8 夜話【エミリア】
夜も更けた頃。
二人の少女が馬車の中で丸まっている。
片方は、まるで太陽のように黄金の髪の毛を、今は無造作に広げて。
片方は、まるで夜闇のように紫紺の髪の毛を、小さくまとめて。
隣で羽織に包まって眠るアンナを見て、エミリアは小さく笑みを浮かべた。
小さな身体。
まだ十四歳だというのに、この状況にまだ絶望していない。
そのことを、エミリアはよく知っていた。
アンナは小さな頃から諦めることをしらない。いってしまえば諦めの悪い子供だった。歳が近く、アンナの傍にずっといた自分が、そのことをよく知っていた。例えば魔法の授業なんかでも、わからないことがあると夜を徹してまで調べ上げた。
また、武術の鍛錬なんかも、いくらでも食い掛かっていった。その様は、やんごとなき身分であるアンナが行うには少々激しかったように思える。
けれど自分は、その様に憧れた。だから今でもこうして侍従をやらせてもらっている。
「けど、こんなことになるなんて……」
今でもエミリアは信じることができなかった。
あの騎士が独断で行ったことで、あの方はなにも関与しておられないのではないか。お嬢様の心を折るために使った放言ではないかと、邪推している。けれど真実は結局わからない。問いただすしかないのだろう。なればこそ、生きて帰らねばならない。自分はどうなったってかまわないけれど、アンナだけは。
「アンナ、私が絶対に……」
死なせないから。
と、小さく呟いた時、ふとその胸元でうごめく存在が目に入った。
「ルティア」
そう、アンナが名付けた、小さなゴーレムのようなものだ。
確かに幸運なのかもしれない。この石ころがいなければ、自分もアンナも、死んでいた。それは事実だ。
命の恩人であるのは事実だ。そっと、起こさないように、羽織を開くと、そこに丸い物体。
小さな身体に手の生えた、可愛らしい姿。さっきまでは触らせてもらえなかったけど。
そっと手に包んで持ち上げると、確かな重さと温かさを感じる。
小さな赤い瞳が、びっくりしたようにじっとエミリアを見上げていた。
「生きてて、温かいですね……眠れないのですか?」
いっていて、これは眠るのだろうかと疑問が頭を過った。
眠るのだろうか、ゴーレムというか、石の魔物というものは。
『エミリア?』
「ええ、エミリアですよ」
どうもこの子は、念話らしきものが使えるようで、こうして意思を知ることができる。
自意識を持っている魔物なんて、珍しいな、とエミリアは思う。
昔、魔物図鑑で見た魔物なんかは、凶暴で意思などなく、ただ人を害する存在だと仄めかしていた。それは事実なのだろうけど、こうして友好的な魔物がいると知れたのだ。見識が広がったというべきか。
魔物を使役する術があるのも知ってはいたが、それだって凶暴性を敵に向けさせるための術だと聞いている。つまり兵器のような使用方法なのだ。
『ネムレナイ?』
「いえいえ、アンナが寝たのですから、私ももう眠りますよ」
『ソッカ』
「あなたは眠らないのですか?」
『ネムレナイ』
「そうですか……」
どうやら、彼は眠らないようだ。
「ね、ルティア。あなたはどうして私たちを助けてくれたのですか?」
魔物である彼が、自分たちを助ける義理はないはずなのだ。そして、エミリアの問いは、先ほどの騎士のことのみならず、現在の状況に関しても問いかけている。
魔物である彼は、ストームライガーをどうしてか従えていて、その凶暴な魔物もまた、どうしてか自分たちを守ってくれている。この奇妙な状況を作り出したのは、確実に、ルティアだ。
彼にはどんな意図があったのか、妙に気になった。
『ドウシテ?』
「ええ、どうしてなのでしょうか?」
『ソウシタカッタ』
「そうですか」
『ソウ』
随分と人間臭い魔物だな、とエミリアは思った。
けど、そんな彼だからこそ、どうしてだろうか、信用できると思ったのだ。
アンナって呼ばれていた子の胸元を堪能していたら、急に羽織を取り上げられた。
この人は……メイドさんのエミリアって呼ばれてたっけ。
エミリアさんは俺を抱え上げ、掌に乗せた。
アンナちゃんとは感触が違う。ちょっとマメができてて、ごつごつした手だ。仕事している人間の手だってことは俺にもわかる。
こちらを見つめる夜のように青い瞳にちょっとドギマギする。
目と目が合う瞬間なんとやらではないけれど。
(な、なんだよー! せっかく俺はこの柔らかな感触を満喫したかったのに。エミリアさんであってるよな?)
『エミリア?』
「ええ、エミリアですよ」
いって、エミリアさんは小首をかしげた。
凛々しい顔を、今は少しふにゃっとさせているのは、眠れないからだろうか?
むう、眠そうなのに寝れないってのはきついな。わかる。
俺だって、最初の数日は寝ようと思ったさ。頑張ったしな。でもほら、俺って石ころじゃん? 脳みそとかないじゃん。睡眠で休ませるものがないじゃん。じゃあ俺ってどうやって思考してるんだよって思うと怖くなってやめたけど。
寝たいのに寝れないのはつらい。
『ネムレナイ?』
大丈夫か、眠れないのか? と伝えようとしたらこんなことになった。
どうやら念話のLvが低いせいだろうか。自分の思ったことが伝わらず、片言のようになってしまうのだ。
「いえいえ、アンナが寝たのですから、私ももう眠りますよ」
いって、エミリアさんはアンナちゃんの方を見て、薄く微笑んだ。
自分にはわからないことだが、アンナちゃんのことをお嬢様って呼んでたことから、結構身分の高い人間なのだろう。そしてエミリアさんはそれに仕えるメイドさんってとこかな。
けどなんていうか、主従関係以上になんか、家族みたいだなってその目の優しさから思う。
家族……家族か。俺には家族なんてもういないけど、こんな風に信愛してくれる人がいるってのは幸せだなって思う。
『ソッカ』
「あなたは眠らないのですか?」
『ネムレナイ』
「そうですか……」
何故かひどく悲しそうな顔をして目を背けられた。
(もうわりきってるよ。気にしないでくれよ、ちょっと悲しくなるだろ……)
「ね、ルティア。あなたはどうして私たちを助けてくれたのですか?」
悲しみに浸っていると、唐突にそんなことを言われた。
『ドウシテ?』
どうしてって……そんなこと決まってるだろう。
目の前で困っている人がいて手を差し出さないなんてあり得ないだろう。目の前で困っている人がいたら手を差し伸べる。当たり前のことだ。それになにより美少女が困っているんだ。助けないなんて男じゃないだろう。
まあ、俺に性別はないけど。
ないけど……。
「ええ、どうしてなのでしょうか?」
エミリアさんがのぞき込むように、俺の瞳を見つめてくる。
『ソウシタカッタ』
「そうですか」
『ソウ』
俺の言葉を聞いて、安心したのか、エミリアさんはふっと笑みをこぼした。
そして、俺をアンナちゃんの胸元に戻した。
最後に俺を撫でて、アンナちゃんを撫でた。
「きっといつか、お嬢様のことを話します。それでもいいなら、よろしくお願いしますね」
『ヨロシク』
「それじゃ、私も申し訳ないですが眠りますね」
『オヤスミ』
と俺がいうと、驚いたように、きょとんと眼を丸くした。
「本当に、人間臭い魔物ですね」
笑って、目を閉じると、すぐに寝息が聞こえてきた。
すでに性欲はないけど、美少女二人に挟まれてて寝れない男の気分だわ。
まあ、ペットみたいなもんだけどな。