5 それがファーストコンタクト
「石……?」
私はそっとそれに手を伸ばす。触れてみると仄かに暖かく、それがただの石ころでないことを教えてくれる。血の一滴もついてないことを見るに、あの騎士が倒れた後、うまく血糊の外側へと落ちたようだ。どのような形であれ、私自身の命も、エミリアの命もこの石に救われたのは事実なのだろう。
私は遥か上を見上げる。夜闇に紛れよく見えなかったが、どうやらそこは崖になっているようだ。切り立った崖の上には、いくつもの白い影が蠢いているのが辛うじて、月明かりに紛れて見えた。
「ストームライガー……」
と、エミリアの呟く声が聞こえた。
「それって?」
「魔物……それも群れともなれば危険度は跳ね上がります。遭遇したのなら、死を覚悟しなければならないレベルのそれは、Bランクの範疇に収まらないレベルと言われています」
「……とんでもなく危険ってことじゃないの!?」
魔物討伐を主とするギルドはいくつかあるが、その中でももっとも有名なのは冒険者ギルドだろう。冒険者ギルドは、その名の通り、冒険者のための組合だ。各地で起こる魔物討伐の任務や、まだ見ぬ世界、地域、ダンジョン等を求めて多数の冒険者が所属しているという。その中の規定にランク制度というものがある。
Eランクの駆け出しから始まり、D、C、B、A、Sと続く。最上のSランクはいわゆる英雄に付与されるランクであり、現存しているSランクは、かの大戦を生き残った数人しかいない。その下のAランクでさえ、単体で軍とも渡り合えるとさえいわれている。Bランクともなればその危機意識は大きく下がるが、それでも都市の壊滅を覚悟しなければならない。
「ストームライガーの群生地は、王都フェムトからカラナ大平原を超えて、さらに北上した場所にある大森林。一年を通して強い風が吹いていることから嵐の大森林とも呼ばれている場所にあります」
「嵐の大森林? それって本で読んだことあるわ……って、すっごく遠いじゃないの!?」
「状況から考えるに、薬で仮死状態にされて運ばれたのではと思われます」
「……ってことは、捨てられたのって事実なのね」
視線の先に転がる男は、もう二度と目を覚まさない程に頭部を破壊されている。
いけ好かない男だったが、語ったことは事実なのだろう。状況が証明している。
「これからどうします?」
言いながら服装を整えメイド服を着こなしたエミリアが立ち上がる。
未だその腹部は血濡れているが、そのことを感じさせない完璧な所作であると……。
「って、血! 血が! 大丈夫なのそれ!?」
「大丈夫です……と言いたい所ですが、余裕はないですね。血を流し過ぎました」
お腹に当てられた手には、魔力の光が見える。治癒の魔法をかけているようだけれど、魔力も血も足りないのか顔色が悪い。
早急に休息をさせる必要があるのは目に見えて明らかだった。
「ど、どこか休める場所を……!」
「そんな所は、この森にはありません。それよりもお嬢様。早く逃げてください。私は見ての通りの有様ですし、ここには血の臭いが濃すぎます。そこの男も、御者も、私も、みなが血を流しております。ここには獣がよってくきます。早く……」
冷静な口調。
いつもと変わらない口調。けれどその声は、いつもより震えて聞こえた。無理だ。できるはずがない。私がエミリアを見捨てることは
、長い間支えてくれた人を見捨てるということだ。
私はまだなにも、なにも返せてないのに。
「いやだ! エミリアを見捨てるなんてできない!」
「お嬢様……ですが」
その時だった。
ずどん、となにかが目の間に落下してきた。
白い体毛の獅子。風渦巻く巨大な体躯。上空を舞っていたストームライガーの一頭。
「っひ!」
声が引き攣る。
その圧倒的な存在感に、自らの死を覚悟する。死んだと思った。
確実に。
【……念力 3が念力 4になりました。
堅牢 1が堅牢 5になりました。
騎士デュオを倒した。経験値5678を取得しました。
大きな丸い石のLvがあがりました。
大きな丸い石のLvがあがりました。
大きな丸い石のLvがあがりました。
………
大きな丸い石は成長限界です。
スキル「流星」を獲得しました。
「殺人者」の称号を獲得しました。
「砕けない心」の称号を獲得しました。
進化しますか?
Yes/No】
気絶から目が覚めた瞬間、謎の声が俺の状況を教えてくれる。
おいい? 殺人者とか言われてんだけどなんだこれは?
思いながらも瞼を開くと柔らかな感触。今まで感じたことのない感触に包まれているのがわかった。なんだ、これ?
と、見回すようにして視点を展開する。
まず肌色が目に入った。
今まで、この世界で見たことのない色だ。
そして、ピンクのフリフリのついた可愛らしい服。寝間着みたいだな、と思った。
なにより目を引いたのは靡く金の髪。まるで黄金のようなそれを称えているのは一人の女の子だった。
(え、え、え? なにこれ、なにこの可愛い子! 金髪に赤い目で! しかも白い肌してる!)
鼻筋もしゅっとしているし、なによりも目立つのは意思の強さを感じさせる瞳だった。その瞳が、今、怯えを孕んでいる。
元いた世界じゃ絶対に見ることのできない女の子が俺を持って、掴んで、震えていた。
(……? 震えている?)
どういうことだろうか、と見回してみれば、そこにいたのは。
(おおおおおおおお!? ストームライガーさんじゃないですか!? なんで? なんで唸ってるの!? もしかして俺か!? 俺を取り戻しにきたのか!? うおお! 俺のせいで美少女さんに危機が!)
「お嬢様! 早くお逃げを! 私が時間を稼ぎます!」
「駄目だよエミリア! 死んじゃうよ!」
泣きそうな叫びが聞こえた。
悲痛な叫びの主は、俺を持つ少女からだ。
(そらそうだ。死ぬもん、こんなやつ相手にしたら。あーもうどうしたらいいんだよ!)
俺に美少女が死ぬ様を見たまま……見殺しにしろってのかよ!
きっと俺はそうなったとしても無事なんだろう。どうしてかこいつらには大事にされているし。けれど、この少女たちは死ぬ。死んでしまうのだ。きっと食料にされて、俺の元へと運ばれるんだろう。
それは、いやだ!
そうなったら俺は一生後悔する。この石の身体で、朽ち果てるまで後悔するだろう。
(この!)
俺は精一杯の抵抗を試みる。
意思を込めて、俺は眼前の獅子を睨み付ける。ぎょろりと俺の瞳が蠢く。
通じたのか、どうかは知らない。けれど。
【スキル「念話」を獲得しました】
ごっそりと身体からMPが使われる感覚。
けど、レベルアップしたからか、まだ余裕はある。
そして。
「ガフゥン……」
ストームライガーは跪くようにして地面へと伏せた。
「……え、どういうこと」
その情けない吼え声に、目をぱちくりとさせながら、少女は呟く。
手の中の重みを思い出して、たぶんこれか? とか思ったんだろうな。
視線を下ろして、手の中で目を開いた俺と目が合う。
ぱちくり。
目と目があった。
「うわ、キモ」
鈴なりのような、きれいな声で、罵倒された。
今生初の罵倒である。
なんだろう、視界が滲むな。涙が出そう。