飛ばない世界
マイカは己の常識と世界の常識との狭間で思考を漂わせる。
「ひゃっほう!」
吹きすさぶ風が俺の頬を撫で、伸びすぎた前髪を巻き上げる。ソルトと俺が乗る車は浮遊道路、トンネルを数十倍に広げた円筒の中を滑らかに飛行している。
「あんまり顔を出しちゃだめですよ、危ないです」
ソルトの忠告と同時に俺の目の前を大型のトラック、によく似た浮遊車両が勢いよく通り過ぎて行く。
「車がそんなに珍しいですか?」
少しだけ気分が落ち込んだ俺に、ソルトが質問してくる。俺の喜びように少し面食らったふうに、微妙な笑みを浮かべている。
「うーん、そうだね」
そうなのだ。俺がいちいち驚いている風景は、おそらくこの世界にとっては当たり前のことなのである。しかし理解しても胸の高鳴りを抑えることはできない。巨大なトンネル、その中を絶えることなく無尽に飛び交う車。まるで昔観た映画の世界に飛び込んだかのようだ。
「空飛ぶ車はちょっと珍しいかな」
俺がもう少し素直な男だったならば、もっと素敵な感想を述べることができたのだが、残念なことに今のおれではこれが限界だった。
「浮遊しないとどうやって移動するんですか?」
ソルトが目を丸くして驚く、俺にはその驚きの真意を理解できなかった。
「どうもこうも、そもそも飛ぶ必要がないというか」
とりあえず思うままの常識を伝える。だがそれは俺の世界での常識であって、この世界、このような地下空間では通用しない常識なのかもしれない。
「まあ単純に、こうやって気軽に飛ぶ技術が発明されていなかったんだよね」
「そうなんですか。でもいいな、浮遊せずに地面を思う存分走れるのって、少し憧れます」
「ふーん、そうなの?」
「はい」
ソルトはそう言うと、穏やかにうっとりとした。彼女の頭の中では何が想像されているのだろう、飛べないことを羨ましがる世界を、俺が理解できる時は来るのだろうか。
移動ばかりで少し飽きてきそうですね。