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路地裏の自己紹介

誰にも知られることのない一騒動が幕を閉じ、男はマイカに名を名乗る。

糸は切れることなく体を釣り上げ続けている。その姿は晴れを祈る、ティッシュでよく作るあの白い人形を連想させ、どことなく滑稽だった。

 いや笑っている場合ではない。人一人がどういうわけか、どう見ても生命の崖っぷちにひんしているのだ。悠長なこと考えている暇などない。ええっと、こういう時はどうするんだっけ。蘇生術とやらを使うんだっけ。どうやるんだっけ。確か人工呼吸、え、人工呼吸?やだなあこんなオッサンにやるの。

 といった悠長な考えが、俺の脳内を一秒で駆け巡っている間に、ソルトの体が動いた。

 野郎達をぶちのめした時と同じように、一切の迷いも無駄もない動きだった。するりしゅるりと息も絶え絶えになっている野郎の体に巻きついて、本当に文字通り巻き付いて、具体的に言えば両腕を野郎の筋張った喉元に、ぐるりとがんじがらめにして締め上げた。国際的な試合だったならば、審判の待てが下されるところ、残念ながらここはただの路地裏だったため、ソルトの見事な絞め技は野郎が白魚のような白目をむくまで続けられた。

 がくり、と音が聞こえそうな脱力が野郎の体に、無意識の救いを与えた。

 ふう、とソルトが息を吐いて巻きつけた体を離す。何事もなく、自分は何も悪いことなどしていない、とでも言うように何事もなく立ち上がった。そして俺の肩に手を置くと

「もう大丈夫です。ここを離れましょう」

 彼女の顔には笑顔があった。だが隠しきれていない緊迫感もへばりついていた。


「いやはやありがとう、ありがとう。なんだかよくわからないけれど、とりあえず助かったよ」

 肥満の男は、銀縁眼鏡の奥にある細い目をさらに細くして礼を言った。

「意外だよ、逃げなかったんだ」俺は逃げたくてたまらなかったのに。

「え?なんだって?」

「いえ、なんでもないです」

 俺はぼそぼそと言葉を濁す。肥満は俺の後ろめたさなど目もくれず、目尻にしわを作る、笑っているらしい、何となく和んでしまう。

「とにもかくにもとりあえず、ぜひともお礼をしなくては」

 そう言うと人のよさそうな顔を申し訳なさそうに歪めた。

「と言いたいところだけど、申し訳ないことに、僕これから用事があるんだ。急がないと時間がないや。ああでも、ピンチを助けてくれた方々になんのお礼もなしなんて、僕のなけなしの男がすたる・・・」

俺の顔をまっすぐ見ながら、ふと何かを思いついた表情をすると、「ふむふむ」と色あせた肩掛け鞄をあさり始めた。

「いや、あの」

 がさごそと鞄を漁る男に俺も申し訳なくなる。何せ俺自身は何もしていないのだ。なのに男は俺にしかお礼を言おうとしない。ソルトはソルトで、自身が討伐した野郎共のいわゆる後片付けにせっせと勤しんでしまって、しばらく明るい表路地には戻ってこなさそうだ。だがしかし、か弱そうでか弱くない女性に戦闘を命令し、人畜で無害な男性陣を苦しめた張本人が、目の前の気弱そうな男に感謝されるべきなのか、いやそんなことは有り得るべきではない。特に俺には絶対許されないことだ。

「ああーあったあった、これこれ」

 俺が自己嫌悪を噛みしめていると、男が鞄から数枚のくしゃくしゃな紙切れを取り出した。

「はい、これ!僕の行きつけのお店の割引券。あげる!」

 にこやかにおれに差し出してきた、その無垢な行動が俺の罪悪感を逆なでする。

「いやいや、お礼ならソルトに、あのまだ路地裏にいる彼女に言ってよ。俺は別に何もしていないし」

 何もしていないどころか、無謀にも命令を下し介入し、そして顔を切り付けられただけ、それしかしていない。感謝されるべきことなど何一つとしてやっていないのだ。彼の感謝は間違っている。

 俺は居心地の悪さを感じて、たまらずソルトの姿を探してしまう。彼女はようやく路地裏から出てきたところだった。己がばらまいた、意識のない体を適当な所に寄り固める作業がようやく終わったのだろう。手伝おうかと提案したが

「絶妙に目立つところに放置しないといけませんから」

とやんわり断られた。彼女は彼女なりに自分の行動に始末をつけたかったのか。俺を施設内から脱出させたりなど、どうやら彼女は奇妙に強情な所があるみたいだ。

「おーいソルト、大丈夫か、手伝おうか?」心もとなく声をかけてみる。

「いえ、もう終わります」

 ソルトが少し疲れた顔で、明るく返事をした。とことこと、こちらに戻ってくる。彼女を視認した男は頬を赤らめた。

「いやーいやいや、君すごかったよ。見事な戦い、まさに八面六臂の戦いだったよ。いやあ、こんな可憐な女の子に助けられちゃうなんて、自分で自分を哀憐せずにはいられない」

 男は急にしどろもどろになって指の爪、柔らかそうな毛髪に包まれた指から生えている長めの詰めをかちゃかちゃと鳴らした。俺の知っていた人間にしては毛の量が多いその手に、もはや驚くことはない。

「そうだ、名前、名前を名乗っていなかったね。危ない危ない、恩人に無名を貫き通す無礼をするところだったよ」

 男は不思議な言いようのまま、眼鏡の位置を長い爪で調節した。

「僕の名前は、ムクラ。ムクラって言います」

 ムクラは握手を求めるように手を差し伸べてくる。

「君の名前は?良ければ教えてくれないかな?」

私は昔から、自己紹介が大の苦手でした。

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