クボナカラ
割れ目から生まれたのは。
ぼきぼきと割れ目は広がっていく。
偽物の宇宙空間を彩っていた鉄パイプの水面が、たばこの吸い殻のように折れ曲がり破壊されている。
金属が破られる不快な音が都市中に響き渡り、遥か地上にいる俺たちの耳をつんざく。
都市を覆う灰色の血管、その隙間からぬるりと出現したのは。
「aa-aaa」
それは血色のよさそうな人間の手だった。なんだか変な声も聞こえる。
手は二つ出ていた。地面から発芽したばかりの新芽、あるいは今から青色の衝撃波を出します、的なポーズのまま二つの手、巨大な手は一旦停止した。天井から手が生えている風景は、とんでもなく奇妙で理解不能なものだった。
手はそれ以上侵入することなく、ただ指を蠢かす。その様子はまるでハナモグラの鼻を連想させた、尤も大きさが桁違いで、勝手に比べるのはハナモグラに失礼だろう。あの手の不気味さを比喩するのに、地球の動物は美しすぎる。
「うわあ、何あれ?キモッ」
理性的な嫌悪感を込めてムクラが呟いた。
「なんか、スゲーヤバそうなんですけど…」
便乗したつもりはなくとも、俺も似合わない若者らしいビビり方をしてしまう。手は床柱よりはるかに太そうな10本の指を、絶え間なく折り曲げする。その不規則な動作は捉えようのない強大な不快感があり、俺の全体的にむき出しの肌は産毛を、一気にそそり立たせる。
「敵生体反応確認、未確認生命体です!」
「敵が出てきたぞ!」
ソルトとウサミがほぼ同時に声を張る。そのあと冷静にウサミが「隊長、ご指示を」とルドルフに返事を求める。
「あっと」ルドルフは誰にも聞こえないように喉を詰まらせ、すぐに発音に力を入れる。
「未確認生命体の保護区内への侵入を視認した。げっ撃退を」
「隊長さん待って!」
ルドルフの気合を込めた宣言に、割って入ったのはムクラであった。
「何だ臨時」
当然のごとく空気の読めていない介入に、ルドルフの声は露骨に不機嫌さを滲ませる。そんな彼の反応を気にすることも無く、ムクラは意見を続けた。
「あの、あの大きいのなんだか止まってませんか?」
俺からは見えないがおそらくムクラは今、自身の目の前に取り付けられたディスプレイを眼鏡越しの細い両目で、穴が開くほど凝視しているに違いない。どういうわけか彼の視線の先が、直観として理解できた。
ムクラ、そして俺の視線の先で手は確かに停止していた。天井を突き破った時は活発に動いていたはずなのに、どうしたのか?
「動きませんね…?」
ソルトが身構えた意識を解しかける。俺も正直肩透かしを食らっていた。
「総員気を抜くなよ」
ルドルフが頑として緊張感を保とうとする。
「敵は未知数だ、油断は許されない」
「そういわれてもなあ…」
ぐったりと動かないものに、どうやって気を引き締めるべきなのか。
散々未確認だか何だか言っておきながら、実は大したことないんじゃないのか?
「…いや、待ってください」
俺が愚かにも慢心しかけていると、ソルトが敏感に何かを察知した。
「この音は」
ウサミもヘッドフォンに手を当てて、眉間にしわを寄せる。
「これは、ヤバいな」
一体何がヤバいんだ?
「どうした?何かあるのか?」
ルドルフが不安そうに視線を動かしたのが、脳内に伝わってくる。彼は天井の、動きを止めたはずの手を見つめている。
俺も今度は油断を許すことなく、彼と同じ方向同じものを見た。
そこには相変わらず手が生えていた、だが様子がおかしい。一見して停止しているように見えたそこは、実は確かな変化を及ぼしていたのだ。
手を中心に、灰色の頑丈そうな天井が膨らんでいる。平坦に不変だと思っていたそこはゆっくりと確実に、妊婦の鼻のように膨らみ続けている。
若き隊長と隊員達、そして俺はじっと同じ方向を見つめていた。全員がそこから何かが現れることを、ある意味期待している。
がこん。がこんがこんがこんがこんがこん。音が鳴る。天井から、ガラス片の次にパイプ群が落下してきているのだ。
乱雑とした乱暴な音は、次第に一つの塊となって地面に落ちてくる。
落ちてきたパイプと土の塊はまるで異世界からの乱入者のように、おどおどとした動きを兵器の眼前に哀れにも晒していた。
塊の中から大きな物体が出現する、それは柔らかそうなものだった。
瘡蓋がたくさんできました、とれるのが楽しみです。