アルテプラーゼ2
「アル!」
名前を呼ばれて顔を上げると、崩れ落ちた家の塀を乗り越えて、フェニトインが片手を上げてやってくるのが視界に入った。
アルテプラーゼと同じ薄い緑色ベースの詰襟に、黄色いボタンが左右対称についている軍服はラインウィーバー・バーク支部特有のものだ。他の支部よりもデザインが可愛いと、専ら女子に人気らしい。
天然物のアッシュブロンドを光に反射させ、野暮ったい眼鏡をかけた男は、アルテプラーゼの所属するミカエリス軍ラインウィーバー・バーク支部の同僚だった。入隊してから何かと腐れ縁の悪友だ。
フェニトインは、友人の無事な姿を確認すると、眼鏡の奥のライトグリーンの瞳を薄め、にやりと笑った。
「よかった、無事だったんだね」
「ああ、余裕だったぜ」
「そうでなくちゃね! アルが死んだら、あのクソ不味いミネストローネの処理に困る」
「そんときゃ吐いてでも食え」
「それは無理かなー。だって本当に美味しくないんだよ、アレ」
ラインウィーバーの中でも賛否の分かれる、夏になると食堂で出てくるミネストローネは、トマトや胡瓜、ナスなどの水分の多い野菜を大きめに切って、少なめの水を足し、鍋で時間をかけて煮込んで作ったものだ。味付けは塩だけ。コンソメなどの余計な調味料は一切入れない。スープというより、煮崩しに近い。
口の中に入れた瞬間にとろける熱々のトマトやナスは饒舌に尽くしがたい。
素材の旨みを最大限に引き出した夏限定の献立メニューは、しかしフェニトインには不評だった。
「スープはスープ。野菜は小さく切って、味付けはコンソメで! 」というのが言い分だ。どうもあのドロドロがダメらしい。
フェニトインは、ともかく。と続けた。
「よせよな、1人で行くなんて」
「一人で、って俺と一緒に行けるヤツなんて、こんな間に合わせの班にいるわけないだろ」
「バイクが何台かあったけど?」
「APA未接続の武器を使うヤツ、って意味だよ」
バイクを動かすにも、もちろんAPAがいる。しかし、APAの再接続には時間が必要だった。優秀な整備兵がいても、最速で1時間ほどの。そのため、光剣や光銃で戦うためには、自転車などのマニュアル移動車にのって敵地まで乗り込むか、もしくは2人以上の電力で動かす車に乗って移動する他ない。
ここには自由のきく車もなければ、それを運転する人材もなかった。
現在、 例のビルから1キロほど離れた先の旧住宅地の死角で、アルテプラーゼを含む15名の小規模部隊は、周囲を警戒しつつ移動の準備に取り掛かっていた。
隣の2C19区にあるアレニウス支部から、APAや連携装備などの物資の入った計5つのコンテナを運んでいる最中なのだ。
元々、アルテプラーゼとフェニトインは非番だった。それが今日の朝になって、突然この荷物運搬の護衛を命令されたのだ。聞くところによると、他の面子も似たり寄ったりらしい。
小隊長であるフェノバルビタールは、最近出来た惣菜屋で働く彼女とデートの予定を立てていたらしく、今朝方そのことについて作戦室でさんざ嘆いていた。それを見てフェニトインはずっとニヤニヤとちょっかいをかけていた。親友にとって他人の不幸は蜜の味なのだ。
そんなわけで、急遽組まれた小隊の作戦にはろくな支給がなかった。
もっとも、物資の移動中に襲われたという話はあまり聞かないため、むしろ15人も護衛に任命するなんて、とアルテプラーゼは楽観的に考えていたくらいだった。
──3時間前までは。
3時間前、丁度2C19区から2C9区にコンテナを積んだトラックが入った時、小隊の仲間が襲撃を察知した。
遠距離からの射撃と、敵兵6人。
すぐさま、トラックの横を併走していた、アルテプラーゼたちを乗せたライトリアと呼ばれる車から飛び降り、応戦した。
対光剣で全く役に立たないアルテプラーゼは、索敵レーダーを展開していた仲間の指示を受け、狙撃兵を潰しに向かったのだ。
「スカイボードに乗って戦場に挑むのなんてキミくらいだからねー」
消費を抑えるためにブーツから外したアルテプラーゼのスカイボードを眺めて、呆れたようにフェニトインが言った。
「馬鹿にしてる?」
「褒めてるんだよ。 APAで力任せに殴る戦場で、APAに決して叶わない武器で戦うなんて、もう馬鹿を通り越して、命知らずとしかいいようがない」
「叶わないなんてこたー、ないだろ」
アルテプラーゼはフェニトインの軽口に眉を寄せた。
現に自分は戦果をあげて戻ってきている。武器の基礎力でどんなに劣っても、相手の武器の相性によっては勝つことが出来る。自分の戦闘スタイルを変えようと思ったことは1度もない。
武器は人を選ばない。
選ぶのは人だ。
優秀な人間が握れば、どんな鈍だって石をも切り裂く刃となる。
アルテプラーゼが勝てなくて逃がした光剣にだって、握る人が握れば、鋼の剣でも倒すことが出来る。
アルテプラーゼはそんな人を知っていた。
