びたびたのスポンジ
激しく濡れた体が動き出す。
怪物は喜びに打ち震えていた。豚の顔面を持つ怪物に、どうしてそんな人間じみた感情を見出せるのか。よくわからないが何となく、俺には怪物が歓喜していると思い込めた。
遠くの景色で、怪物が動き始める。それはわずかな動きではあったが、しっかりと四肢を使う筋肉の躍動を予期させる動作だった。
怪物が、無イだとかいう奴が、またしても行動を起こそうとしている。俺はそれをほかの人間に伝えようとした。
「あ、あの…」
だが喉から出てくるのは、ひどく頼りない蠅の羽音みたいな掠れ声だった。どもっている場合ではないというのに。
「マイカさん、どうかしましたか?」
俺の過小な発声をかろうじて察知したのは、ソルトだけであった。彼女は機体の損傷具合をすべて確認し、なんとか駆動には問題ないという報告をルドルフにした後で、多少のゆとりがあった。なので俺の声に気付くことが出来たのだ。
だが、俺がソルトに説明をするより先に、怪物の筋肉が行動を始めた。
地面がくぼむ派手な音がして、怪物が手足を伸ばす。その巨体にはおよそ釣り合わない、見事な跳躍であった。
体を液体化し、外部の視界方法を把握していたソルトが息を飲む。彼女は俺が言いたかったことを、些細な感情の揺らぎから察し、そしてそれを短時間で報告に値すると判断した。
「生命体が動きました!」
彼女の声が、機内にいるすべての人に向けて響く。
若者たちは最初、ソルトの言うことに反応し対応することが出来なかった。
「目標は都市の中心部に向かっているな」
ただウサミだけは、平静にソルトの情報を補足した。
「中心部?何故だ」
怪物の動きに身がすくんだルドルフが、不安そうに質問をする。ソルトは彼への回答に、どう答えたら良いのかわからず、言葉を濁す。
「えっと、目標は、何を目的に…」
彼女の疑問を他所に、怪物は全力で全身をし続けている。俺たちのいる方には目もくれない。
「aa.aa」
今の怪物には、大人しくしている巨大兵器よりも、もっと大切なものがある。それしか眼中にないほどの勢いが、遠目からでも伝わってきた。
「なんか、ものすんごい頑張っている。って感じだね」
ムクラがキーボードの手を止めて、率直な感想を述べた。単純ながらも、彼の表現は正確に的を得ていた。
怪物は懸命に努力している。その巨体を支えるには心許ない、人間の細い指で必死に地面を掴む。一回の跳躍の後は大きく体力を削られるのか、怪物はハートの鼻から目に見えそうなほど荒い呼吸を吐いている。
「aa\\\AAA」
ぼたぼたと、緑色の液体がこぼれている。それは怪物の体から溢れ、零れていた。都市に落ちてきたときに刺さった鉄パイプの穴、そしてムクラの魔法によって焼き開けられた穴。一足動くたびに、それらの傷口から体液が噴出し、体表を伝い落ちてゆく。その姿は最早噴水ではなく、使い古され流しに放置されたスポンジのようだった。
新鮮じゃない刺身みたいな匂いが鼻腔に漂ってくる。それは怪物の体液の匂いだった。生臭い緑色の液体が、止めどなく怪物の体から氾濫し、地下世界の地面をべとべとに染める。
怪物の顔面が動いた。肉と皮によって作られていたひだが、痛みの苦しみによって引き伸ばされる。
怪物はある場所、ただそれだけを見つめていた。
刺身は早めに食べたほうが美味しいですね。




