37 アルケミストの事情
「ま、せっかく用意したんだから座ってよ」
カウンターの前に用意された椅子に腰掛けて、私たちはシャンテの師匠だという人物に視線を向ける。メガネを掛けた、温和な人物に見える。けれどその服装が全てを台無しにしていた。まるでアルケミストとはこのような存在だと主張するように、真っ黒なローブに身を包んでいる。
はっきり言えば、怪しさ満点であると私は思うのだ。
「ひとまず礼を言うよ。シャンテを助けてくれてありがとう」
言って、彼はにこやかに頭を下げた。
「とはいえまずは自己紹介だ。僕らはまだ、互いになにも知らないのだから。僕はアル。アル・ラズリィだ。よろしく」
す、と目の前に出された手を見て、私は視線を彷徨わせる。どうしたらいいのだろうか? エミリアを見上げると、きょとんとした後に。
「握手ですよ、握手。ええと、つまり、手を握り返せばいいのですよ」
「あ、そうなの……えと、私はアンナよ、よろしく。こっちはエミリアと……」
「シルルだよ!」
エミリアを開いた手で示し、シルルが元気よく手を挙げた。
「ああ、よろしく。実に可憐なお嬢さん達だ。僕の店も華やぐというものだよ」
「えと……こ、光栄だわ」
そう言えば、自分には男性経験がほとんどないのに気がつく。近くにいた男性は、父様だけだったから。だから慣れていないってのもあるかもしれないけど。
だからといって握りすぎじゃないだろうか?
っていうか、強過ぎず弱過ぎずですっごいにぎにぎしてくるんだけど。これが、握手ってやつなのかな?
ーー私、知らないもん。
困惑していると、アルさんの隣に立っていたシャンテが拳を振り上げ、振り下ろした。
がつん、といい音が聞こえた。
「あのですね、若い女の子が来て嬉しいのはわかりますけど、触り過ぎです。変態ですか」
「いやぁ、いいじゃないか。こうまで清々しいのは久しぶりなんだからさ」
「私がいるじゃないですか!?」
「いやほら、君はすぐに暴力に訴えるし」
「お師匠さまのせいですよ!?」
やいのやいのと騒ぐ二人を、なんとか宥めて、話の続きを進める。
「えっと、まぁどうしてここに倒れてたかだけど……それはそうと、シャンテ、薬草は?」
「あ、はい。ここに」
小さなバッグをカウンターに置くと、その中身をぶちまけた。ぎゅうぎゅうに詰まっていたのだろう。びっくりするくらいの量がこぼれ出た。
「ふむ、まぁ、これだけあれば当分大丈夫だろう。ありがとう、シャンテ」
「えへへぇ〜、まぁこれくらい当然ですが!」
「まぁ、つまり、これが僕の事情だよ」
さっぱりわからない。
「お師匠さまは説明不足ですよ」
「察してくれてもいいだろう? 僕はアルケミストで、これは薬草だ。つまりはポーションの作り過ぎで疲れた。在庫も使い切ったのだ」
ポーションってあの苦いお薬のことよね?
それが在庫不足になるなんて、よっぽどみんな、あの苦いお薬が好きなのね。私には考えられないわ。
「それでもいずれ足りなくなるだろうけど……」
「お師匠さまはどうにかできないんですか?」
「よせよ、僕はアルケミストだ。戦闘なんかからっきしだよ」
「なにかあったの?」
小さなシルルがカウンターの上に両腕を組んで、顎を埋めたまま聞いた。その姿勢はお行儀悪いけど、仕方ないよね、彼女、小さいし。
「よくぞ聞いてくれた、可愛らしいお嬢さんよ!」
「シルルだよ」
「それではシルルちゃんよ!」
「慣れなれしいのね、あんた……」
よっぽど誰かに愚痴を言いたかったのか、目を輝かせてアルさんは両手を広げた。
「実はこの辺の海域に、厄介な魔物が住み着いたのさ」
その言葉に、私は実家に帰るのが遅くなる予感を感じたのだった。
いつになったら帰れるんだろう……
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