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6 見栄っ張りな街(前)

 高校一年の秋、ゆりちゃんにつれられ、わたしは初めて渋谷という街におとずれた。

 改札を出てすぐのハチ公前広場には、きたない古雑誌露店と、みどり色の列車モニュメントがある。そこを横切れば、駅前交差点の目がまわるような人だかりが待ちうけていた。

 横断歩道のさきに大通りが何本も張り巡らされ、商業ビルには巨大な液晶広告がひしめいている。広場は路上ダンスでにぎわっており、ビルのはじっこでは、テレビの取材をうける厚化粧の女子高生がなにごとかをカメラに向かって話していた。

 秋も深まったころだというのに、立っているだけで汗がにじんでくるほどの熱気だった。あまりの人の数と視覚情報に目がくるくるしてきたところで、ゆりちゃんから腕を引かれた。

「まずはスタバ。んで、109とビックカメラで買い物すませてから、最後はBunkamuraでランチでもしようね。麻衣、わかった?」

 正直よくわからんかったが、とりあえずうなずいておいた。

 やけにお姉さん風をふかせ、ゆりちゃんは上機嫌である。本日の彼女は、38歳にしておめめ強調のぱっちりメイク(本人に言ったらすねられそう)、あとはファンデーションを薄塗りした程度だったが、まだまだ20代後半でもぜんぜんいけそうな風采だった。もとの素材が年齢錯誤で若々しいのだから、当然かもしれない。

 そんなゆりちゃんは、この街にはよくとけ込んでいた。数十数百とすれちがう女の子たちと比べても、謙遜なしでかわいい。

 一方のわたしといえば、現役の高校生とはいえ、やっと制服を着なれたばかりのトーシロもいいところだったので、ロックイベントに巻きこまれたおばあちゃんみたいな場違い感にさらされた。せめて人目につかぬよう、身をちぢこめて義母のうしろをあるくことしかできないのであった。


 わたしの高校は、県内トップの大学進学率をほこっている。授業態度もびっくりするくらい良好だ。授業のスピードもはやいのなんの、部活より塾に行く生徒のほうが多いから、ぼうっとしているとわたしも置いていかれそう。

 その代償か、『個性を高める自由な校風』に乗っ取り、校則がありえないくらいゆるい。まだ一年生の秋なのに、すでにクラスメイトの二割は髪を染めている。なかにはピアスを空けている生徒までいるが、先生は見てみぬふりである。

 そのことをお父さんに話すと、「ルールとモラルの境界って、見極めがむつかしいよなあ」と鼻をほじりながら言っていた。

 高校生になると、すくなくともわたしの周りのみんなは、まるで何かから追い立てられるみたいにマセていった。

 代官山でかわいい服を買った、池袋のドトールで勉強しよう、こんど原宿でナンパでもしにいくか、そんな会話が、教室内でちらほら飛び交う。一部では、渋谷までの定期券を買うのが常識となっているらしい。

 わたしは、地元で遊ぶほうがずっといいと思っている。みんなが『近場』と呼ぶ渋谷でさえ、江ノ島線と田園都市線を乗り継いで一時間ちかくもかかる。あほらしくなってくるし、それにわたしは、きれいな山や川や空が、いっとう好きだ。図書館や映画館や自然公園なんかでのんびりするほうが、なにより健全で気楽だと思う。


 ゆりちゃんは最近、しょっちゅうわたしをつれ回して、「なんか、高校時代にもどったカンジ」などとはしゃいでいる。女子高生といっしょにいると、自分も若返った気になれるのだろう。

 みんなが口をそろえて言う『渋谷』に、わたしは嫌悪感しかもっていなかったが、やっぱりゆりちゃんのことは裏切れないので、しぶしぶ、今日はつきあってあげることにした。

 ゆりちゃんは、さっき店員さんにネイルアートしてもらった爪先をうっとりながめていた。そんな彼女をしり目に、わたしは信号の赤色灯一点を注視した。人混みが目にふれるたびに、わたしの劣等感はピークに達していた。