「悪かったよ、そんな顔すんなって。叶わないって言ったのは、武器だけで比べた時って話だよ。キミの大好きな憧れの師匠だって、事実、日本刀1本で英雄なんだし」
機嫌が急降下するアルテプラーゼに焦ったのか、フェニトインは慌てて付け足した。
「尊敬はしてるけど大好きってわけじゃ…」
「あ、そうそう。レーダーで見てたけど、アルが逃がした敵兵については、フェノバルビタール小隊長どのは、なんも言ってないよ。むしろよくやったって褒めてたくらい」
「うぐ……。」
逃がした敵、という言葉がアルテプラーゼの心に重くのしかかった。右手を強く握りしめると指の腹に蛸が
武器で劣っているからといって叶わないことは、理論的にはないが、アルテプラーゼに至ってはまだ叶ってない。
『戦っても勝てないので逃がした』という事実が、精々今のアルテプラーゼの実力なのだ。
「今回のぼく達の任務は2C19区からの物資供給の護衛だ。奪われるのを阻止して本部に持ち帰ることが仕事なんだから、別に殲滅しなくたっていいのさ」
ばしばしと遠慮なくアルテプラーゼの背中を叩き、フェニトインはことさら明るく言って励ました。
「それにしても不便だよねー。ガソリンがあればバイクもAPAなしで使いたい放題なのにさあ」
「がそりん?」
「旧人類が使ってた燃料の一種だよ。興味ある?」
「別にない」
しまった、と後悔してももう遅い。
フェニトインの眼鏡がキラリと光る。
旧人類史オタクのフェニトインは水を得た魚のように生き生きと喋り出した。
「今はAPAっていうドライバを使って、自分の身体から作り出した電気エネルギーで物を動かしたり作ったりしてるけど、前はそうじゃなかったんだ。基本的にはモノを燃やして得られる燃焼エネルギーを変換させて電気エネルギーにして、ライトを点けたり、車を動かしたりしてたわけ。ガソリンっていうのはその代表的な燃料だよ」
「ふーん。よく分かんな……」
そう前のめりにまくし立てられても、全然頭に入ってこない。
アルテプラーゼの相槌を遮るように話はどんどん進んで行く。
「APAって便利なようでいて、その実結構便利じゃなってことはキミも実感してるだろ? 例えば、昔はそうやって人ひとりが空中を飛び回るマシンなんてなかったけれど、その代わり使える武器に際限はなかった。極端にいえば……ものすごーく極端に言えば、だよ? 拳銃を撃ちながら、車を運転できたんだ。 つまり、1人の人間が複数の機械を操作することが可能だった。操作は必要だけれど、原動力は自分じゃなくて他のだから。
そう考えれば、昔の方が便利性には富んでいたところもあったんだよ。まあ、こればっかりは実際見てみないと分かんないかな」
お前だって見たことないだろ!!
と思ったり、思わなかったり。
早くもげんなりしているアルテプラーゼを置いて、親友の講釈はまだ続く。
「ウランは原子力エネルギーを得るのにすごく効率的だったらしいよ。ただその処理法が問題で……。今もどっかに埋められてるか、沈んでるか…。他には、さっき言った火力発電だろ。水力とか風力とか、あとは地熱…。 ともかく、昔は電気エネルギーってのは人体から得るものじゃなくて、別のエネルギーから得るものだったんだ」
「ふーん」
「今もぼくらの生活を支える電気を賄ってる太陽光発電システムも、結局のところ光エネルギーを電気エネルギーに変換してるんだ。知ってるだろ? そーゆーのが、昔はいっぱいあったんだよ」
科学のロマンだよねえ。と惚れ惚れするような笑顔でつぶやく。
ロマンってなんだ。どこら辺がロマンチックなのかアルテプラーゼにはさっぱり分からない。分かりたくもない。
「なんでなくなったんだ? 」
「戦争の原因になったからさ」
「電気が?」
「いや、核燃料の廃棄先とか、石油資源の枯渇とか、空気汚染とか…。電気を得るための代償が原因になったって感じかな。 風力と地熱は多分、エネルギー供給システム自体をなくすためについでに廃止になったんだろうね」
「へぇー」
かくして、廃止された旧供給システムに代わり、新しい供給システムが開発され──それがAPAを使った人体からの供給システムだったということだ。
電気は戦争の原因にはならなくなったが、戦争を有利に進めるための燃料になった。
なにか思うところがあったのか、突然訪れたフェニトインの沈黙に、この機を逃すまいと、アルテプラーゼは話題の転換を試みた。
「じゃあそんな物知り博士なフェニトインに質問なんだけど──このコンテナはなんで狙われてんだ?」
「さあ。 世界をひっくり返すような危ない兵器でも入ってんじゃない? 知らないけど」
ミカエリス軍ラインウィーバー・バーク支部所属、階級は伍長、フェニトイン。部屋番号は4242。趣味は旧人類史について想いを馳せること。好きなものは軍の売店で売ってるエクレアツナサンド、嫌いなものは夏に出てくる食堂のミネストローネ。
興味ないことにはとことん興味が無いらしい。