理想郷は程遠く
上手くいかない。
「ええっ」
報告にいち早く反応したのはムクラだった。
「やっべー、ハイポに来ちゃったよ初めてだよ」
「はいぽ?」
ハイフォトゥールとかいう都市のことだろうか。
「何かヤバいのか?」
同じ地下にある都市でも、その町が特異な環境にあることを何となく察したうえで、気分の良い話が返ってくることも期待できず、しかし好奇心に負けて質問せずにはいられなかった。言い訳じみているが素直に気になってしまった。
平和な環境を体に満たしている青年の回答が、彼の座っている椅子のスピーカーを通して帰ってくる。彼はきょとんと言った。
「そりゃもうヤバいヤバい、激ヤバだよ」
若者らしい元気な口ぶりで、彼はこう説明してくれた。
バルエイス共同保護区という名のほぼ国家に近い居住区は、わかりやすいことに住む場所で人の価値が決まっている風潮が存在している。下層に、地面の深くに住んでいればいるほど、いわゆるお金持ちで富を有している証拠になる。
俺はつい違和感を覚えた。金持ちとは、上流という言葉から抱くイメージとして、何となく上の見晴らしの良い日の光の当たる場所に住んでいる感覚があった。だからこそ地下の、薄暗く湿っていそうなイメージに結びつかなかった。
もちろんそれは俺の住んでいた世界の、俺が勝手に抱いていたイメージ。
「地面深くに住んでいれば、いざという時に安全だからねー」
「あー、確かに」
理不尽で無慈悲な、そして人の意が通用しない存在が時折侵攻してくる世界。怪物が地中へ侵入してくる世界では、単純に考えた場合地上近くより、地面から離れた場所に住んでみたくなるのが生存本能。
「保護区の政治機関も、一部を除いてその殆どが最下層に設置されています」
ソルトが再び観光ガイドみたいな補足を入れてきた。説明に集中していたが、ムクラが声に反応して息を飲むのも分かった。
「マイカさん、貴方が目覚めしばらく滞在していた研究所も、最下部にあるんですよ」
驚いた、研究所とは最初に目覚めたあの怪しい施設のことだろう。不似合いなセンチメンタルに浸りながら眺めていた窓の外。窮屈な安心感にむせ返っていたあの風景は、とてつもないリッチなビューだということになる。
そう思うと、もっとじっくり味わっておけばよかったと思う、それこそ嘗め回すかのように。
「上に住んでいると、雨水もたくさん落ちてくるらしいよ」
いたって他人事のムクラの言葉に、俺は地下世界の生活の苦しみを他所事らしく推し量るしかできなかった。
そして一つ、血液が冷水のように覚める予想に辿り着く。
汗が出すぎて髪が常に濡れます、べっとべとです。