ツガルヒノキ式抱擁術と気絶
マイカに降りかかる運命とは。
ウサミは俺の顔を無遠慮にじろじろと眺めまわす、動物園で新種の動物を見学するような目つきだ。
「えーとヤエヤママイカ君、君の名前はどう発音するのかな?ヤエヤマ・マイカ?ヤエ・ヤママイカ?それともヤエヤママ・イカかな?どれなのかな?」
俺の名前のあらゆる発音を、滑らかに勝手に考察する。名前の発音について質問された経験のない俺は、少し戸惑いつつ訂正する。
「あの、えっと、マイカです。八重山は名字で、麻衣佳が名前です」
名字という単語にソルトが不思議そうな反応をする、こんな質問に改まってこたえる風景が奇妙に映ったのだろうか。ルドルフに至っては一驚してしまい、睨みを忘れて呆けた視線を送っている。
「そうか、じゃあヤエヤマ君」 ウサミが俺の名字を呼び、口角をにやりと上げて俺に一歩近づく。
「折角であり早速だが時間がない、君には今すぐ気絶してもらう」
ごく自然な、透き通った言葉だ。
「え?」
理解がすぐに呑み込めない。さっきまであんなに無駄話をしていたくせに。いや、原因はほぼ俺にあるから、そこら辺を責めるのは無責任が過ぎるか。でも気絶ってどういうことだ?
理解が追い付くより先に、何者かの力によって呼吸ができなくなった。烏に食われかけの蛙みたいな音声が、俺の狭っ苦しい喉から使い終わりの歯磨き粉のように絞り出される。
首を絞められている、という表現はこの場合にはふさわしい比喩とは言えない。今まさに行われている行為は、単純に手を使った軟弱なものではなく、首の皮膚から伝えられる感触から察するに、腕全体を巧みに使用した油断ならない技だ。もっとわかりやすく例えるなら柔道の技の一つ、本来なら体を横たえて行われるはずのものが、強引にも直立のままきめられている感じだ。映画とかドラマで重要人物が怪しい組織にさらわれる、後ろから羽交い絞めにされているのをイメージしたらわかりやすいかも。もっとも俺の場合は首に攻撃が集中しているので、細かいところは異なってしまうのだが。
攻撃の詳細を長々と説明描写しても、重要なのはそこではないことぐらいわかる。問題はいったい誰に絞められているかだ。
背後から襲われたので、顔を見ることは不可能だった。だが俺にはすぐわかった。たとえ猛烈な圧迫によって呼吸がままならず、酸素の急減によってただでさえ愚鈍な脳神経がより使い物にならなくなり、もはや蛋白質と水分の塊に変わろうとしていても。それでも俺にはすぐに分かった。 犯人はソルトだ。
根拠はいくつも存在する。たとえば俺より背が低いこととか、接触する皮膚の滑らかさ、まるで触角の生えた軟体生物みたいな冷たさと湿り具合だとか、そんな単純な事柄で攻撃の主を測定したわけではない
決して背中一面に思い切り押し付けられた二つの胸のふくらみ、お辞儀をするとたるんたるんと揺れる魅惑の双丘の肉塊、それらの感触によっての直観など全く関係ない。なら何で判断したのかと問われれば、残念ながら詳細ある答えを出すことは出来ない。 しかしこれだけは信じてほしい、誰にも聞かれていなくても信じてほしい。絞め技を不意に繰り出されたとき、背中の感触によって不覚にも鼻血を出しそうになるほど喜んでしまったことなんて、絶対にないのだと、誰かに宣言してほしかった。じゃないと羞恥心に意識を食われてしまいそうだ。
「ぐふっ」
なんて、そんなことを秒針が動く間考えていると、俺に施された絞め技は無事に決まったのであった。
あすなろって、いい言葉ですよね。