馬鹿なのもいい加減にしてくれよ
マイカはソルトに知らなかった事柄を次々と発覚される。
「…貴様は」
ルドルフの溜め息が聞こえてくる。
「貴様は本当に何も、知らない様子だな」
それは穏やかな呆れだった。侮蔑でもなければ軽蔑でもない、純粋に珍しい存在を見る目。年恰好に見合わないほどの、幼い差別心のこもった言葉をルドルフは漏らした。
すぐにおれは彼のもとに視線を合わせる。あんなに頑なだった眼球は、ルドルフの反応を見るという目的を果たすためなら、すんなりと言うことを聞いた、なぜか。
彼の表情を見ると、俺の正体のない羞恥心はより深まる。
「覚醒と共に深層教育を施したんじゃないのか?」
「し、しんそ?」
新たなる謎の単語をルドルフは唱える。教育を施されたことなんてあったっけ?全く記憶にない。
「ほらマイカさん、あれですよ。目を覚ましたての時に、今みたいな部屋に閉じ込められたでしょ?」
「んんー?あれか…?」
なんか液体の中に入れられて、めっちゃ鼻血が噴出したあれのことか。え、あれが教育?嘘だろ?
「あのなんか体中から出血しまくったやつのこと?」
「そうです!」ソルトが生徒に正解を言い渡す教師のように笑う。
「あの予想外にマイカさんの体内保有魔力値が低くて、関係者の皆様がまさにずっこけんばかりに落胆した。あの実験の時に教育もされてたんですよ」
「そうなのか、ごめんなさい」
どうやら俺は無意識に誰かの希望を打ち砕いていたらしい。ということはどうでもよくて、まさかあの大出血の内にそんなハイテクな事が成されていたとは。だけど。
「何にも憶えていないんですけど…?」
覚えていることと言ったら、血液が液体の中で朱色に融解する風景しかない。でも今求められているのは絶対そんな事ではないと、俺でも解る。
ソルトは俺の困惑っぷりを、訳知り顔でうなずく。
「仕方ありませんよ、深層教育なんて私としては、いくら何でも科学に頼りすぎだと思いますもん」
「俺としてはほぼ魔法に近いけどな」
相変わらずこの世界の魔法と科学の境界が理解できない。
「学会でもいまだ深い対立が続けられていますが、私とファーザー、モティマ博士はもっぱら実体験に元ずく教育こそ、最も価値があると思っていますよ」
その言葉はどこか言い訳も感じられた。
「だからこそ、マイカさんには深層教育では得られない、この世界の空気を味わってほしいと、判断したのですよ」
「そうだったのか」
だから半ば強引にでも俺は外出できたのか。ずっとあの建物、おそらく研究所だと思われる所に鮨詰めにされたまま、こんな意味不明な状況に放り込まれるくらいなら、焼肉を味わった後での意味不明の方が良い。
「ところでさ」不意に気になることができたので、ソルトに質問してみる。
「モティマ博士って誰?」
「へ?」
ソルトは今度こそぽかんとした。いよいよ彼女のフォローも聞かなくなってきたようだ。
「モティマ氏はバルエイス魔法科学研究所の所長だよ」
教えてくれたのはソルト、ではなくルドルフだった。
「彼は現状において、君に対する最高責任者なんだぞ」
「ええっ、そうなの」
そんな偉い人の顔が、まったく思い出せない。
「誰だ?」
「ほらあれですよ…」
ソルトが俺に近づき耳打ちをする。
「あの出っ歯でうさん臭そうなおじさんですよ」
「ああ!あの!」
あいつか!目を覚ましたての俺に対して、いきなり世界の勇者になれだとか抜かしやがった。
「あの胡散臭いおっさん、そんなスゲー奴だったのか」
「あわわ、大声で言わないでくださいよ」
失言にソルトが慌てる。
ルドルフが呆れを通り越してすでに疲れを覚えたのか、眉間を不機嫌そうに揉み始める。
「話には聞いていたが、これは予想以上だな…」
「ごめん。いろいろ教えてもらっても、何一つとして学習できなくて」
場の空気に耐えられない俺は、つい誠意のない謝罪をしてしまう。でもこんなことどうしようもない、だって。
「俺、頭悪いからさ」
こちとら許容すべき義務教育すらまともに受けなかったのだ、だから多少の愚鈍さは笑って許してね。なんて、そんなのは個人の問題であり今はクソどうでもいい。
くすりと誰かが笑った、ルドルフだ。
「奇遇だな、僕も頭が悪い」
今彼の顔に浮かんでいる勘定は、俺には理解できなかった。少なくとも悪意はない、そう思えた。
風呂場で鼻血を出すと軽いホラーを味わえます。