 だって、みんなきらきらしていて、あまりにもまぶしすぎる。背筋を伸ばして、ヒールをかつかつさせて、個性的な衣装を着こなして、何一つ不自由なく、悩みのない人生を謳歌してますって顔をしている。みんな、体の底からわきあがる活力を武器にして生きているみたいだ。そんな人々を見ていると、わたしって、なんて根暗なダウナー女、と思ってしまうのである。


「まって」

 わたしはゆりちゃんを呼びとめた。さあ、ランチも終わったことだし、そろそろ帰るか、という段のこと。

 わたしは一瞬だけ見てしまった。小学校からの友達の利恵が、たった一人で、せまい路地へと入っていくのを。

 ゆりちゃんは買い物袋をおもたそうにしながら、「なに、どうしたの」と怪訝に振りかえった。

「ゆりちゃん。わたし、まだ買いたいものがあるんだった」

「そうなの? じゃあ、もどろっか」

 わたしはかぶりをふった。

「ゆりちゃんは先に帰ってて。荷物、おもたいでしょ」

「水くさいなあ。荷物なんかロッカーにあずければいいし、麻衣のためならお義母さん、どこまででもついていくよ」

 わたしはけんめいに言い訳を考えた。

「それに、友達からメールがあったの。いまどこいるのって。渋谷だよって返したら、じゃあ合流しよって」

 苦しまぎれの逃げ口上だったけど、ゆりちゃんはあっさり信じた。残念そうというか、むしろ悔しそうな表情。

「おばさんはお呼びじゃないのね!」

 泣くフリをして、ゆりちゃんはきっぷ売り場へと駆けていった。「あんまり遅くならないようにねー」ととおくから言いつけられて、ちょっと恥ずかしかった。


 利恵が消えていった路地に入ったとたん、わたしは回れ右をして帰りたくなってしまった。

 夕日は陰になり、その通りは薄暗く湿っていた。ネオンの派手な看板がつづいていて、初めて見たけど、そこがラブホテル街だってことは察しがついた。

 手をつなぎあうカップルとすれ違い、さらに気後れするも、わたしは勇気を出して足をふみ出した。意外なことに、わたしみたいに制服姿で一人あるきする女子高生がちらほらいた。たまに、壁に寄りそって煙草を吹かすオジサンたちからねちっこい視線をあびせられるのは、ちょっとイヤだったけど。

 利恵のうしろ姿を見つけた。利恵とは高校がべつになってしまったからしばらく会っていなかったけど、髪の毛が明るい茶色になっていた。それでも、わたしが彼女を見間違うわけがない。

 だからこそわたしは、信じられない思いでいっぱいだった。利恵は、スーツを着た男のひとに手を引かれていた。

 彼氏かな、と思いこもうとしたが、どうもおかしい。ちらりと見えた利恵の横顔は青ざめており、つないでいない方の手は、軽くふるえていた。

 よくわからないまま反射的にかけだして、利恵たちの手を引きはなした。利恵も、男のひとも、おどろいてわたしを見た。男のひとは、その辺にいるオジサンっぽくはなかったけど、茶髪にスーツを着崩していて、いかにも遊び人という感じだった。利恵は男のひとを隠すようにした。

