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「ああ、今日はロウなのか」
そうして待ちに待った二日後、六月五日の初警護。居候先を飛び出し、俺は学園正門前の電柱の陰でわくわくしながら護衛対象を待っていた。その背中へ声を掛けて来たのは、選りにも選って御本人様で。
「や、やあハイネ。奇遇だなあ、こんな所で」
「うん。しかももう五時半なのにね」溜息。「取り敢えず行こうか、通報されない内に」
「あ、ああ……」
並んで商店街方面へと歩を進めつつ、混乱気味の頭で敗因を考えてみる。単に俺の隠密スキル不足か?いや。こいつは先程「今日は」と漏らした。つまり昨日一昨日の担当、即ち先公共のどちらかがポカをやらかしたに違いない。
(にしても本当に毎日遅くまでやってるんだな、練習)
しかもダルい授業をみっちり受けた後で、だ。それによく耳を澄ませると、ホームルームの後より微かに声が掠れている。その事実だけでも、行っている練習のハードさが伝わってきた。
(……応援、行ってやるか。会場は確か、“黄の星”のシャバムだったよな)
優勝云々は正直どうでもいい。ただ、こいつが本気で歌う所を一目見てみたかった。
「でも、君が一番マシだよ」
「?何の話だ?」
「服装。アラン先生は映画から抜け出したヤクザそのものだったし、キュー先生に至ってはくのいちだよ」
クスクス。
「主張し過ぎだって、二人共。逆にこっちが恥ずかしかったんだから。警護ならもっと普通の服でやってくれないと」
「だな。ゲロったのはキューの先公の方か?」
「他に誰がいるんだよ。先生ってば尾行に夢中になり過ぎて、その辺りで他校生の集団に突っ込んじゃってね」
道の反対側、ゲームセンター前を微笑ましげに指差す。
「僕が謝りに入ったから良かったけど、つくづく危機意識無いよあの人。しかも訊いてもいないのに事情を全部喋った上、『後生だから二人には言わないでー!』、って。本当」クスッ。「可愛い人だ」
ジリッ。くそっ、これ位で嫉妬してどうする、俺。初めから分かっていた事じゃないか。勝ち目なんて限り無く薄、
「―――僕の心配なんて、しなくて構わないのに」「!!?」
表情が消え、立ち現れる虚無。だが俺にはまるで、奴が泣いているように見えた。
「元患者の家族から預かった店子だし、貴重な部員ってのも理解出来るけど、君も二人も過保護だよ。大事にされる価値なんて、僕には無いのに……ぁあ」
絞り出すような呻きと共に、瞳へ僅かな感情が戻る。
「……御免、変な事言って」
何でそこで謝るんだよ、お前は。
「でも、『この程度の事』で迷惑掛けたくないのは本心なんだ。もうバレちゃったし、次からはサボりなよ。わざわざ一度帰宅して出て来てくれたんだろう。そんな無理、何日もさせられないよ」
この程度……だと?こいつ、自分がどんな類の危険に晒されているのかも分からねえのかよ。
「別にそれが原因で殺されても、君を恨んだりしないから。ま、もし仮にそうなったら、せめて精一杯抵抗は」「五月蝿えっ!!」ガシッ!
ああ分かった!そっちがそうやって距離を取るなら、俺は倍の速さで踏み込むだけだ!!
憤慨の命ずるまま、奴の二の腕を掴む。痛いよ、訴える声を無視し、俺は人混みを蹴散らすように商店街を抜けた。
アパートへの道中、大人しくなった親友は素直に付いて来る。遅ればせながら反省しているのか、良い心掛けだ。だが、
(自分がどんだけ大切な存在か、何とかしてこの分からず屋に理解させねえと……!)
先程の言い草こそ、隠された本当の姿。垣間見えたその姿に痛々しささえ覚え、一層握力を籠める。
「怒ってる、よね……答えなくていいんだ、御免」
俯き加減に再度謝る。
「でも、僕には本当に分からないんだよ……ロウ達をそこまで必死にさせる物が、僕にあるだなんて……」
俺より頭良いくせに、何でんな簡単な事も理解出来ねえんだよ、お前は……。
こんなにも早く告白するつもりなど無かった。だが、流石に無理だ。このままこいつを放っておいたら、殺人鬼云々を抜きにしてもヤバい。今日、ここに少なくとも一人、自分の命より手前を想う奴が存在する事を是が非でも教えてやらねえと……!
