15.存在しない、存在。(美波&千津目線)
夏が終わっちゃうな。
何事もなかったかのように。
実際、何事も進展しないまま。
明日は登校日だ。
キクさんはきっと移動で疲れたなんて言ってられない、なんて言って、きっと移動後に練習をしてからホテル入りするのだろうと見越して、掛け慣れた人にコールする。
「はい。もしもし。美波?どうした?」
私からだってわかってるのに、いっつも「どうした?」って聞いてくるこの人は、私のハトコで野球選手の菊原洋介ことキクさん。
歳は干支一回り離れているが、人見知りの私が珍しく懐いていた一人で、昔から面倒見が良く一緒にキャッチボールをしたりして遊んでくれたので、本家にいく時には必ず「洋にい、いる?」と聞いていたと親戚達はいつも笑いの話のネタにされるほどだった。
そんなキクさんには、心を許した幼馴染達には言いにくい事もすんなり口にしてしまえる、不思議な包容力があった。
「キクさ~ん、~どうしよ~。夏休みが終わっちゃうよう~!ってか登校日だよ明日~行きたくなーい」
そんな私の愚痴を聞き、キクさんははぁ、なんやそんなことかと呆れたのか安堵したのかわからない嘆息をついたようだ。
<アホか、そういうのは学生同士の幼馴染’sで仲良く愚痴っとけ。なんでいっつも俺に電話かけてくんねん!!>
むむ。それはその通りなのだが、それができればキクさんにわざわざ電話したりしない。
「だぁって~千津も蒼士も部活だバイトだって忙しいって遊んでくれないんだも~ん。宿題しよーよって誘ったらもう済んでるって言われちゃって。寂しいよ~」
<…明日学校ならフツーもう終わってるだろそりゃ。おまえ、頭べらぼうにいいくせにホント宿題とかそういうのやらないのな。大体、俺が優勝に向けて忙しくしてるとは思わねーのか?>
あ、それはあんまり思ってなかった、と思い返しキクさんにごめん、と返した。
私は小学生の頃から、長期休みの宿題というのが計画的に進める事が苦手でついつい後回しにしてしまう傾向にあり、本家に集まる度にキクさんやキクさんのお兄ちゃんに手伝ってもらって宿題や夏休みの日記を書いてたんだっけ。
高校生になった今でもそうだなんて、そういう話は根が真面目な、何でも計画的に物事をすすめる幼馴染たちにはとてもじゃないが恥ずかしくて打ち明けられない。
「えー、だってやらなくてもいいものに時間なんて割いたって無駄だし。うーん、電話に出てくれるから大丈夫かと思った。ダメだった?」
宿題なんてやらなくたって、勉強は得意だから実際必要ないのだ。運良くというか運悪くと言うか、私はどういう訳か幼い頃からスポーツは最も得意だが勉強も一度聞いた事は忘れる事がなかったので、常に蒼士と成績の上位を争うのが常となっている。
蒼士は真面目で予習復習は欠かさないからこその成績であるし、私達より若干落ちるとは言え全般的に抜けがなく平均点が抜群にいい千津がしている努力に比べたら私は全然努力していないと思っているので、いつも申し訳ない気持ちになるのだ。
<…いや、今はダメじゃーねーけど、ってか一応オフかどうかは確認してるのな、おまえ。。。>
「そりゃあそうでしょ。親しき仲にもなんとやら、よ。」
そうじゃなきゃ、10何年も一緒に、この先もできれば一緒に、は、いられないから。
あの幼馴染達とも。
<…親しき仲っつーか、親戚だけどな。血繋がってるけどな。薄くだけど。>
何言ってるんだろ、キクさん。
そりゃ一応、ハトコって6親等だから、血縁関係で言ったら薄いも薄いけど、私はキクさんのことハトコってより普通に蒼士のお兄ちゃんの啓にいと同じ感覚で頼りにしてる。たまたま、キクさんとは血の繋がりがあるってだけ。
それを今更なんで言い出したんだろ?
あ、そっちか!わかった!
