偽りの友人と癒しの少女
コウは自室で胡坐をかいて考えこんでいた。
どうも最近、身の回りで可笑しなことばかり起きているのだ。
どう可笑しいか説明しろと言われると難しいのだが、幸運と不運が順番に、それも目まぐるしい勢いで訪れるのだ。
おそらくよく分からないだろう。だが、コウ自身も分からないのだから仕方がない。
だが、異変が始まる前兆はあった。
夢の中に真っ白な顎髭を床に付く程に蓄えた老人が現れ、いきなり、コウの腕を切り落とし、自分の腕と付け替えたのだ。
その時に何か説明をされた気がするのだが、夢の中では腕を切断されて大パニックだったし、起きたら夢だと分かって安心して、切断されたはずの右腕を確かめること位しかしなかった。
だが、断片的に覚えている夢の内容で、老人が興味深いことを言っていた。
「――これは神になるための片道切符だ、闘い、勝ち、奪い、集め、神の玉座に手を伸ばすがいい――ねぇ……」
口に出してみても何のことだかさっぱり分からない。何かのRPGの台詞だろうか。
「今のなんだ? 漫画の台詞か?」
すぐ後ろを歩いていた友人に声をかけられる。
「いや、少し前夢に出てきた人が言ってた」
「へぇ、どんな夢だ?」
何故こいつはそんなことを聞きたがるのだろうかと思いながらも、特に隠すことでもないので洗いざらい全部話す。
「お前それ、『選定の夢』じゃねえの?」
「なんだそれ?」
「ネット界隈では有名な話だがな、夢に神様が現れて、いきなり腕を切り落とされるんだよ。そんで、訳分かんない説明の後に今の台詞を言われる」
「へぇ……」
友人には生返事で返してしまったが、自分の見たものと全く同じだ。
そこまで同じなら、あの夢は『選定の夢』だったのだろう。
「それで、その夢を見るとどうなるんだ?」
コウが質問すると、急に友人はキョロキョロと周りを窺い始めた。
「ここではマズイ……場所を変えるぞ」
そう言って友人に手を引かれ、コウは通学路を大きく外れて進んでいく。
「おい、ここいらでいいだろう? 教えろよ」
コウは現在高校生だが、あまり頭の出来が良くなく、病気でもないのに授業をサボっている暇はないのだ。
「うん……、ここなら問題ないだろう」
そう言って友人がようやく止まったのは、人通りの少ない路地裏だった。
「で、その夢を見た人間はどうなるんだ?」
「ああ、それはな――」
ドスッ!!
腹部に激痛が走ると同時に、急激に体温が下がっていく、コウは自分の腹を見下ろして、ようやく「自分は刺された」という結論に至った。
「――こうなるんだよ」
そこにいたのは友人ではなかった。
背丈も年代も一回り上位の成人男性だった。
「お前、どこから……友人をどうしやがった!?」
「へぇ、変わってるね、君はその仲が良い子を“友人”なんて風に呼ぶのかい?」
言われてみれば妙だ。コウは今までその友人を何と呼んでいたか思い出せなかった。
だが、今はそんなことはどうでもいい。友人を助けることが第一だ。そう考えたコウは血がダクダク垂れる腹を手で押さえ、男に殴りかかる。
「へぇ、勇敢だね、コウ。君らしいな」
その言葉を聞いた瞬間、拳から力が抜ける。
(こいつ、俺の友人そのものだ)
拳を下ろしてその場に蹲るコウを見て心中を察したのか、男が残虐な笑みを浮かべる。
「気付いたんだね。どうせその傷じゃ助からないだろうし、冥土の土産に教えてあげよう」
そう言うと、男がコウの肩に触れる。その瞬間、男の顔がグニャリと歪み、コウがよく知る友人の顔になった。
「《幻影の神手》って言ってね。中々使い勝手が良いんだ」
それだけ言うと、コウの肩から手を放し、踵を返して歩き出す。地面に倒れたコウの腹部からは、相変わらず血が溢れ出し、床を朱く染めていた。
(このままだと死ぬな。どうする? 助けを呼ぶ? どうやって? 動けない以上、電話で呼ぶしかないか……?)
