何者でもない痛み
鼻炎かもしれない
俺の勝手なイメージはともかく、その男はやはり声の持ち主としての、そして担当していると思われる地位に見合った迫力を、長年愛用している腰刀のように備えていた。いや、まだあの人が何者なのか俺はまだ解しているわけではないのだが。
男がのっそりと立ち上がった。
「とにかく、我々はあなた方の要望には応えかねる。あまりにも危険だ、勝負事を始めたいならばそれこそ獄の世界でやればよいではないか。然るべき鎖を備えない者らしくな」
男は最後の言葉にとりわけ、あまり気分の良くない工夫を込めて発音した。ルドルフが拳を握りしめる音が聞こえる。
「キト所長」
ソルトの声が聞こえた。彼女は男の、どうやら所長らしい人物と対面する位置に立っていた。彼女の身長が、キトと呼ばれる男の長身をより際立てている。しかし少女は全く怖気ている様子はなく、所長の説得を試みようとした。
「どうかご理解頂けませんか、私共は何も第7生産所を巻き添えに戦闘する気は毛頭ありません」
「そうかな、自分には到底そのような良心的な内容として捉えることは出来ないのだが」
キト所長はじろりとソルトを見下ろす。
難しい場面の邪魔をしてはいけない、そう直感した俺はさっさと立ち上がり、
「失礼しました」
小声で一言残しこの場を去ろうとした。鼻の奥がつんと痛い。
「待て」
しかし歩き出す前にルドルフが俺の腕を掴んだ。
「え?」
「どこに行くのかね?」
キトが咎めるように睨んでくる。
「転生者が此処の見学を望んでいるようですので、その監視ですよ。そうだな?ヤエヤママイカ」
「え、あ、はい」
すらすらと出てきた嘘に反論できず、つい反射的に返事をしてしまう。
「ほう、貴殿がかの…」
キトはそこではじめて俺のことを視認でもしたかのように、眼光を向けてきた。痛みが強くなるのを感じる。
「そういうわけだ、僕は一旦席を外させてもらう」
ルドルフは有無を言わさず強い力で俺の体を引っ張った。スリッパとブーツの奏でる足音が、人けのない廊下に侘しい音楽を作り出す。
施設内を歩くうちに、何回か作業員らしき人とすれ違った。見ただけでも種族性別様々な人材が働いているようだったが、皆一様に無言で連れ立つ正体不明の子供のことを、不思議そうに横目で見てきた。
「あの、どこに行くんですか?」
いいかげん腕が痛くなってきた俺は、少々乱暴にルドルフの手を払った。彼もこちらを見ることなく一時停止する。
沈黙が数秒、隊長殿から提案が発案される気配はない。本当に何も考えることなく、所長殿から逃げる口実のために俺を連れ出したのか。そういうことなら、
「折角見学するなら外に出ましょうよ」
苦し紛れに笑って持ちかけてみた。単に今いる場所がちょうど出入り口付近なので思いついたことなのだが、何時までも無言で歩き回るよりはいくらかマシのはず、だと思う。
ルドルフが顔をあげてこちらを見てくる。
きっと何物にも成れない。