強弱記号の主張
だんだん強く
彼女は決してふざけているわけでも、おおげさに脚色を加えているわけではなかった。
「この世界に生きているあたし達は、あの巨大生物を殺すことが出来ないんだ。だから転生者が確認されるより以前は、当時の持てる知識を苦心して集め、駆逐のための技術を築いてきた。それだけしかできないかった、だから楽園は長らく無イの巣窟として、保護区民にとっては限りなく嘘に近い夢物語だった。楽園は確かに、あたしの住む場所と同じ空の下にあるのにもかかわらずにね」
真剣な言葉からは、かつての生活の苦しさが想像できるほどの臨場感がある。きっと誰かルドルフにとって信頼のおける人に、何度も言い聞かされてきた話なのだろう。
その溢れんばかりの真実味が、偽物臭いヒューマンドラマの、打ち切りみたいな結末みたいな違和感を脚色している。
「殺せないって、どういうことなんだよ?魔法も武器も十分作ることが出来るんだろ?」
「明確な理由なんて無いんだ。どんなに頑張って調査してもいまだに判明していない」
「実際に殺そうとするとどうなるんだ?」
野球チームが負け続けるとかでありますように。
「ただ単に死ぬだけだよ」
嗚呼そんなわけなかった、ルドルフは勉強した知識を噛みしめて、無知な人間に世界のルールを教えてくる。
「肉体にある程度の損傷を与えることは出来ると、過去の報告には載っている」
「ある程度の損傷」
ずいぶんとアバウトだ。
「それは皮膚の角質を削る程度の僅かなものから、骨にまで達する深手を負わせたレベルまで、種々様々なケースがある」
「骨まで削れるなら、そのまま殺すことだって出来そうだと思うけど」
ていうか普通に致死レベルじゃないか?だがルドルフは否定する。
「でも無理なんだ、とある一線を越えると、それはつまりは生命活動を続けているかいないかどうかなんだけど、殺害を行動しようとした途端、あたし達の体は、まず最初に頭痛が伴うほどの眩暈に襲われる。聞いたところによれば冷や汗が噴水のように溢れてくるらしい」
脳の奥で何かが零れ落ちた、不意に蘇った記憶はまだ新しく新鮮さを保っている。
「無イに対する明確な殺意と、その意志に伴った行動を起こす。その認識を理解した時、あたしたちの体は開始する、脳の、動脈の、心筋の、肉体のありとあらゆる機関の硬直と停止を開始するんだ」
路地裏でのまるで喜ばしくない出会い、思えばあれが地下世界で初めて触れた攻撃性だった。黄色い唾を吐きだし、心臓を押さえながら地面に倒れる害意の、脂が沢山埋もれてそうな丸い背中が脳裏に浮かぶ。
「だからあたしが生まれる前の保護区世代の方々は、無イの侵攻の際には、己の内側にある殺意の境界線と睨み合いをしながら、安全圏内から駆逐することを何度も何度も何度も繰り返してきた」
ルドルフは「何度も」の部分を、強弱記号のように力を込めて言った。
私がその小説に出会ったのは、もうずいぶん昔のことで、でもそんな昔でもない気もします。
膨大なテキストの中で繰り広げられたのは、今まで見たことも無い、あまりにも独特過ぎる世界観。瞼を閉じれば物語の世界が現実に見えるほどの環境描写。文字を追うごとに続きが気になるストーリー、あの物語を書くことは、きっと私には無理でしょう。
まあ知った切っ掛けはアニメだったんですけど。