20 騎士の襲来
対面のソファに腰かけたエシルさんは目を丸くする。
「随分と汚れて……お疲れのようですね」
こちらを見るなり、エシルさんは皺を歪めて言った。
確かに、顔を顰めるに足る理由なのだろう。私だって、こんなのがいたらやだもの。
「ええ、見ての通りよ」
「……ふむ。私も数々の人間を見てきましたが、寝間着のまま逃げ出した人間はそう知りませんね」
くつくつと面白いものを見たとでも言いたげに、エシルさんは禿頭を撫でる。
恥ずかしさに、頭に血が昇るのを感じるけど、それを表に出す訳にはいかない。曲がりなりにも権力者――この村ではという意味でだけど――と会うのだ。それなのにこの恰好。
ああもう! 顔から火が出そう!
「む、し、仕方ないのよ! 寝てる間に連れてこられたのだから!」
「それはそれは」
何度もエシルさんは頷いて、顎鬚を撫でながら、まるでよくあることだと言わんばかりに笑っている。
人好きのする笑顔だと思う。
「……よくあることなのですか?」
「ええ、よくあることですとも。あなた方はこの村がなんと呼ばれているか、シルルから聞いておらんかの?」
「確か……その、奴隷村と」
言い難そうにエミリアは言葉を詰まらせながら話す。
「よいよい、実際にその通りなのです。気にする必要などありませんとも」
ふとそこで、なにかに気が付いたように、エシルさんは頭上を見上げる。ぐるりと部屋の中を見渡して、ミィルに視線を向ける。
そして、一つ手招きすると、ミィルが寄ってくる。
「なんだよ」
すっとエシルさんは頭上を指さし、その指を窓の外へ向けた。
ミィルはそちらをじっと見詰めて「そっか」と返して、踵を返す。そのまま部屋を出て行ってしまった。
「あの、なにか?」
私は思わず話しかける。
くるりとエシルさんはこちらに向き直ると、首を振った。
「いえね、どうもなにか、嫌な予感がするものです」
「予感……?」
「ええ、この森に住んでいる限り、気にしていたらきりがない予感が」
エシルさんは頷きながら言う。
背後で控えていたシルルの表情が硬くなったのに、気付いた。僅かな変化だけど、お父様の周囲にいた人に比べたら、全然わかりやすい。
年齢的なものもあるのだろう。
「それよりも、お聞かせ頂けますでしょうか? あなた方がどうしてこんな場所に来てしまったのか」
「ええ、もちろん」
言って、私は話す。
これまでのことを。
捨てられたことを。
森で出会った魔物のことを。
歩いていたことを。
これからどうしたいのか。どうすればいいのかわからないことを。ただ目的だけがあって、それに到達する力がないことを。
自分がわかっていることを全て。
「……なるほど。捨てられた真意を問いたいと、そうおっしゃるのですね」
私の話を黙って聞いていたエシルさんは、そこで初めて言葉を発した。
けれどその表情はよくあることなのだと言わんばかりだった。そう、よくあることなのだ。きっと。
奴隷という身分の末は決まっている。
死ぬか、逃げるか、殺されるか。
そんな人以下の残酷な運命しか持ち合わせていない。
それなのに、こんな場所に集った人たちがいる。
こんな場所じゃなきゃ、集えなかった人たちがいる。
生きているだけでも良いことなのだろう。
「ええ……どうしても、どうしても知りたいのよ。お父様がどうして私を捨てられたのか。その言葉は真実なのか、私は問いたい」
思い浮かべるのは厳しくも優しかった父のこと。
厳格な職場のイメージも、二人きりで頭を撫でてくれたことも。
そんなお父様なのに、どうしてだろうか。
「……ふむ。お嬢さん、あなたはどうにも、高貴な身分の方のようですね。それも、とてもとても」
「わかるの?」
「わかるとも。これでも数百年と生きています。よろしければ名前をお伺いしたい所ですが……」
言って、エシルさんは言葉を切る。
窓の外に視線を向けて、呟く。
「ミィル」
「ここに」
いつの間にか、ミィルがそこにいた。エシルさんの隣で控えるように、初めて会った時の恰好のままで。
「どうでした?」
「数は十五。武装した兵士たち。練度はあまり高くない。こんな場所で、ぶつくさと話しながら来てる。けど、油断できない。こんな場
所で、そんな風に歩いていながら、傷も少ない」
「なるほど……厄介な」
苦虫を噛み潰したように、エシルさんは呟く。
「なにか、あったの?」
私の言葉に、エシルさんはこちらを向いた。
後ろを見ることなく、手で合図を送ると、ミィルの姿が消えた。
「来客ですよ。どうにも、王にとってこの村はよくないもののようなのです。こうして度々やってくるのですよ」
お父様が!? と言おうとして、私は言葉を飲み込んだ。知られては、厄介なことになる。そのことをよく知っていたから。
――あとから考えてみたら、きっとエシルさんは気付いていたのだろうけど。
「……ふむ、お嬢さん方は逃げた方がいいかもしれませんな」
「なにを……」
「武装した兵士が十五となれば人死にが出るかもしれません。この村が壊滅するかもしれません。そうなれば、お嬢さんたちも巻き添えになります……ふむ、そうですね。シルル」
「は、はい」
エシルさんはシルルを呼んだ。ここで初めて声を発したシルルは、どこか緊張に包まれていた。
「お嬢さんたちに、服を見繕ってあげなさい。寝間着のままで森を超えるのは厳しいでしょう。それと、シルルを道案内につけます。どうか逃げていただけますでしょうか?」
「なっ……村長!? 私もですか!?」
シルルが戸惑ったように声をあげる。
「ええ、あなたもですよ。ここがじきに戦いになる。私も出来る限り結界の維持に力を注ぎますが、それもいつまで持つかどうか」
それに、とエシルさんは続ける。
「あなたは、いつも、外を見ていたでしょう? 戦いに役に立てない小さな身体。無力だと泣いた日々も、一夜ではないはずです。そんな折りに、彼女たちだ」
「でもそんな! みんなを置いて逃げるだなんて!」
「逃げるのではありませんとも。道案内は必要でしょう。案内もなくこの森を彷徨えば、数日で死ぬのは目に見えています。ですからそんな彼女たちの為につけるのです。戦いに参加できない。けれど魔物の対処くらいなら、簡単な罠を使えるあなたが適任なのですよ」
そういって、エシルさんは、にかっと笑う。
「だから、お願いします。それに死ぬ訳じゃないですから……うん?」
なにか違和感を察知したように、エシルさんは首を傾げる。
「なんでしょう、この気配……ストームライガーの魔力と……なんです? これ」
一つ。
呼吸を置いて、考えるようにして、その考えしか浮かばなかったようで。
眉を顰めたまま一つ呟いた。
「…………石?」
ルティア!?
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