「麻衣じゃん、ひさしぶり。っていうか、なに? どうしたの?」

 目に見えてあわてている。

「このひと、だあれ?」

「……彼氏」

「彼氏? 彼氏と、いまからどこへいくの?」

 利恵は男のひとの腕をとって、逃げようとした。わたしは小走りで彼女らの横にならんだ。

「待ってったら。どうして逃げるの」

「だって、あんた邪魔だし。ていうか、空気よめっつの」

 追いこして、ふたりの前に立ちはだかる。

「ねえ、あなた、ほんとうに利恵の彼氏ですか」

 気まずい沈黙がながれた。男のひとが、やれやれ、と肩をすくめる。

「なんか冷めちゃったな。こうしてお友達が心配してくれてるんじゃ。オレ、他のコ探すことにするよ」

「ちがうよ。あたし、こんなコ知らない」利恵が声をおっきくして、つぎにあたしをにらんだ。「へんなやつ。さっさとどっか行けよ。あんまりしつこいと、警察呼ぶよ」

「いいよ。警察呼べば」

 きっぱり言うと、利恵はうっと声をつまらせた。知ってる。こういうの、警察呼ばれて困るのは利恵のほうなんだ。

 利恵は顔を真っ赤にして、わたしの胸もとをつかんだ。

「どっか行けってば。あたしにはお金がいるの、あんたも分かるでしょ」

 そのまま突き飛ばされかけたけど、かかとをふんばって耐えた。そうだ、利恵の家は、最近、働き盛りのお父さんが亡くなって大変なんだ。

「なら、ふつうにバイトすればいいじゃん。どうしてこんなことするの」

「だって、バイトなんかチマチマやったって、かったるいし。あたしは今すぐお金がほしいの」

 胸ぐらをつかんでくる利恵の腕には、わたしでも知っている有名ブランドの時計が巻かれていた。利恵は昔っから気取り屋で、自分に自信がない。小学生のころからそうだ。陰では、いつか道彦くんをモノにしてやるって言い張っていたくせに、結局、とうの本人には一言も話しかけられずに終わってしまった。

「麻衣んとこはいいよね。親が共働きだから。たいした苦労もしないで、いっぱいお小遣いもらってるんでしょ」

 これには、さすがのわたしもカチンときた。力まかせに利恵の手をふりほどいて、男のひとに一歩ちかづいた。

「利恵の代わりに、わたしを買ってください」

 ふたりとも、びっくりして言葉をうしなった。わたしはじろっと利恵を見た。

「分け前は、はんぶんでいいでしょ」

 利恵はなにも言い返せなかった。男のひとが、だまってわたしの手をにぎった。


 利恵とはネットで知り合ったんだって、男のひとが言った。ネットでどうやったら知り合えるのか、コンピューターにうといわたしには想像がつかなかった。

 男のひとは『キリヤ』と名乗った。それが偽名だということは、わたしにもわかった。

「利恵ちゃんとは四万の約束だったけど、麻衣ちゃんもそれでいい?」

 わたしはうつむきがちに、「それでいいです」と言った。


 キリヤとレンタルルームにはいった。ホテルと似ているが、ちょっとちがう。シャワーやトイレはあるけど部屋がすごくせまくて、おもての看板から察するに、宿泊所というよりは、休憩所に近いような。

 キリヤはベッドに座ると、上着とネクタイをとった。シャツを第三ボタンまであけると、シルバーアクセがちらつく浅黒い胸板がのぞいた。

「どうした、こっちに来なよ」

 キリヤがベッドのとなりを、とんとん、と指した。わたしは身じろぎひとつできず、立ちっぱだった。

「緊張してるんだね。こういうの、初めて?」

 外ではぶっきらぼうな口調だったが、いまでは子馬が草原で小おどりするような軽やかさがあった。地面の草木は腐っているけど。

 キリヤは跳ねるように立ちあがって、わたしの耳もとに顔をよせた。すんすん、と鼻のひくつく音がして、わたしはびくっとふるえあがった。

「耳、弱いの?」

 なにも答えられずに、ただふるえることしかできなかった。しかし、どうもキリヤは、それが感じているものだと勘違いしたらしく、さっきより鼻息をあらくして耳あたりを執拗に触ってきた。

「ちょっと、まってください」

 キリヤの手を払いのける。しかし、いかつい手の甲はほとんど微動だにしない。おもわぬところで力の差を思い知らされた。

 わたしの手はあっさりとつかまった。

「恥ずかしがらなくていいから。ほら、二人だけだし」

 そして、キリヤの手がわたしの胸へと伸びてくる。わたしは息をとめた。

 キリヤの指は堅くて、単純に痛かった。軽くなでられただけで自然と頬がゆがむ。筋肉痛にへたくそなマッサージを当てられたような、もしくは治りかけのカサブタをいじられたような、ぴりぴりとひびいてくる痛みだった。

