全能性を願ってねだる
マイカの傷を治療するソルト、彼女の独白がマイカにある人物を思い出させる。
自分で言った言葉に、言い様のない感情が呼び起され、鼻の粘膜がつんと痛くなる。鼻をぐにぐにと擦ると、ソルトに咎められた。
「だめですよ、そんな乱暴に擦ったら血が出ちゃいます」
ソルトの言うとおり、鼻の穴から生温かい液体がこぼれた。鼻水かと思って指で拭うと、指先に赤色が灯る。
「ああ、ほら、だから言ったじゃないですか。転生者様、下を向いていてください」
彼女はそう言うと着用している制服の懐から、ハンカチやらガーゼやらテープなどを取り出した。薄そうな制服のどこに収納していたのだろうか。薄い桃色のハンカチを細く棒状にして、俺に手渡してくる。
「重ね重ね申し訳ありません。今は清潔なガーゼがないので、これを代用してください」
それはつまり鼻に詰めろ、ということか。俺は少しためらってしまう。こんな綺麗な、しかも女の子のハンカチを俺の鼻出血で汚してもよいのか。だが躊躇している暇はなさそうだ。血液は続々と流出しているし、ソルトをこれ以上心配させたくない。またとない機会かもしれないので、思い切りハンカチを鼻に突っ込んでみた。柔らかで細かい繊維が血液を吸収する、花の香りが幽かにして微妙に幸せになる。
俺がハンカチの幸せを味わっている間、ソルトは頬の方の傷の手当てに取り掛かっていた。その仕方は彼女が人を殴るときと同じくらい、迅速で無駄がなかった。あっという間に傷はガーゼに保護され、しっかりとテーピングされた。
「痛くないですか?」
「ううん、全然。ありがとう」
テーピングに触れてみる。嫌悪感を抱かせない範囲で、テープは肌に密着していた。
「驚いたよ」
「何がですか?」
「ほら、こういうやり方もできるんだなって」
「ああ」彼女は俺の言いたいこと、つまり俺にとっての(普通)の治療方法のことを察した。
「癒術士は癒術以外にも、魔力を伴わない医療技術も、一通り学習する必要があるんですよ」
「へえ、なんで?」
魔法というものがいまだに理解できないが、複数の技術を勉強するのは容易ではなさそうだ。
「それはだから、いまみたいな一例に備えて、ということを予期したからですよ」
ソルトは恥ずかしそうに言う。
「魔法は全能ではありませんからね」
「ふうん、まあ、そんなものか」
彼女の言うことは、よく考えれば全てのことに当てはまりそうなことだ。
「夢みたいな世界だと思ってたけれど、夢だってそれなりに大変なことがあるよね」
俺の言葉を聞くと、ソルトは吹き出した。
「転生者様は、幼い子供みたいなことを仰りますね」
「そ、そうかな?」
今度は俺が恥ずかしくなる番だった。誤魔化すように俺は彼女から目を離す。
「まあ、あれだ」
「なんですか?」
「あれだよ、できることは多い方がいいって、偉い人が言っていた」
正確には母さんの言葉だったが、ソルトには秘密にしておくことにした。
鼻血というのは厄介で、よく鼻水と間違えてしまうんですよ。