椅子にこだわり持ちすぎじゃない?
マイカのこだわりが思考を漂う。
続きまして眼球が見た景色は、悔しながら俺の好奇心を獲物がかかった釣竿のように、びょいんびょいんと刺激した。
そこには椅子がある。初めて見るはずの椅子なのに、どうにも興味がそそられてしまう。
別にそれ自体には、何かしらの特別性などはない。強いて言えばあれに似ている。ずっと昔、まだ自我を獲得できていなかったほど幼い頃。まだぎりぎり平均レベルに仲睦まじかった俺の両親が、何を気迷ったのか二泊三日の温泉旅行へ繰り出したのだ。まだ二足歩行もおぼつかなかった俺も当然の義務として同行し、それなりに楽しんだ。気がする、たぶん。
なにせ幼い頃の出来事なので、覚えていることなど一つまみの胡麻塩のごとく少なく、記憶の殆どに茹でた湯葉のようなカーテンが覆いかぶさっている。
そんなあやふや曖昧模糊な思い出の化石の中で、どういうわけか琥珀のような艶やかな輝きと鮮明さを保ち続けている場面があった。ていうか、今まさに思い出した。
それは電動マッサージチェアであった。非常に一般的で平均的で普遍的な、まさに電動マッサージチェアの模範みたいな一品が、その秘めたる快楽を誰にも提供することなく、非日常を象徴するオブジェのようにとどめ置かれていた。それは温泉旅館という場所の俗世からどこかかけ離れた平和な空間、それに浸りきる人間の、最後の現実にとどめを刺すべく目を光らせる猛禽類のような錯覚を抱かせた。
まあ、なんだ。要するに初めて見るマッサージチェアに幼心が反応して、それをいまだに引きずっているってことだ。
せっかくの割と理想的な家族旅行で、一人息子が心にとどめたのが広い温泉でもなく、ましてや素敵な料理でもなく、ただの使われていないマッサージチェアだなんて。両親が知ったらどう思うだろうかな、一回ぐらいその反応を見ておいてから死んどけばよかったかな。
ええと、話を戻さなくては。
現在、すっかり自我を獲得しまくった俺は、マッサージチェアにとてもよく似た椅子を観察していた。
或る日の温泉旅館に鎮座された平和と快楽の象徴であるあの椅子とは全く違う、むしろ形質だとかデザイン的に考え観察したら全くの別物だということは幼子にだって判別できそうだった。
だけど俺にはできなかった。なぜだか解らないしおそらく理解もしたくないのに、連想ゲームみたいに普段は鈍感な反射思考が反応してしまう。
だけどやっぱり見れば見るほど、その椅子はあの可愛らしい白鳩みたいな、いや色はどっちかていうと黒っぽい革製だった気がするけど、あの美しい椅子と現在眼球が見ている椅子は全く異なるものだった。
異世界の椅子なのだから、現世の椅子と違うのは当たり前なのかもしれない。だけどその違和感が俺の心をどうもささくれ立たせる。
たぶんその理由を俺は無意識の内で理解していた。それはこれから訪れるであろう状況の予期、あるいはまさに椅子に座っている人影に、個人的に勝手に抱いている嫌悪感か、そのどちらかが用意かもしれない。
「うぐえーっと」
要因の一つである、髪と肌の白い男性が座ったまま背伸びをした。
どうにもムカつく余裕っぷりだった。
さらっと受け流すつもりだったのに、こだわりすぎました。すみません。