 キリヤの手つきはいかにも、こういうことに慣れてます、って感じだったけど、いかんせんわたしの胸が成長途上のためか、ただただ不快でしかなかった。

「ほら、力抜けてきたっしょ」

 どこがだ、ばかやろう、と怒りたかった。でも、足とか、膝とか、自分でもびっくりするくらいぶるぶるしていて、それどころじゃなかった。

 キリヤの手がわたしのおしりに触れると、こめかみの裏側あたりが、しだいにどろどろと溶けていった。

 頭の中で、いろんな顔が浮かぶ。

 ゆりちゃんや、お父さんや、涼二の顔。あのころの、中学生のクミカも。小学生の道彦くんも。

 助けてほしい、と思った。守ってもらいたい。わたしは、いますぐにでも逃げだしたいんだなって。意識と体は、かんぜんにお別れしていた。

 助けてほしい、助けて、助けて……。

 膝ががくんとなって、体がふらついた。

 キリヤが、「おっと」と言ってわたしを抱きとめた。そのとき鼻についた、キリヤの匂い。

 なんていうか、すごくリアルだった。動物園から脱走したサルが温泉宿で一泊してきたみたいな、そんな匂い。甘いかおりの裏に、獣じみたすえた気配がかくれている。

 このひと、ながいことお風呂に入っていない。香水でごまかしているだけ。そっか、と思った。このひとも、利恵と同じなんだ。

「まず、シャワーをあびませんか」

 キリヤの顔からいやらしさが消えた。ひょうきんな笑顔だけど、陰に面倒くさそうな苛立ちがひそんでいた。

「お、だよな。オレとしたことがうっかり。麻衣ちゃんがあんまりカワイイから、夢中になってたよ」

 いっしょに入る? と聞かれたので、わたしは愛想笑いで首をふった。

「わたし、シャワーは別々がいいです」

「そっちのが雰囲気出るもんねえ。わかってるねえ」

 そんなことわかりたくなかった。

 キリヤはその場で服を脱いでシャワー室にはいった。わたしはうつむいて自分のつま先を見つめた。

 シャワーの水音が聞こえてくるのを見はからい、わたしはこそっと、脱ぎ捨てられたズボンから財布を抜きとった。あつかう指先は汗でべたついた。

 一万円札を四枚抜きとって、部屋を飛びだした。


 レンタルルームから出て、ふと首すじに触れると、ねっとりとしたイヤな感覚があった。指に付着したものを嗅ぐと、生卵とたばこを混ぜ合わせたような匂いがした。

 キリヤの唾液だった。いつのまにか、そうされていたらしい。あわててハンカチをだして、首がすり切れるほど拭いて、ハンカチはその辺に捨てた。

 体じゅうにキリヤの感触がのこっていて、きもちわるかった。


 通りを曲がると、待ち伏せしていた利恵に呼びとめられた。利恵は、わたしが素手でつかんだ紙幣に気づくと、「うまいこと逃げたじゃん」と悪気もなく言った。

「あたしの分け前、四分の一でいいよ」

「それが……」

 それがねぎらいのつもりなの、と言うつもりだった。うまく声が出なかった。せき払いすると、目頭があつくなった。

「いらないよ、こんなの」

 お金を利恵の胸に押しつけると、利恵は「ぜんぶはいいってば」と両手をふった。それでもぎゅっと押しつけたままでいると、あきれたようなため息が聞こえた。

「わかってないよね、麻衣って。こんなきたないお金いらないって、そう言いたいんでしょ。漫画の見すぎ。あほらし。麻衣って、なーんにもわかってない。その泣きそうなツラはなに? パパ、ママ、お兄ちゃん、助けてー、ってか。途中で逃げたクセに、被害者面してんじゃねーよ」

 利恵は二万円だけ受け取って、残りの二万はわたしの胸ポケットに入れた。

「ばいばい、甘えんぼさん」

 去っていく利恵の背中をにらみながら、わたしは一回だけ、つよく地団太をふんだ。

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