薄墨の声
マイカは寝ぼけ眼で声を聴く。
ぶくぶくと、液体の中に閉じ込められていた。母親の胎内で眠る赤子のように、俺は体を曲げて目を閉じている。意識はあったが、まだ瞼を開けたいとは思わない。
「本当に、大丈夫なのか?」
この薄墨みたいに掠れるハスキーボイスは誰の声だっけ?
ああそうだ、確かルドルフって人のだ。
重鎮のごとく思い瞼を、頑強な意思を以て無理やりこじ開ける。すると俺の眼球は、ある映像を映し出した。
それは見覚えのある制服を着こんだ若者が、帽子をせわしなく被り直しながら、悶々と自問自答しまくっている。そんな奇妙な風景だった。まるで国営放送の中継みたいに鮮明なその映像は、俺の意志によって動いたり固定されたりする。
今映し出されているのはまさしくルドルフだった。 彼は背筋をまっすく伸ばして、ある一点を一心に見つめている。それは彼の前に広がる、小型の映画みたいなディスプレイだ。非常に鮮明な画面は、何となく見覚えのある街並みを映像情報としてルドルフに視覚させている。俺はその様子を取材カメラのように、後ろから視点として観察していた。
ルドルフの筋肉は硬直していて、ディスプレイから目線をはずそうとしない。だから後ろからでは彼の表情は分からない。
と思った瞬間に視点が都合よく移動した。まるで映画の主人公の姿をとらえようとするカメラみたいに、俺の眼球はルドルフの緊張しまくった表情を目視した。
彼は本当に、本当に頭のてっぺんからつま先に至るまで緊迫感に浸していた。見ていて笑いたくなるほどの真剣さはある意味異常な、何か命にかかわる事柄を予期させる。
そして実際に危険なことが起ころうとしているのであって、彼の緊張は正しく素直で人間らしい反応なのだと、俺は何となく直感した。
いろいろ考えようと、体を動かそうと試みた。だが無理だった。眠気の方が圧倒的な腕力で、俺の体を支配し鼻をかんだティッシュみたいに丸め込む。
目を閉じてもう一度眠りに入る。心地よさが筋肉を温め、弛緩を引き起こす。
「ふむふむ、誤作動以上は無しっと。短縮移動の甲斐あって予備電源もまだある。上々上々、とりあえずここまでは」
一方的な嫌悪感を引き起こす、滑らかな発音の男性の声が聞こえてくる。本能的にこの声はルドルフのいるところとは別の、違う媒体を通して聞こえてくる音だと俺は認識した。
嗚呼どうしようかな、と俺は考える。この声の正体は何となく察しがついている。ていうか今のところこの世界で見知った比較的まともそうな、しかし油断ならず信用もできなさそうでしかもいきなり気絶を要求する、そんなクレイジーで顔色真っ白な中年男性なんて、今のところ一人しか知らない。
あー…、眼球が見たくないと訴えている、そんな気がする、ていうかそうであってくれ。
だけど眼窩の奥に潜む厄介な好奇心が新たな、興味深い風景を求めている。
心の中で静かに、短い抗争が繰り広げられる。勝敗が決まった。
俺は再び重たい瞼を開ける。
二度寝が大好きです。