幕間 ウサミさんの優雅な朝(卵焼き)
男は妻の行動に困惑する。
ウサミさんはリビングに足を踏み入れました。温かい食事のにおいと、食器の擦れ合う軽やかな音色がウサミさんの体に届きます。
「お早う」
奥さんはシンクにで皿を洗っていました。先に済ませておいた、自分の朝食用の食器です。ウサミさんの家では、家族でそろって食事をすることに、さほどこだわりはないので、ウサミさんは何も言わずに椅子に座ります。
角が丸い机の上には、奥さんが用意してくれた朝食が置かれています。焼いた魚の切り身とスープ、主食の白飯、そして。
「卵焼きだ」
ウサミさんは幽かに驚きました。いつもなら生卵をそのまま、目玉のように焼いたおかずがあるべき場所に、バルエイスでは見慣れない料理が置かれていたのです。
「妻よ」
「なんだい夫よ」
「これは何かな?」
ウサミさんは皿を軽く持ち上げます。そこには卵を溶かして、丸めて焼いた料理が置かれています。
「これは、オムレツかな?」ウサミさんは多分違うとわかっていても、質問をしてしまいます。
「いいえ違いますよ、それはたまごやきですよ」
奥さんは慣れない言葉を丁寧に、慎重に言いました。
「卵焼き」
「はい、たまごやき。少し失敗しちゃったけど」
ウサミさんは料理を見つめます。確かにその卵焼きは綺麗とは言えず、少し焦げています。ですが卵焼きとしての存在意義は、しっかりとちゃっかりと白々しくクリアしています。そしてそのことはウサミさんに、本日初めての恐怖を与えました。朝露のようにささやかな恐怖です。
「どうして」
どうして君がこれを知っている?というかなんで急に作った?などというウサミさんの疑問に、奥さんは主婦らしい微笑みを返しました。
「それはほら、あなたが寝言で言っていたからよ。たまごやきが食べたいって」
なんと。夫の驚きに妻は畳み掛けます。
「だから調べたの。色々なツールを使って、作り方を勉強した。そして今日ついに試みたのよ」
「なんと、ボクは知らない間に挑まれていたのか」
「そういうこと、味は?」
「へ?」ウサミさんはスープを飲もうとする手を止めました。
「食べないの?」
「ああ、うん。食べるよ」
ウサミさんは少しだけどぎまぎして、卵焼きを口に運びました。少々硬いですが十分美味しいといえるでしょう、口の中で味付けされた卵が解けて噛み砕かれます。
「美味しい?」奥さんは黒目をじっとウサミさんに向けてきます。
「美味しいよ」ウサミさんはなぜか慎重に、料理を飲み込みます。卵焼きは何事もなく胃袋に収まりました、いえ、何かが起こるわけはないのですが。
「それは良かった」
奥さんはそれっきり皿洗いに集中します。あらら?
「え、あの、それだけ?」
「何が?」奥さんは振り向くことなく答えます。
「いや、ほかに何かないのかなって」
決して期待したわけではないのですが、つい質問してしまいます。ウサミさんは変化にとても弱いのです。
「何もないわ。美味しく残さず食べてね」
しかし奥さんは心の底から変化を愛しているのです。それこそ夫以上に、なんてことはさすがに無いでしょう。
ウサミさんは食事を再開します。これ以上、奥さんと卵焼きについて考えるのは止そう、と思ったのです。目の前で皿洗いをしている無害そうな女性は、時々油断を忘れてしまいそうな行動をとることがあるのです。深入りしてしまえば、ウサミさんの願いは朝っぱらから早くも、粉々に砕かれてしまう。そんな予感をしてしまうのです。
「まあ君が楽しいなら、それでいいよ」
ウサミさんは言葉にすることなく言いました。朝は忙しく、妻の考察をしている暇はないのです。
気を紛らわす、わけではありませんが、ウサミさんはテレビのリモコンを操作しました。
テレビの画面には、間抜けそうな男の子の顔が映り込みました。
まだしばらく幕間は続きます。ですが厭きそうなので本編を挟みつつ書きます。