死にかけているというのに、頭は驚くほど冷静に思考し、身体は一切の震えなくスムーズに動いていた。だが、コウが電話をかけようとして出てきたのは――
「……充電切れ……か……」
振り絞っていた力が一気に抜け、血で滑る手からスマホが滑り落ちる。
(クソ、“不運”……だな……)
意識が遠のいていく中で、人の足音が聞こえた気がしたが、その顔を見る前にコウの意識は途切れた。
コウが目を覚ましたのは、真っ白な染み一つない知らない天井だった。
「ここは……?」
「あら、気が付いたのね?」
声の主の方を見ると、灰色の長髪を乱雑に後ろに流し、白衣を着た小柄な少女の姿があった。
「君が……助けてくれたのか?」
少女は今までカタカタと打ち込んでいたPCから視線を外し、コウの方へ近づいてくる。
「警戒E、理解力Dね」
「は?」
いきなり訳の分からないことを言ってきた。
「君への評価よ。不意打ちだったし、そもそも《神手》のこともロクに知らなかったみたいだから戦闘力はまだ付けられないけれど……B以上ってことはないでしょうね」
「……その評価って上幾つから下幾つ?」
「上Sから下Eよ」
(ってことは警戒は一番下か……)
確かに自覚はあった。だが、自分のよく知る友人だと思わせるなんて、どんなに警戒していたとしても対処しようがないだろう。
「さて、自己紹介がまだだったわね。私はサチ」
「ああ、俺はコウ。助けてくれてありがとう」
「助けたのは事実だけど、善意からではないわ」
コウは肩を震わせた。こういう場合、必ず見返りを要求される。そして、サチは命の恩人だ。コウに拒否権はないも同然だ。
「何をお望みで?」
「あなたには私の戦闘員になってもらうわ」
戦闘員、というのは《神手》絡みで間違いないだろう。だが、コウには肝心な情報がない。
「あの〜、その《神手》っていうものについての詳しい情報が欲しいんだけど?」
サチはキョトンとした顔でコウを見返す。
「夢で見たでしょ?」
「いや、起きたら忘れてた」
サチは溜め息を吐いてから、コウに説明を始める。
「良い? まず、今の私たち《神手使い》の右手は今までの私たちの腕じゃないわ」
「どういう意味?」
「これは神様が一時的に貸してくれているものよ」
コウは上手い返しが思いつかなかった。
「……宗教勧誘なら間に合ってますよ?」
「……警戒をEからDに引き上げ」
「そりゃどうも」
どうやらサチの中でのコウの評価が少し上がったらしい。
「で、その《神手使い》同士で腕の奪い合いをするのが目的」
「腕の、奪い合い……?」
ピンとくるワードではなかった。命の奪い合いとかは聞いたことがあるが、そもそも腕なんて奪えるのだろうか。
「もちろん、物理的に奪う必要はないわ。欲しいのは《神手》、私たちの右手に宿ってる神力の欠片よ」
「物理的によりも奪い方が見えてこないな」
「そう難しいことはないわ。殺す気で攻撃して、審判の神様の勝利宣言があった後、相手の手に自分の手を重ねれば、簡単に奪える」
「で、そんなもの奪い合って何がしたいんだ?」
サチがまた溜め息を吐いた。
「良い? 神力の欠片である《神手》が複数手に入れば、本物のの神と同等の力を手に入れることができるわ」
つまり、《神手使い》は神になりたくて他人の《神手》を狙っているということだろうか。
「一応、《神手》を一〇個集めれば神の領域での戦闘ができるらしいわ」
サチがコーヒーサーバーでコーヒーを淹れる。話は終わりらしい。コウは思い切ってサチに質問してみることにした。
「サチはどんな《神手》を持ってるんだ?」
何気なくコウが聞いてみると、サチはコーヒーを噴き出していた。
「ゲホッ! ゲホッ!! ……本気で聞いてるの?」
「ああ、あと、俺の《神手》が何なのかも教えてくれ」
サチが溜め息を吐く。どうもサチは溜め息を吐くのが大好きらしい。溜め息を吐くと幸せが逃げるから良くないという説と、溜め息は心を落ち着かせるから精神の安定に効果的だという説があるが、本当はどっちが正解なのだろうか。もし前者だった場合、サチの幸せはもう年単位で逃げて行っている気がする。
「取り敢えず、君の《神手》については私には分からないわね。君自身にしか分からないか、もしかしたら看破する《神手》なら分かるかも」
「そうか。で、サチの《神手》は何なんだ?」
「……耳を貸しなさい」
そう言ってサチはコウの耳に口を近づける。コウは異性の顔がすぐ近くにあることにドキドキしていたが、それどころではなくなった。
「そんなこと教えるわけないでしょ!! 馬鹿じゃないの!!」
サチが耳元で叫んだことで、コウの耳はキィーンと飛行機の空切り音のような音が響いていた。
