蔑め爪よ牙よ
やっぱ駄目じゃねえか。
過去のことなどどうでも良い。
「まあもはや貴様に説明すべきことなど、こんな状況では皆無だ。すべてが御託に成り下がる」
ルドルフはいい加減俺に諦めの気持ちを抱き始めていた、賢明な思考だ。
「ヤエヤママイカ、機体を動かせるか?」
どんな無理難題を言い渡されるか、震えて身構えていた俺にとって、その要求は奇妙な軽さがあった。
「動かすだけでいいんですか?」
「ああ、まずは今一度動作確認をしたい」
確認も何もすでに、本人の意思から乖離するほどの勢いでアクションしていたのだ。具体的に言えば未知の生命体に、意気揚々と喰らいつくほどの動作は出来ていた。
「わかりました、やってみます」
だから俺は自転車をこげと命令されたかのような気軽さで、巨大兵器を再び動かすことを試みる。
「…あれ?」
そして違和感に気付く。
つい先ほどの行動と同じように、指に力を入れて爪を伸ばそうとする。しかし爪は伸びず、それどころか指自体が上手く地面を掴んでくれない。手足の先端から付け根、しいては胴体と脳に至るまで緩やかな硬直がある。それはまるで紙粘土を皮膚に塗りたくり、そのまま放置したかのような不快感。決して全く動かせないといわけでもないが、動くたびに何かしらがめくれ引き千切れていることをいちいち実感させられる、そんな煩わしさがあった。
ほんの数分前までは非常に滑らかに関節を回し、筋肉も優良すぎるほど伸び縮みしれくれたというのに。どうしてこんなにも動かないのか、なんだか息をするのも辛くなってきた気さえしてくる。
確かに兵器と俺自身の肉体は、見えない細やかな糸のような何かでつながっている。しかしその糸はどういうわけか、操縦主だという俺に出来立ての擦り傷みたいな束縛をもたらしている。
眼球を回せば相変わらず黄色の世界。しかし透き通っていたはずの景色も、今は酷くノイズが入り乱れ、巨大な虫がぶつかってきたかのような猛烈な痛みに、思わず瞼を固く閉じる。
「どうしたヤエヤママイカ?」
いつまでも返事をしない俺に、ルドルフが不安そうにする。
「なんか、すごく辛いっていうか。風邪をひいたみたいな感じがします」
俺は思ったままのことを言う。
「兵器を動かせません」
「解りましたマイカさん、もう大丈夫ですよ」
ソルトがやや強めの語気で指示をする。俺は正直に従い、いったん体の力を抜く。緊張から解放された肉体が、束の間の休息を喜ぶ。
「やはり先ほどのは、そういうことなんでしょうか……」
俺が気を抜いている間にもソルトは思惟を繰り広げ、独自に重ね合わせる。そして一つの、彼女なりの見解を見出す。
「そういうこととは、どういうことなんだ癒術士」
ルドルフが堪らず彼女に質問してみる。
「つまりですね」
ソルトは何事もなく淡々と答える。
「先ほどのマイカさ…、転生者様の素晴らしいテクニックは、いわゆる目先の獲物に釣られたものであって、一時に限定されたものだと考えられます」
「そんな馬鹿な?」
食い気味にルドルフが叫ぶ。彼に責任感が無かったら、ふざけんなコンチクショウ!と叫んでもおかしくないほどの勢いだった。
「あの…」
憤る隊長殿に聞こえないよう、小声で俺もソルトに質問する。
「つまりどういうことですか?」
ソルトは俺にもわかりやすい言葉を、すぐさま厳選してくれた。
「つまりですね、貴方は道を歩いていてすごくお腹が空いていたとします」
「ふんふん」
「そしたらちょっと離れた所に、美味しそうなトンテキが出現しました」
「はあ」
「それを食べたいがために、空腹による体力の消耗も考えることを忘れて、貴方は全力で走ったのです」
「…」
「これは素晴らしいですよ、いきなり妖獣を自由に操作するなんて、並大抵のことではありません」
「そのために皆を危険にさらしたよ」
状況が理解できると、自身の内側から己に対する苛立たしい感情が涌き出てくる。
「ただの迷惑馬鹿野郎じゃねえか」
気分の赴くまま言葉にしてしまったので、つい声を潜めることを忘れてしまう。
知らず知らずに迷惑ばかり。