PK対決
その日の昼休み、久保竜子は小鳥遊霧子を屋上に呼び出していた。空っ風が吹き荒ぶ中、二人が腕を組んで睨み合って……いたりはしていない。別にタイマン張ろうというわけではない。屋上には他にもお弁当を食べているグループ、軽い運動にバレーボールをしているグループ、恋バナに花を咲かせているグループなどなど、沢山の生徒らがいる。二人だけにスペースを与えてもらえたりなどしない。だが、たまたま時間帯が良かったらしく、二人は貯水槽の影になる涼しい場所に座れていた。コンクリートの壁を背もたれに、並んで座っている。久保はあぐら、小鳥遊は体操座り。二人の距離は一メートルほど。
「お弁当の途中にごめんなさいね」
「別にいい」
「そう。なら良かった」
久保はお喋りな娘ではないし、小鳥遊も自分から何かを話し出すことはほぼない。必然的に二人の間に会話は弾まなかった。ただ、気まずい空気は流れていない。天井が空になっているのと、そう遠くない場所から他の生徒らの笑い声が聞こえてくるからだ。
久保は雲を、小鳥遊はローファーの爪先を眺めている。
「ねぇ、どうしてコーチが来ない日には練習に来てくれないの?」
久保が呟くように言った。詰問の口調ではない。目線からして、どうして空は青いのかと言っているのと同じようなものだった。
「それって、凄くもったいないことだと私は思ってるんだけど」
少し左右に揺れる久保に対し、小鳥遊は微動だにしない。だが、無視をしているのとは少し違う。久保の話を聞いた上で、黙することを選択している。その理由や真意は久保にはわからないものだったが、耳を傾けてくれているのならそれで良いと思っている。
「部活、楽しくない?」
話したいこと、聞きたいことが沢山ある中でも、久保が最も気になっているのはこれだった。
「わからない」
「そっか。わかんないか」
小鳥遊は自分の意思でサッカー部に入ったわけではない。強制と言うと少し語弊があるが、本人が活動に乗り気ではないのは明らかだ。そう言う部分が、練習に来ないという現在に繋がっている。
「私は、あなたと一緒にサッカーできるの、凄く楽しいよ。あなたのプレーって、見ていてワクワクするから。そんな選手、プロにだってなかなか居ないもの。だから」
だから。だから、久保は一つの結論に達した。小鳥遊のプレーを見て、仕事ぶりを見て、色々と考えて、決めた。
「私はもっともっと、あなたと一緒にサッカーがしたい。あなたとなら、私一人じゃ届かない場所にも行ける気がする。だからお願い。練習に来て。あなたの時間を、私たちとの部活に割いて欲しい」
「……」
小鳥遊の事情や気持ちを理解した上での、お願い。いや、わがまま。小鳥遊がサッカーに何の興味も持っていないからこそ、久保は自分の気持ちを押し付けることにしたのだ。小鳥遊の横顔をじっと見つめる。
ーーホントに綺麗。
まるで人形のよう。少しも感情を顔に出さないから、余計にそう思えた。
バレーボールを楽しんでいるグループの声が屋上に響く。貯水槽の日陰に落ちた沈黙は、じっくり十秒を数えた。その間、久保は片時も小鳥遊から目を逸らさなかったし、小鳥遊も顔を上げなかった。だが、
「……すごい勝手」
先に息を吐いたのは小鳥遊だった。ふぅと軽く肩を揺らして、前髪を弄る。久保が顎を引く。
「えぇ。勝手をするって決めたもの。迷惑だった?」
「他人にこんなにしつこく構われたの初めて」
「それは、あなたがいつも自分は無関係って顔してるからよ。外野にいるのが楽ってのはわかるけど、それがいつもじゃ退屈しない? あなたって、一体いつ楽しいとか嬉しいとか思ってるの?」
「……あんたみたいなしつこい子といない時」
ここでまさかの皮肉が返ってきた。小鳥遊からそんな態度が出てくるとは夢にも思っていなかったから、