そう決意を固めている内に、無事アパートへ到着。半ば引き摺るように外階段を登り、照明ランプの灯った二階通路へ。そこで親友は、己を掴む手に反対の手を重ねた。
「今日はボディガードありがと。あと」顔を背け、「君も帰り、充分気を付けてね。殺人犯でなくても、夜道は色々と物騒だから」
「まだ帰るっつってねえだろ」
引き剥がそうとする手を払い除け、壁際へ追い詰める。突然の暴挙に、親友は困惑を浮かべた。
「まだ、怒っているの……?それとも僕、他に何か不愉快な」
「違う」
「じゃあ――――何?」
再び現れた例の眼差しに、脊髄反射で背筋が凍る。だが、俺は意志を総動員して虚を睨み返した。
(俺を遠ざけようとしても無駄だ。こっちはとっくに腹括ってるんだからな)
「あのな、ハイネ―――こんな時位守らせろよ。手前に頼りっ放しじゃ俺、とんだ腑抜け野郎確定じゃねえか」
ピシッ。仮面の表情に入る、一筋の亀裂。
「そりゃ確かに、相手は何人も殺した極悪犯だ。警護するつもりが、逆に返り討ちに遭うかもしれねえ。けどな、それでも―――お前が殺されるよりは何万倍もマシなんだよ!!」
耳元での絶叫に驚いたのか、目を見開く親友。そうして数十秒後。捕らわれていない方の手が、ズボンのポケットを探った。
スッ。「あ……」「……馬鹿、泣く事無いだろ。まだ死んでもいないのに、縁起でも無いな」
目元に当てられる純白のハンカチ。柔軟剤を使っているのか、布地から洗剤とは違う甘い香りがした。こんな細かい所まで女子力かよ、全く……心臓が張り裂けそうだ。
今しか無い。胸に宿る熱い想いを乗せ、万感の念で口を開く。
「あのさ、ハイネ……俺、お前の事が」
「お、今帰りか」カンカン。「ん、ダイアンも一緒か。相変わらず仲良いな、お前等」
最悪のタイミングで階段を上がってきやがったのは、親友の同居人兼体育教師。しくじったな、と言わんばかりにニヤニヤする。
「偶然学校の近くで会っただけですよ。アラン先生こそ、『一昨日は』御苦労様でしたね」
おう、潔い返事と共に右腕を挙げる。
「先に宣言しとくが、勿論明日以降も継続するからな。お前は嫌だろうが」
「いいですよ、もう。今丁度、ロウにもその件で怒られていた所です」
溜息。
「でも先生達はともかく、女性のキュー先生まで作戦に加えたのは感心しませんね。半泣きで懇願されたから、昨日は渋々送ってもらいましたけど……」
「何だ。自分の心配はしないくせに、あいつのはするのか」
「当たり前ですよ」
はっはっは!
「大丈夫さ。キューはああ見えて防犯ブザーや催涙ガス、スタンガンまで買い揃えた人間武器庫だぞ。ある意味俺達二人よりガードは固い」
「それ、逆に危ないなあ……仕方ない、次の時に説得して一つ貸してもらおう。まだ自分で持っていた方がマシだ……」ブツブツ。
何時の間にか涙は引き、ハンカチも仕舞われていた。俺が後ろに二歩下がると、接近した体育教師が俺達の肩を叩く。
「まあ立ち話もあれだ。上がって行けよ、ダイアン。何なら晩飯も食って」
「!?い、いや、悪ぃ。俺、そろそろ帰らねえと」
まだ熱を孕んだ目元を隠し、慌てて後ずさる。万が一こいつに気付かれたら憤死物だ。
「今日はありがとう、ロウ。また明日、学校で」
「ああ」
階段縁で手を振り合い、背を向ける寸前。先公が何時に無く意地悪げに笑ったように見えた。単なる俺の気のせい、か?
(まさか……な。さて、本日の任務も無事達成したし、戻って晩飯にするか)
俺は両拳に力を籠め、人工の闇を獣人の脚力で以って切り裂く。
(そうさ。これから先、チャンスは幾らでもあるんだ。焦る事は何も無い)
だが、俺のささやかな希望は、その日から僅か十日余りで脆くも打ち砕かれた。犯人自殺の一報と言う、唐突な終焉に因って。




