エウレーカ
ムクラはマイカのことを憶えているのか?
不意に聞こえた声にムクラはびくっと体を震わせた。不安そうに声の出どころを探して、きょろきょろと周囲を見回す。
「ひ、ひえええ?なな何か今、耳元で人の声がしたよ?」
わかりやすく完璧にビビッているムクラに、ウサミがにやにやと面白そうに語りかける。
「まあまあ、そう驚きなさんな臨時情報処理員君、落ち着き給えよ。君が今座っている作業机をよーく観察してごらん。首の後ろあたりにスピーカーがあるでしょ、そこから聞こえているんだよ」
「ああなるほど」
ムクラが即座に納得する。
「え?そんなの何処にあるんだよ?」
俺は眼球に力を込めてよーく探した。だがわからない、そんなのは見えない。
「わからない?ほら、ここにあるじゃん」
ムクラが丸い体を捻らせて、自分の座っている椅子の頭を支える部分を見やる。その視線を頼りに、俺はその部分に注目してみる。
「あー…本当だ、スピーカーっぽいのがある」
確かにそこには細かな穴が幾つも開けられていた。無数の穴は暗闇の中から空間を震わせて、俺の声を伝えていた。
「おお、君の座っている椅子も、僕のと同じようなものらしいね」
ムクラの推測は間違っていた。せっかく教えてもらっておいてなんだが、俺は多分スピーカーなどという、素敵便利な道具を使って彼に声を届けることはしていない。理屈は特にないがこの喉と耳の感覚で、何となくそう直感している。
「ところで君は誰?僕以外にも臨時がいたのかな?声的に若い奴っぽいけど」
ムクラの推測は最後のみ正解した。
どうやらこいつ、俺のことを憶えていないらしい。なんてこった、自分で言うのもなんだが俺とお前の邂逅はなかなかショッキングだったはずだが。目に映る肥満は、半日前に起こった凶事などすっかり忘れきっているみたいだ。その呑気、羨ましい。
だけどこのまま再び初対面を、寄りにもよってこの男と繰り返すのは御免こうむる。なんてったって今は握手もろくにできない状況なのだ。
雀の涙ほどしかない勇気を全力で振り絞り、思い切ってムクラに質問してみる。
「なあ君…」
こいつに「君」はなんか嫌だな…。
「なあお前よ」
「何かね?」
奇妙にタカビーになってしまった呼びかけにも、ムクラは気を良く返事をしやがる、優しい奴めこの野郎。
「お前、ムクラだろ」
この一言に、喉の筋肉はぶるぶると硬直してしまう。
「うん?そうです僕はムクラです」
急に会話を開始されたムクラはどぎまぎしつつも、しっかりと言葉を発している。声のみで彼の記憶が呼びさまされることを期待したが、残念ながら俺の声にはそこまでの魅力はなかったらしい。
「俺のことわかるか?」
「んん?ええっと…」
ムクラは身に覚えのない問いかけに、細い目をさらに細めている。
「俺のこと、と言われても、僕には何の事だか…」
…マジかよこいつ、マジに思い出せないのかよ。俺の存在感って一体。
ショックを受けている場合ではない。ここまで来たら何としてもこの肥満の記憶を呼び覚まさなくては。意味のない使命感が俺を支配する。
とはいえ、俺とムクラに記憶に残すべき思い出がないのも、変えようのない事実だった。もしかしたらただの行きずりの人を、いちいち覚えている俺の方が異常なのかもしれない。それでも別に良いのだが。
とにかくこいつとの共通点を探さなくては。何があったか…。
だめだ、何も思い浮かばない。どうでもいいこと考えていたら腹が減ってしまいそうだ。嗚呼。
「焼肉食べたくなってきた」
つい呟いてしまった一言を、ムクラは耳ざとく拾った。
「ん、焼肉?」
「あ、今のはただの独り言…」
「ああああ!!」
ムクラは叫んだ、もしひらめきが電球の形をしていたならば、彼の頭上に煌々とエウレーカしたに違いない。
電球で一番好きなデザインは白熱灯です。