「おぉ」
と、真面目に驚いてしまった。この子もちゃんと人間なのねとわかって、久保は逆に嬉しくなった。お人形とは会話できないが、人間とならお喋りできる。それはきっと、今この瞬間における最も重要なことだろう。
「……」
ここでおもむろに黙ってみた。今の小鳥遊は少し感情的になっている。もしかしたら彼女の方から本音を話してくれるかもしれない。
「……」
「……」
だが、残念ながらそれは叶わなかった。小鳥遊はすぐに心を冷やしたみたいだ。だが、その無言は少し過剰にも思える。
「ねぇ、一緒にサッカーしましょうよ」
「まだ言う」
「多分、あなたがうんって言ってくれるまで言うわ」
「ハァ……」
かつて部を辞めていった先輩たちには、こんなに執着しなかった。彼女たちが別の楽しみを見つけたならそれで構わないと思った。だが、小鳥遊は違う。
「そんなこと言われても、困るだけ」
「困るって、何が?」
「……私は」
「ん?」
「仕事の時間を、できるだけ減らしたくない。もっと働かないと、ダメだから」
「あなたはすでに充分働いていると思うけど。お母さんだって、家の手伝い以外のことをしなさいって言ったんでしょ?」
「繁はそうは言ってない」
すぐにピンときた。父親のことか。この一瞬、久保は小西の話を思い出した。小鳥遊はおままごとではいつも父親役だったと。つまり、それが高校一年生になった今でも続いているのだ。小鳥遊は思春期の女の子としては珍しく、父親を心から尊敬しているということだ。
「将来、お店継ぎたいんだ?」
「……そういうわけじゃないけど」
「なら、どういうわけ?」
「…………」
小鳥遊の目が泳いだ。何か重要なことを打ち明けるかどうかを迷っている。こんなところで話していいのか。そして、その相手が久保でいいのか。
この判断で、久保と小鳥遊の距離感が決まる。壁を作ってしまうのか、それとも、少し歩み寄るのか。久保が静かに待った結果、
「厨房に入りたいから」
小鳥遊がぽつりと呟いた。
「繁に認めてもらって、店の商品を私が作る。だから、もっと働く。それ以外のことに、これ以上時間を取られたくない」
小鳥遊が己の深くにある感情を誰かに明かしたのは、きっと初めてのことだろう。その最初の一人に選んでくれたことを、久保は嬉しく思う。
「わかった」
小鳥遊が練習に来ない理由を少しだけ想像できた。おそらく、小鳥遊は誰かに何かを教わるということに、とても高い価値を感じているのだろう。だから逆に、指導者がいない場所に重きを置いていない。小鳥遊はそんなことは一言も言っていないが、何となく、久保にはそう察せられた。それならば、この頑ななスタンスにも説明がつくように思えるのだ。
「ふぅ……。なら、平行線ね」
「いや……あ、まぁ、そうだけど」
久保は練習に来て欲しい。小鳥遊は自分の時間を大事にしたい。部活という組織に所属している以上、団体行動を優先すべきは当然なのだが、小鳥遊にそれは通用しないだろう。
小鳥遊は集団の個人でいる責任感を知らない。そして、
「良いわ。なら教えてあげる。サッカーって、あなたが思ってるよりもずっと楽しいってことをね」
「仲間」と時間を共有する楽しさを、この少女は知らない。
小鳥遊のこれからを決めるのは、それを知ってもらってからで良いはずだ。
と、言うような展開があって、今に至るらしい。比較的冷静に話し合いをしていたはずの二人がここで睨み合っているのは、その後の休み時間で中沢と仲村が不必要に煽ったからだそうだ。マジで頭が痛い。余計なことをしてんじゃねぇよ。
「別にいいでしょ。いつか必ず表面化するんだから、早い方が解決しやすいはずよ」
「そこは正しくその通りなんだが、俺が言ってるのはやり方の話だ。なんでPK対決ってオチになったんだよ」
