閑話休題しやがって
形容しがたい音が近づいてくる。
こんなにも異常なことが起き続けているのに、それなのにまだ、これ以上特別なことが起ころうとしているのか。
「一体何が特別なんですか?」
俺は正体のない反抗心で、にやにやと笑うウサミに質問をしてみた。不気味に嫌らしい笑みを崩さない男は、ハンドルから一旦手を離して顎を擦る。
「そりゃあまあ、特別と言ったら色々だよヤエヤマ君」
ウサミの言葉は、俺の心情以上に実体がない。たぶん今鏡を見たら、お菓子を買ってくれない子供によく似た表情をしていたに違いない。
たぶんウサミには俺の顔は見えていないはずだ、なのにこの中年は俺の沈黙を訳知り顔で楽しんでいる様子がある。それがまた何とも言えないくらい苛立つ。
「そんなへちゃむくれな顔をしてはいけないよヤエヤマ君」
「してませんよ。っていうか見えるんすか?」
「んん?全然見えないよ、声しか聞こえない。でもなんとなくわかる」
そんなまさか。
「そんなまさか、と侮ってはいけないよヤエヤマ君。生物の音声というものは、常に精神とつながっているものさ」
ウサミはわざとらしく、帽子に隠された自身の耳を指さす。
「僕は耳がすんごく良いんだ、この機械を着ければ…」
そして男はおもむろにとある機器を、俺の世界でいうヘッドホンにとてもよく似た機器を頭に装着する。
「この兵器の中で、そして外で発生した音を隈なく聞き取ることができる。すごいでしょ」
「すごいと言われても」
いまいち実感が持てない。
「僕は同種の中でも特別聴力が優れている個体でね、だからこそ今回の作戦に選ばれたんだよ。面倒くさいことに」
またしても出てきた特別に、俺はぼんやりとうんざりする。
「俺の前に現れるのは、特別しかないんですかね」
視界の隅でソルトとルドルフが、何やら談笑しているのが確認できる。口の動きから察するに、いまだ風呂の有り無しについて語り合っているらしい。ルドルフが少女の話題に乗り気になっていることが、俺には少し意外に思えた。さっきはぶっきらぼうに答えていたいたものの、今のルドルフは明らかにソルトと会話できることを楽しんでいる様子だ。穏やかにはにかんでさえいる。
そんな若者たちの何気ない会話も、今のウサミには聞き取れているのか。なんだか薄気味悪い、嫌悪感がさらに募る。
「物事には常に例外が付きまとうのだよ少年」
ヘッドホンを付けたままのウサミが、へらへらと笑う。
「通常なんてものは本来、個人の脳内に限った世界にしかないんだ」
「そんな、ものっすかね」
なんのことを言っているのか、よくわからないので曖昧な返事をしておく。
「そんなものさ、それが世の常さ」
ウサミは歌うように呟いて、自身の目の前に広がる光るディスプレイを凝視する。
「嗚呼皆さん残念なお知らせです」
まったく気分を落ち込ませることなくあえて事務的に、しかし高まりを抑えきれず口角を上げて。
「楽しい楽しいお喋りは御終いですよ子供達」
俺の眼球が無意識に、ウサミが見ているものと同じ景色を見るために視点を切り替える。
網膜を刺激したのはいたって静かな地下世界、アラジステムの都市風景であった。圧倒的な繁栄を保ったまま、知性の介入のみをごっそり抜き取った沈黙の世界。誰一人として影のない世界。
現状誰一人として必要としていない、人工灯の光が地面の下の土と金属の国をぽつぽつと照らす。
「--…--…--」
遠く離れた工事現場のように、鼓膜を震わせていた音が今になって急に実体を帯び始めた。
「…来るのか、ついに」
何が来るというのか?ずっと聞きたかったこと、今のルドルフなら答えてくれるかもしれない。
だけど俺は何も言うことができない若者は皆、黙って世界を見守っていた。
「煙草吸いたいなあ」
ただ一人ウサミだけがあえて、努めてあえて普通の要求を、叶えられることのない要求を密やかに求めた。
世界の、都市の分厚い曇り空によく似た天井から音が鳴る。
それはこんな音だった。
「aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa」
なんとも形容しがたい声と共に、破られるべきではない天井が破られてしまった。それはまさしく恐怖であった。
やっと話が動きます、長々とすみませんでした。