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幕間 ウサミさんの優雅な朝(遅刻しそう)

のんびり考え事をしている暇もなく。

 服を着替え、髪をとかし、目を守るためのサングラスをかけ、お気に入りの帽子をかぶって荷物を持ったウサミさんは、玄関の前に立って呼吸を一つします。

「いってきます」

 娘さんと奥さんの返事を待つことなく、ウサミさんは決意を決めて外に歩み出しました。

 無意識からため息によく似た吐息があふれました。外は明るくもなければ暗くもない、いわゆる夕闇状態です。もっともこの薄明かりに暮らしている人々は、夕闇が何たるか知りもしないでしょうが。

 ウサミさんの住む家は、坂の上ら辺にあるので、遠くを眺めると街の景色が見渡せます。限られた地平線の上にある街並みでは、色とりどりの人工灯が粒となって、点描みたいな色彩を描いていました。

 ウサミさんは家に隣接する駐車場に止めてある、使い古されたかご付自転車に乗りこみました。この自転車は、ウサミさんが結婚するよりずっと昔、まだ大人になる前から使い続けている自転車です。別に何か思い入れが、例えば今ではほぼ絶交状態になった友達から、誕生日祝いにプレゼントされただとか、そんな特別な思い入れがある、だから大切にしている。などという感情が無いことも無いのですが、おおよそ惰性で乗り続けている、娘さんからダサいと文句を言われ続けている、そんな自転車をウサミさんはこぎます。

 ペダルをこいでいると、否応なく自身の肉体の老朽を、疲労を以て知らしめられます。チェーンがちゃりちゃりと音をたてるたびに、体に蓄積し拭い切れなかった疲労が甲高く悲鳴を上げているような気がします。しかしへこたれてはいけません、ウサミさんは懸命に思いペダルをこぎつつ、そろそろトレーニングジムに通うべきかな、奥さんに相談しようかな、ものすごく微妙に馬鹿にされそうだな、と考えました

 二つのタイヤが回転すると、バルエイス特有のどことなく濁った空気がサングラスごしにウサミさんのか弱い眼球を刺激します。涙を堪えると、帽子に収まりきらなかった髪の毛が色素の薄い肌を刺激し、ウサミさんは辟易としました。

 公園付近まで来ました。娘さんとたまに遊びに行く公園です。交通誘導信号が赤く光り、一時停止を命令してきました。

 ウサミさんは休憩がてら、目の前を流れる浮遊車両をぼんやりと眺めます。

「うちもそろそろ車を買い替えない?」

 これは奥さんの言葉です。「今の車はもういや」をかなりマイルドに表現しています。        ウサミさんの家には一応車が、自転車と張り合えるくらい古臭い車が一台あります。それこそ自転車に負けないほど、むしろそれ以上に思い入れのある車でした。

 ウサミさんは頭の中で愛車を描きます。銀色にペイントされた愛車は、ウサミさんが初めて大人として決意を抱いて買ったものでした。

 その当時は最新型であった誇りある車も、今ではすっかり時代遅れとなりました。もっと具体的に問題点を上げると、浮遊機関が少しばかり故障しているのです。まだ日々の移動、と言ってもたまのお出かけや、奥さんの家事の用事などに使用する分には差し支えないのです。しかし奥さんには

「乗っている車から変な音がするって、とてつもなく怖いことなのよ。あなた耳が優れているのにそういうことは感知できないのね」

 とまでは言わないが、その意味をにおわせる言葉を、許されるギリギリのラインを保って、日常的に伝えられ続けていました。 

 その慎ましやかさが、逆に綿を喉に少しずづ詰めていくようで、ウサミさんは息苦しさを感じていました。できることなら直接「買え」と言ってほしい、いやでもそれはそれで腹が立ちそうかも。なんて考察を堂々巡りで流していました。

 日常の折々に希望の目を向けられるのが、ウサミさんにとって微かなストレスとなっていたのです。

 まあ、さっさと新しい車を買えばよいだけの、ただそれだけのことなのですが。無駄に物持ちが良すぎるのは、ウサミさんの数ある欠点の一つなのです。

 信号が青く光り、進むことを命令します。ウサミさんは腕に巻かれた時計を見やります。針は進んでほしくない所まで時を刻んでいました。急がないと電車に遅れてしまいます。

 ウサミさんは深く息を吸い込んで、力強くペダルを踏みました

 

若い頃はよく意味もない遅刻をしたものです。

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