「公平に勝負したら白黒つくもの。後腐れもないわ。ジャンケンだとこうはいかないでしょ?」
とりあえず睨み合いをやめた久保が説明してくる。瞳に険が残ったままだったから、ちょっと怖い。
「と言うわけで、あなたは小鳥遊さんのセコンドに入って。レクチャーしないといけないことが色々あるはずよ」
「セコンドって……。あー。わかった。もーどーでもいーわ。なるようにしかならねんだし」
「そう言うこと。じゃ、お願いするわ。今更あなたに言う必要はないかもしれないけど、一応言っておくわ。丁寧に教えてあげてね」
「へいへい」
「ありがとう」
律儀に頭を下げてから、久保は集団から離れていった。どうやら一人でこのPK対決に臨むつもりらしい。ボールの圧を確かめるようにリフティングしている。
「……上手くなってるな」
「え?」
「あ、いや。何でもない」
孤立を選んだ久保に対して、小鳥遊にはキーパーである小西以外の全員がついている。今も小鳥遊にPKとは何たるかを教えている最中だった。
「つまりは、この位置からフリーでシュートして、決めたら勝ち。外すかキーパーに止められるかしたら、負けってことや」
おい中沢。それはちょっとザックリしすぎてないか? この場限りというわけでもないのだから、もう少し詳しく説明すべきだろう。少女たちの輪の一歩外で足を止め、追加の説明に入る。
「PKはフリーキックの一種だ。試合中にペナルティーエリア内でファウルがあった場合、PKになる。あとは、ノックアウト方式のゲームで規定時間内に勝敗がつかなかった場合。これは両チームが五本ずつ蹴って、得点の多い方が勝ちになる。六本目からは方式がサドンデスに変更される。これがPK戦ってやつだ」
説明の途中から、俺は小鳥遊の様子の変化に気づいていた。元から人の話は真面目に聴く子だったが、今日はそこに真剣味と現実感が加わっている。
「ねぇ」
「ん? なんだ?」
小鳥遊がペナルティスポットを指差す。
「どうしてこれが対決になるの?」
「……あぁ。君だとそう言う結論になるんだな」
「んん〜? どう言うことですか〜?」
「要するに、絶対外さないだろって言ってんのさ」
「あぁ! なるほど〜」
小鳥遊からすれば、PKの方式でキッカーが失敗することなど考えられないのだろう。ゴールポストに背を預けている小西の額に青筋が入ったのがわかった。
「確かに、PKはキッカーが圧倒的に有利だな」
人間の体躯と反射神経、行動可能範囲をゴールの大きさと比較すれば、絶対に手が届かないコースというのは確かに存在する。キッカーはそこに蹴り込めばまず間違いなく負けないだろう。また、キーパーはキッカーがボールを蹴るより先にゴールライン上から足を離していけないと言うルールも追加され、ますます不利になっている。それ以前はキーパーが前に出ることでシュートコースを狭くする戦法が取れたが、それができなくなったのだ。
「だが、精神面においてはキーパーの方が有利だと俺は思っている」
「なんで?」
「キッカーは決めて当たり前。キーパーは決められて当たり前。それはつまり、キッカーは外せば戦犯、キーパーは止めればヒーローってことになる。プレッシャーのかかり方に大きなプラスマイナスがあると思わないか?」
キッカーにのしかかるプレッシャーは、実際に「そこ」に立った者にしかわからないだろう。チームスポーツであるサッカーの中で、真の意味での一対一はこれだけだ。メンタルが弱い者は軸足を踏み込むことすら失敗する。
「実際、超一流のプロだってPKを外すことがある。相手が超一流のキーパーだからってこともあるだろうが、無視できないデータだと思わないか?」
PKは実力だけじゃ語れない。どうしても運という不確定要素が割り込んでくる。右か左か。上か下か。キーパーの読みに捕まってしまえば、もしかしてが充分あり得る。