「薄くないよ?キクさんフサフサじゃん、まだ。」
髪だ。
きっと髪の心配したんだー、キクさんのお父さんってちょっとアレと言うか、頭頂部がお寂しい方だから、それに似ちゃったらと思って薄いとか言ってるのかな。
と思って返したら、はぁ!?そっちじゃねえ、そっちじゃ!と怒りの反論が返ってきた。
<まだってなんやねん!まだって!>
「や、おじさん見てるとさ、密かに心配してるんだよ。ちゃんと手入れしてる?」
なんて軽口を飛ばすと、キクさんはあー、くー。と呻く声が聞こえ、その後にはちっくしょー、オレの親父もハーフだったなら!!などど独り言を言っていた(何故ハーフが禿げる禿げないに関係あるのかわからなかったが)
「美波、てめーホンマ今度会うとき覚えてろよ!あと、手入れはしとるわ勿論な!結婚前にハゲ散らかすとか嫁こんくなるやろ余計に!!」
へぇ、キクさん、結婚する気、あるんだ。
ちく。
ん?
なんか今、違和感が。。。
<…美波?どうかしたか??>
窓の外を見やると、カナブンが勢いよく網戸に衝突して来たようで、五月蝿い羽音をさせながらバチ、バチと体当たりしている途中だった。
なんだ、これのせいか。
こんなんに夜背中襲われたらホラーだもんね、気付いてよかった。
「ううん。気のせい。やー、窓あけてると網戸閉めててもカメムシすぐぶつかってきて時々ビックリするんだよね!」
そうキクさんに言いながら、机の上から下敷きを取ってバシン!と、勢いよくカナブンを叩き落す。
あ、どうやら落下したようだ。まぁさすがに驚かせはしたがしんではいないはずだ。
<あー、あるある。寮も田舎だろ?カメムシひでーもん。グラウンドいてるとちっせー虫の大群に襲われることもあるし。うっとおしいよな、アレ!>
へえ、キクさんのとこも羽虫いるんだ。
「ホントホント、やんなっちゃうねー。キクさん目おっきいから目の中入っちゃいそうにならない?私はあんまなったことないけどさ。千津はよく口にも入った!って騒いでるよ。人間だけじゃなくて虫もそーゆーのえり好みするモンなのかな?」
<どーだろーな、でも入るより入らない方が断然いいだろ。入ってもなんもメリットねえし。>
いや、メリットあるよ。
蒼士に心配してもらえるもん。
なんて、キクさんにでも、言えないや。
「千津もおんなじこと言ってた。やー、入った事ない人間にしてみたらキクさんや千津みたいな人がちょっとうらやましーって思っちゃうんだ。」
<ははは、おまえ二言目には千津が、~千津が~、だな。こないだも仲よくお揃いでおれのサイン入りユニ着て着てたしな。>
当たり前だ。キクさんがようやく一軍入りを果たしたのでさあ応援に行くのに恥ずかしくないようユニフォームを買うぞ!と意気込んでいたらあっさり記念だ。と言い2人分贈ってくれたのに。しかも事前にサインも入れて。蒼士には自腹で買えと煽ったらしく、バカ真面目な蒼士は憧れの洋兄ちゃんが言ったから、と本当に買って今日の応援にもそわそわワクワクしながら自分のチケットも用意して来た位、キクさんの隠れファンだ。
なんかそれがかわいかったから、とキクさんはサイン入りキャップを特別にプレゼントしてあげたらしい。
報われて良かったね、蒼士。
帰り際、絶対になくすまいと誰よりも緊張して家まで帰ってたよ、あのひと。
「当たり前じゃーん。キクさんの応援に行ったんだから。あ、でもあの時に牛丸選手とか田代選手にも書いてもらえてすっごい感動した!またお礼いっといてね、キクさん。」
そうそう、サインボールをもらいに行ったら、偶然牛丸選手と田代選手がいて、一緒にサインをねだったら快く引き受けてくださり写真もとってくれた。
あと、期待の新人である征司選手も、自分達のような高校生にも嫌な顔一つせず、色々お話してくれ最後に連絡先を交換してもらった。時々になるかもだけど、投稿してるSNSも見てね!と笑顔でロッカールームへと消えて行ったのはなかなかカッコよかったなぁ。
