お腹の上の子豚ちゃん
重い
誰かから最初に生まれた感情が、ウイルスの繁殖の如く一気に広がった。俺はもう一度機体に体を慣れさせるのに気を取られて、あまり怪物のことを考える余裕がなかった。どうしても視界が安定しない。
「来たな」
ルルが深く息を吸う。
「マイカ君、お願いをしてもいいかな」
彼女はもう決意を決めているようだ。
「あたし達にどうか、殺害からの責任逃れをさせてくれ」
それはどうしようもなく切実な願望だった。
だけどどうやって倒そう?殺せば良いだけだとしても、あんな硬い肉を持った生き物をどうやって。
「あのまま慎重に、こちらまで近づかせれば…」
ルルは隊員の皆はきっと所長と共に何かしらの作戦を考えていたのだろう、出来るだけ安全な手助け「だけ」をしてくれるつもりだったのかも。
それならば安心だと思った、自分一人だけでは不安だが、複数の人に助けてもらえるなら。
しかし彼らの尽力は残念ながら活かされることは無かった。
! ! ! !!! 痛い。
誰かが叫んだ。怪物がその体に全く似合っていない速力で、猛烈に激突してきた。
本当にマジで、真っ直ぐ来られたらしい。怪物と兵器の頭蓋部分が、トラック同士の衝突事故みたいに触れ合って、低く鈍い音が遅れて感覚する。頭と頭がごっつんこだ。
怪物はまともに動けないほどダメージを追っていたんじゃ、俺がやったのに、山羊は大丈夫だろうか?
頭蓋骨が真っ二つに割れたと思うほどの痛みは、整合性のある思考を片っ端から叩き潰した。
「攻撃!攻撃!引き剥がせ!」
これは誰の声なのか、たぶんウサミかルルのどっちかだと思う。
予想外だ、あの奇想天外な形の怪物にこんな凶悪な攻撃が出来るなんて。体は豚だから筋肉にみなぎっているとしても、手足は人間の貧弱な肉しかついていないはずなのに。先に視界を確保すべきだった。二回目だからもっと早く人間にの目を捨てられたはずなのに、どうして俺は。
誰かに助けてもらえるなんて、少しでも思うのがいけなかった。
まるで反対だな、時計塔での悲劇的な出会いを思い返す。懐かしいな、あの時は俺が上に圧し掛かってかみついたっけ。今は逆だった、怪物が俺の体の上に乗っかっている。腹が潰れて息が苦しい。
もしかしてこれは、やり返されているのか?俺がやった凶行を怪物は憶えていて、そして今そっくりそのままお返ししている。
そんなのまるで。
ムクラが悲鳴をあげた。流れ星のように光る弾が怪物の体に、水鉄砲のように打ち込まれる。
弾が怪物の皮膚を焼き焦がした、蛋白質の焦げる香ばしい匂いが苦しい呼吸に届く。思えばキーボード式の武器も、この匂いを感じさせることなく意識を出来るだけ少なくするための工夫なのか。意味のないことに今更気づく、もったいないな。
「操縦士さん!とにかく逃げましょう!操縦権を移して!」
ソルトも悲鳴に近い声を出していた。
ウサミは彼女の要求に返事することなく、腹立たしく舌打ちだけをした。
彼の苛立ちはもっともだった、ソルトの言うとおりにしたくても出来ないのだ。この機体はどういうわけか、こんな時に限って完璧なほどに俺のものになっている。痛みで詳しいことはわからない。
怪物が腹の上で少し動いた、五本の指が俺の皮膚に食い込み、より体を密着させた姿勢になる。黄色く生臭い唾液がぼとぼとと降り注いできた。傷まみれの肉の向こうに翅がぼんやりと見える、もう飛ぶことは出来なさそうなほどずたずたになっていた。天井を突き破るときに駄目になったのだろう。
誰かが声を震わせていた。このままだとぺしゃんこに潰されるだろう。
それは何としても避けねばならない、他人が死ぬのを無視するのは何よりいけないことだ。
だから
「だからどうするの?」
大人の声が聞こえた。知らない女の声だ。
「やることはもう決まっているのに、どうにも君には足りないものがあるね」
彼女は話し続ける。
お腹は大事にしないと。