「つっ……何でそんなに怒ってるんだよ?」
「はぁ……そういえば説明をちゃんと聞いてないんだったわね。いい? 《神手》は私たち《神手使い》の肝なのよ。もし、相手に《神手》の能力がバレて、研究された上で闘うことにでもなったら、状況を覆すのは難しいわ」
「……なるほど」
《神手》は隠すのが常識のようだ。
「さて、説明も終わったから、これから作戦を立てるわよ」
「何の作戦だ?」
「はぁ……悔しくないの?」
「何が?」
「君、殺されかけたのよ?」
「ああ、あの友達気取りのやつか?」
「ええ、私が呼びやすいように付けただけだけど、以後幻影の神手使い(イリュージョニスト)と呼ぶわ」
「幻影の神手使いを倒すための作戦?」
「ええ、言っておくけど、君に拒否権はないわ。私に命を助けられたのだから、無くす筈だった命の一つ位賭けなさい」
多少角が立つ物言いだが、彼女の言葉にはコウも同意だった。恩には恩をというやつだ。
「分かった。俺は何をすればいい?」
「餌になりなさい」
「……え?」
「《神手》が移らないことから、もう君が生きてるのは知られている。だから君がわざと幻影の神手使いの前に姿を現しなさい。さっきも説明したように、《神手使い》は自分の《神手》の情報を持つ《神手使い》は何が何でも始末したいはずだから、直ぐに来るわ」
「な、なるほど……で、どうやって倒す?」
「君の情報から《幻影の神手》の能力を分析してみた」
そう言ってサチがプリントアウトした紙をコウに渡す。そこにはサチの評価で《幻影の神手》が事細かに分析されていた。
『神手:幻影の神手 能力:特定の人間に幻影を見せる 戦闘能力E 暗殺技能A 危険度B 身体強化E 必殺E 総合評価C+』
「なるほど……一応聞くけど、俺一人で戦うのか?」
「《神手》の回収のために現場には行くけど、後方支援以上は期待しないで。私は戦闘型の《神手》じゃないから」
「俺も多分戦闘型の《神手》じゃないんだけど……」
「本当は戦闘型だと嬉しかったんだけど、無い物ねだりしている時間はないの」
(それはつまり……「殺れ」ってことだよな……)
「俺には何かおこぼれはないのか?」
「悪いけど今回はないわ。もし、戦闘型の《神手》が敵に回ったら、その時は君に譲ってあげる」
サチはコウを自分の兵士にする気満々のようだった。
コウがサチに救われてから数日が過ぎた。どうやらサチは高校を中退して、小さな私立病院に非常勤として勤務しているらしい。
(俺より一つ年下なのに病院の先生か……凄いな)
本人は《神手》の力ありきだと言っていたが、コウは《神手》も自分の力の内なのではないかと思っている。
(どっちにしろ、勉強も運動もダメな俺より凄いや……)
そんなことを考えていると、コウの怪我の具合を見てくれていたサチと目が合った。
「何よ? ジロジロ見て……」
「ああ、悪い。お前意外と凄い奴だったんだな」
コウが何気なくそんなことを言うと、サチは顔を赤くして慌てだす。
(あれ? 俺のイメージだと「当たり前でしょ? 今頃気付いたの?」とか言ってきそうな感じだったんだが?)
「あ……当たり前でしょ! 今頃気付いたの?」
ただの未来予知だった。
「ゴホン! 傷の説明をするわ、聞いてなさい」
サチは真面目な顔になってコウに向き直る。コウも背筋を伸ばして聞く。
「あなたの傷は《神手》で治したから完璧よ。後も残らないわ」
「そいつは助かる」
「以上」
果たして説明の意味があったのだろうか。
「でも、患者全員の傷をこんな風に治してたら、いつか気付かれるだろう?」
図星だったのか、サチが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「君には言っておいた方がいいかもね……」
「何を?」
サチは答えずにスタスタと無言で窓際へ歩いて行く。
「私は昔から医者になりたかったのよ」
急に昔話が始まった。だが、どうやらサチにとっては重要な話のようなので黙って聞く。
「でも、私には才能がなかった。1に何をかけても数字は変わらないように、私の努力は実を結ばなかった」
声音が暗く冷たいものに変わった。
「私の《神手》ね、《癒しの神手》っていうの。きっと、未練タラタラな私を憐れんで、神様がくれたのよ」
サチが開いたり閉じたりしていた手をグッと握る。
「だから、この力を失うわけにはいかない。私はこの《神手》で、沢山の人を救う義務がある」
コウは理解した。他人を使ってまで勝ち抜きたい理由、自分で戦わない理由、何故戦闘向きではない《幻影の神手》を狙うのか……全て《癒しの神手》を手放さないためだ。
「で、いつ始めるんだ?」
「早速、明日から決行よ!」