彼、顔のタイプがちょっと蒼士に似てるんだよね。目が細くていかつい感じなとこが。
<おう。あいつらも美波たちに会いたがってたから丁度良かったわ。つか、おれ滅多とホームラン打たねーのによく捕れたな。すげーじゃん。おまえがとったの?>
「違う違う、あのとき一緒にいた蒼士がちょっと手伝ってくれたから運よく取れたの。じゃなかったらボールなんて一発でキャッチできないよ!プロの打球をさ。」
蒼士があの時、身体を横から支えてくれなかったら弾みで後ろへダイブして頭を打ってしまうとこだった。それくらい、プロの打球を受けるってすごいことだと、改めて若手の中でも名選手と名高いキクさんのすごさを実感したのだ。
キクさんとのたのしいおしゃべりに夢中になりすぎて、私が翌朝ギリギリまでやり残した課題に苦しんだのは、また別のお話です。
ああ、夏が終わりそう。
結局、あのひとには会えなかった。
しょうがないよね、お仕事だし。
こんな時、あたしはもしあの人と一緒にいなくても、あの人の生活にはなんの影響も与えないのだと思うと哀しくなる。
あの人は悲しい時、どうやってそれを乗り越えてきたのかな?
やっぱり、家族の、奥さんやお子さんの支えがあったのだろうか?
彼は地方公演を終え地元に帰ってきてから。約束どおり電話をくれた。
自分の部屋の窓から外を覗くと、夏の終わりに降る長雨に一面支配され、まるであたしの涙のような雨粒がずっと叩きつけられていた。
「大丈夫です。でも、なんか苗字が変わるって変な感じですよね。まだ実感わかないんです。
結婚してもなかなか新しい苗字に慣れなかった、ってお母さんも言ってましたし、そのうち慣れると思うんですけど。」
結婚したら。
そうか。
あたし、もし、そうなったらまた、あたしは別のあたしになっちゃうんだ。
そこまで考えてもみなかった。
結婚するっていうことを深く考えていなかった証拠だ。
ううん、深く、というより、考えたくなかった。
どうせ、一番大好きな人とは、そうなれそうにないから。
いつもも突きつけられる、あたしと彼との明確な立場の違いが、越えられない壁として目前に現れた気がした。
彼もなんて言って返せばいいのかわからなかったのか、暫く新も句が支配した。
「…小林さん?」
<ああ、ごめんね。じゃあ、これからは安友千津さんになるんだね。>
むこうの電話口からも時折聞こえるノイズ音。
不安だけど、今、あたし達は立場は違えど、同じ雨の音に包まれているのを感じ、少し頬がほころぶ。
「。。。はい。もう平岡千津は、存在しない事になります。」
ああ。
口にすると、やっぱ、まだ泣けてきちゃうな。
涙声になってるの、彼に気付かれはしないかな。
先の見えない不安感が、急に頭をもたげて襲い掛かった。
「平岡千津は 存在しない」
それは、もう、なんていうか、あたしはあたしでないことを自ら否定したワケで、もう小林さんが好いてくれてるあたしではないような気がして泣けてきてしまう。
小林さん。
こんな弱くて情けないあたしでも、まだ見てていてくれますか?
<ねえ、千津さん。>
「はい?」
<もうすぐ、夏が終わるね。>
「…そうですね。もうすぐ、終わっちゃいますね。」
僕は、君と、過ごしたかったな。
そう、電話口にいるあたしが作り出した幻の小林さんが、言った気がした。
「あたしも、一緒に過ごしてみたかったです。」
できるなら、来年は、一緒に。
ふっ、と、かすかにだけど現実の小林さんも笑ってくれてる気がした。
どうして、あなただったんだろう。
どうして、あたしはあなたと同じ世代に生まれなかったんだろう。
どうして。
なにも持てないうちに、持たせてもらえないのにあなたという光に出会ってしまったんだろう。
夏が終わる。
あたしと彼の心を置き去りにして。