嫌がることを条件に組み込んで、プレッシャーをかけるってことだね」


「なるほど〜」


 あ、なんだか仲村が嬉しそう。まぁ、こういうやり方はこの子の大好物だろう。その才能が俺に向けられたらと思うと怖いが、ひとまずここは頼もしいと捉える。


「ふむふむ。なんや、それなら簡単やな」


「何かあるのか?」


「リュウの部屋にあるチャンピオンズ・リーグのDVD、全部没収したったら良えんや」


「おぉ。それは確かに嫌がりそうだね」


「リュウさんは毎晩DVD見てるはずですから、結構なプレッシャーになるかと〜」


 DVD云々の話は、俺も久保から聞いたことがある。かなりお金もかけてるみたいだし、これはなかなか急所になるな。一発でこれが出てくるあたり、中沢の性格も大概エグい。


「よし。役割分担するぞ。久保にプレッシャーかけるのは、性格悪い仲村と作戦立てるのが上手い中沢の担当」


「ちょっとちょっと〜。性格悪いとはなんですか〜!」


「せやで兄ちゃん。アンは他人を凹ましたり泣かしたりするんが得意なだけで、別に性格悪いわけちゃうで」


 望も横でうんうんそうだよねと頷いている望。それを見て阿部がゾッとした表情で後ずさった。中学で色々経験したからだろう、阿部は人間関係の軋轢に弱い。仲村の話をこれ以上広げると藪蛇になりそうなのでここでスッパリブレイクしておく。


「あーすまんすまん。んじゃ、俺と望、阿部の三人は小鳥遊のフォロー。知っている限りの駆け引きやキックの技術なんかを教えてあげよう」


「わかった。じゃあコウちゃんからね」


「え、お、おう」


 いきなり振られて驚いていると、話を黙って聞いていた小鳥遊が視線を向けてくる。いつも受け身で話を聞いているだけだった彼女とは違う表情だ。


「そうだな、それじゃあ小鳥遊。成功すれば絶対に決まるシュートを教える」


 いきなり「絶対に決まる」などという悪徳商法チックな台詞を言うことになったが、「成功すれば」という枕詞があるので問題ない。いや、それはそれで胡散臭いか。

 小西に見られてしまえば意味がなくなるので、実演はできない。口頭の説明のみになるが、小鳥遊ならそれで充分だろう。


「やり方は単純だ。右足で蹴るフリをして、軸足の爪先で蹴る」


 これはサッカー経験者なら誰しもが知ってるキックだ。誰しもが試したことのあるキックとも言える。そのくらいポピュラーなのだ。だが、公式戦ではまず見ないキックでもある。

 このキックのコツは二つ。コースはゴールの右隅を狙う。助走の力を思いっきり乗せて、軸足のトーキックで蹴り込む。この時、ボールに対する助走は直線であることが望ましい。普通、助走は緩やかな円軌道を描くように走るが、それだと軸足の爪先がゴール中央に向き、ボールが正面に飛んでしまう。

 この軸足キックはキーパーのタイミングを外すキックだ。右足で蹴ると見せかけて、ワンテンポ早い軸足のトーキックでボールを突く。上手くいけば、キーパーは動くことすら出来ずにゴールが決まる。


「ただ、いくつか不安要素がある。このキックはどうしてもボールスピードが遅くなる。だから読まれるとほぼ止められるし、また蹴れるコースも限定されているから、読まれやすい」


 特殊な助走になるから、それだけでピンとくるキーパーはいるだろう。キーパーに時間を与えない速攻が必要になってくる。


「どうだ? 行けそうか?」


 これも所詮は提案でしかない。実行するかどうかの判断、成功できるかどうかの技術は小鳥遊に委ねることになる。


「大丈夫」


 小鳥遊は無表情に顎を引いた。それは普段の小鳥遊の姿だった。仲間が加わったことで余裕が生まれた、かどうかはわからないが、そうだと思いたい。さらに、


「リュウ! 条件追加な!」


「えぇ。何かしら?」


「負けたらチャンピオンズ・リーグのDVD没収!」


 中沢が久保にプレッシャーをかける。


「オッケー」


 だが、久保は涼しい顔で片手をヒラヒラさせた。これに関してはもはや腹が立つレベルだ。一匹狼の小鳥遊でさえ周囲の助けを必要としたのに、久保はまだ一人で闘えるのだ。


「蹴ってくる」


 小鳥遊がそう言って前に出た。その言葉は、俺には少し違うものに聞こえた。


 ーー行ってきます。


 もし、そうなら。何かが変わるのではないだろうか。


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