「まぁ、見た方が早いか。仲村、蹴ってやってくれよ」
「えぇ。どうして私なんですか〜?」
「近くにいたから。小鳥遊のお手本なんだから、きっちり決めろよ」
「うぇ〜。プレッシャーですね〜」
文句は言いつつも、仲村の足取りは軽かった。プレッシャーのない状況と言うのもあるが、それよりも大きな理由は、単純にPKを蹴れることが嬉しいからだろう。
そう。PKは、遊びでするなら楽しい。非常にお手軽に「勝負」を体感できるし、ドリブルでの一対一のような疲労感もない。
「まず、ボールはしっかり手で置くこと」
仲村の動きと合わせて解説を入れていく。
「そして、軸足を踏み込む場所を確認する。芝生が剥げてないかとか、土がぬかるんでないかとか。実際、過去にプロの試合でキーパーがペナルティーアークをスパイクでほじくって、キッカーの軸足を滑らせたなんて事件があった。結果としてそのPKは失敗になった。そう言うことを仕掛けてくる奴は未だにいるから、確認は必ずすること」
「反則じゃないの?」
「多分、反則じゃない。そもそも、そう言うのはレフェリーに見られないようにやるしな。俺も一回やったことがある」
「えぇ……っと思ったけど、兄ちゃんなら普通にやりそうやな。それでどうなったん?」
「狙い通り相手がずるっと転けたが、ボールが低く飛んでたから普通に決まったよ。あとで顧問にめちゃくちゃ怒られただけの大損だったな」
俺が中学二年の時の、県大会二回戦で起こった話だ。
「あー。それ私も覚えてるよ。コウちゃん、その後すぐ代えられちゃったんだよね」
試合には勝ったが、交代枠を無駄に使わせてしまい、チームに迷惑をかけた。試合中のプレーを本気で反省したのは、後にも先にもあれだけだったな。
「それで、蹴る時のコツだが」
話が脇道にそれた間に、仲村は助走に入っていた。ペナルティーエリアからギリギリ出たところから走り出している。
「助走はしっかり取ること。これなら少々のミスキックになってもボールに速度が出る。そして」
小西が腰を落とす。右か左かの一瞬の駆け引き。仲村の態勢や軸足の向き、位置、角度。あらゆる情報を仕入れ、コースを探る。そして、最後はヤマカン。
「おぉ」
小西は左に飛んだ。読みは合っていた。だが、真横に飛んでいた小西の上をボールが通過していった。仲村は右足で右に蹴った。一番蹴りやすいコースに正確に蹴ったということだ。
「やってみればわかるけど、真っ直ぐの助走だと蹴りにくい。君は右利きだから、左に寄った助走になるだろう。そうなれば必然的に、右の方が蹴りやすい。左に蹴る場合は腰を回さないといけないからな」
PKは非常に細かいところまでが駆け引きに含まれる。腰を回しながらもアウトサイドキックをしたり、蹴り足の足首の向きだけで無理やり左に蹴ったり。少しアクロバティックなプレーとして、右足で蹴るフリをして、左足の爪先で蹴ったりなんてこともある。
「まぁ、口で説明できるのはここまでかな。あとは自分で色々試して、やりやすい方法を探すしかない」
PKには経験も必要だ。他のプレーと同様、練習すれば上手くなる。
「ぶっつけ本番ってわけにもいかないだろ。何本か蹴っておくか?」
性格的にも、久保が文句を言ってくることはないはずだ。だが、
「いい」
小鳥遊は冷たい声でそう言った。そして、ペナルティーアークの元へと歩いていく。久保がリフティングをやめた。
「始める?」
「終わらせる」
「似てるようで違うわね」
久保がボールを手渡しした。
「あなたが先攻ね」
PKは先攻の方が有利だ。ジンクス的な話ではなく、公式なデータとして算出されている。小鳥遊は人差し指でボールを回転させた。その表情に、緊張は微塵も浮かんでいなかった。




